伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【斎藤伝鬼坊】日本最強は誰?流派は?

      2018/03/11

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【斎藤伝鬼坊】です。

【斎藤伝鬼坊】は戦国時代に剣と槍の両方を極めていた豪傑として有名な剣豪です。

では【斎藤伝鬼坊】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

 

出典:http://www.mugairyu-hyohotan.com/

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斎藤伝鬼坊 

名前:斎藤伝鬼坊

流派:天流、天道流

出身:常陸国

年代:室町時代後期~戦国時代(1550~1587)

斎藤伝鬼坊は、常陸国真壁郡新井手村で北条氏康の家臣の家に生まれた。幼名は金平、のちに主馬之助を名乗った。

幼少時代より刀槍の術を好み、塚原卜伝のもと新当流を学んで門下の中でも突出した技量を見せていた主馬之助。

しかし自身の修行に限界を感じ、武芸上達祈願のために鎌倉鶴岡八幡宮に百日参詣することにした。

この時、主馬之助は武芸に通じていた一人の修験者と出会って意気投合、二人は刀槍の術について語り合うようになる。

ときには試合を行ってお互いの腕を高めるうち、主馬之助は刀槍の妙技について悟るようになっていった。

百日参詣の満願の日(1581年11月20日)、立ち去ろうとする修験者に主馬之助が流派を尋ねると、修験者は何も言わず太陽を指さしたという。

ここから主馬之助は自らの流派「天流」を立ち上げた。

 

その後、諸国で武者修行を続け、名が天下に知れ渡ると、主馬之助は朝廷に招かれる。

朝廷では「一刀三礼」の秘剣を披露して評価され、判官左衛門尉の位官を賜って名を井手判官伝鬼坊とした。

 

 

出典:http://www.gamebase.com.tw/

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朝廷からもお墨付きをもらった伝鬼坊は、さらに武芸者として名をあげ、各地を巡ったのちに故郷の真壁郡に凱旋帰国することにした。

帰国する際の伝鬼坊のいでたちは、天狗のような格好であったという。

 

故郷に戻った伝鬼坊のもとには、下妻城主・多賀谷修理太夫をはじめ、多くの武家が教えを請いにくるなど、地元の英雄としてもてはやされる。

しかし、常陸国はもともと神道流が盛んな土地柄で、伝鬼坊のことを妬み嫌う者もいた。

 

そんな中、伝鬼坊は霞神道流の真壁氏幹の門人・桜井霞之助と試合を行って斬殺してしまう。

このため、霞党と呼ばれる者たちに恨みを買ってしまい、1587年に伝鬼坊は弟子・小松一卜斎と一緒にいるところを数十人に取り囲まれた。

伝鬼坊は一緒に戦おうとする一卜斎を不動堂の中に押し込めて一人で応戦。

鎌槍を手に奮戦するも、最後は無数の矢を射かけられて力尽きてしまった。

 

最後に伝鬼坊が振るった槍の技は、生き延びた一卜斎によって伝鬼坊の子・法玄に「一文字の乱」として伝えられ、のちに「天道流」と名を変えて今も伝承されている。

 

 

出典:http://sengokuenbu.info/

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ド派手ないでたち、ド派手な名前ですが、斎藤伝鬼坊はそれに負けないぐらい相当な力量を持った人物だったんでしょう。

まぁ自分の名を売るためのアピールかもしれませんが、よっぽど自分の実力に自信がないとなかなかできませんよ。普通は。

さらに人格も備わっていたのか、最後は弟子を守って死ぬ姿なんかは、実に泣かせるじゃないですか。

そんなド派手で実力があってチヤホヤされる伝鬼坊を妬んでしまう霞党の皆さんの気持ちも分からないでもありませんがw。

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