伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【仏生寺弥助】日本最強は誰?流派は?

      2019/11/13

はじめに

この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【仏生寺弥助】です。【仏生寺弥助】は知る人ぞ知る幕末に生きた天才剣士、アホだけど底なしの強さを持った伝説の剣豪です。これまで幕末のたくさんの剣豪を紹介していますが、私はこの【仏生寺弥助】が特別に好きなので、とにかくこのアホ天才剣士を知って欲しいと思い少々長い記事になっています。それでは、おそらく幕末最強の剣豪であろう【仏生寺弥助】について紹介します。

 

出典:http://auction.ba9ma2.com/

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仏生寺弥助 

名前:仏生寺弥助

流派:神道無念流

出身:越中国?

年代:江戸時代末期(1830~1863)

剣豪・仏生寺弥助誕生

仏生寺弥助は越中国の漁村に生まれたとされています。

15~16歳ぐらいに江戸へ出て「神道無念流」の剣術道場・練兵館の風呂焚きの仕事に就きましたが、弥助は暇があれば道場を覗き、稽古の様子を熱心に見ていました。

その様を日々見ていた練兵館の隠居先生・岡田利貞が「お前はいつも道場を覗きに参るが、剣術が好きか」と聞くと、弥助は「竹内の音を聞くと、じっとしておられません」と答えます。

このため岡田利貞は道場主・斎藤弥九郎の許しを得て、弥助に剣術を教えてやることにしました。

すると弥助の剣の才能は一気に開花します。

岡田利貞は「これまでに教えた奴でもここまでの者はいなかった」と驚き、すぐに弥助に仕事をやめさせ、あらゆる限りの剣技を教えることにしました。

弥助は初心者ながら練達者を打ち負かすほどの腕前で、普通は7~8年かかるところを2年余りで免許皆伝となり、故郷の仇生寺村にちなんで仏生寺を姓として「仏生寺弥助」と名乗るようになりました。

このとき弥助は18歳、斎藤弥九郎の長男・新太郎21歳、三男・歓之助は16歳でした。

仏生寺弥助の実力

仏生寺弥助の構えは左上段だけでしたが、速さと変化の多彩はずば抜けていて、先に「面を打つ」と予告しても誰も防ぐ事が出来なかったといいます。

また、弥助は普通の体格でありながら巨漢を相手にしてもひけを取らず、これまた予告後に上段前蹴りを繰り出しても必ず当たったといいます。

才覚を認めていた斎藤弥九郎は、弥助を塾頭にしようと勉学をすすめていましたが、もともと無学な上にいいかげんな性格のため、平仮名さえ満足に覚えられず、自分の名前さえ書けないままでした。

しかし、その後も弥助の剣術は磨かれ続け、実力は新太郎、歓之助兄弟を遥かにしのぐとの噂まで立ち、周囲からは『斎藤塾の閻魔鬼人』とまで呼ばれるようになります。

粗暴な弥助でしたが、一方では大恩ある斎藤弥九郎の息子たちには一歩譲って試合では勝とうとしなかったといいます。

しかし、弥助の剣を見出した岡田利貞は、弥助の腕が兄弟を上回っていることを見抜いていました。

 

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高杉晋作との試合

塾頭になれなかったのがイヤになったのか、勉学を勧められるのがイヤになったのか分かりませんが、やがて仏生寺弥助は突如として練兵館を飛び出します。

その後は、ヤクザの用心棒をやったり、勤王志士の仲間になったりと適当な生活を送っていましたが、気が向いたときには練兵館にフラッと現れることもありました。

同じ斎藤門下の長州藩士・高杉晋作は、道場では弥助と会ったことはありませんでしたが、その名前だけは聞いていました。

ある時、高杉晋作は剣術修行で諸国を廻っていると、信州松代でたまたま弥助に出会いました。

弥助の強さに興味があった高杉晋作は、すぐに試合をしてみましたが結果は弥助の勝利。

のちに高杉晋作は「全く歯が立たなかった」と悔しそうに同志に語っています。

練兵館の救世主・仏生寺弥助①

練兵館を岡田利貞や斎藤兄弟が留守にしていたある日のこと、凄腕の道場破りがやってきました。

高弟たちが相手をするものの全て一撃で打ち込まれ、練兵館には創設以来の危機が訪れます。

そこにひょっこり現れたのが、ボロボロの服を身にまとった仏生寺弥助。

話を聞いた弥助は「どれどれ、俺が相手してやるよ。道具貸して」と言うなり、道場に出ました。

十本勝負で行われた試合は、弥助が左上段の速攻でまず一本。

そして「さ、二本目いくぞ。面な」と言うなり、二本目も弥助は構えを変えずに強烈な一撃をくらわせます。

相手は何とか対応しようと構えや間合いを変化させますが、弥助は左上段の構えを変えようともせず、立て続けに十本の面を決めました。

「なんだ・・・こんなもんか、話にならんわ」

外出から戻り、試合を途中から見ていた岡田利貞は、弥助のことを「鉄の草鞋で日本国中探しても二人といないだろう」と言ったといいます。

 

出典:https://www.e-hon.ne.jp/

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練兵館の救世主・仏生寺弥助②

幕末には長州岩国に宇野金太郎という男がいました。

金太郎の強さと性格の悪さは有名で、誰もがその道場を避けて通ったという剣豪でした。

以前、江戸からの修行帰りの桂小五郎が挑んだときも、強烈な小手で打ち込んで試合続行不可能にさせています。

ある時、この金太郎は肥前大村藩で剣術師範を務めていた『鬼勧』の異名を持つ斎藤弥九郎の三男・歓之助を打ち負かしました。

この敗北に勧之助は練兵館の面子が潰れることを恐れ、すぐに江戸の岡田利貞に手紙を出します。

内容は『宇野金太郎に雪辱を果たしたいため、仏生寺弥助に来て欲しい』というものでした。

剣術師範としての面目を保つため、プライドを捨てて歓之助は弥助の援助を請うたのです。

歓之助の手紙の内容を聞かされると、弥助はすぐに出立して歓之助と合流し、九州地方の回遊修行を終えていた金太郎の道場へ向かいました。

そして道場に着いた歓之助はまず「この前はお見苦しい試合をしてしまい申し訳なかった」と金太郎に詫びを入れました。

すると金太郎はうなずき「良い心掛けである。何度でも試合に応じても良いぞ」と小バカにしたように答え、後ろにいる弥助のことなど全く気にしていない様子。

怒りを抑えつつ歓之助は「では、江戸の練兵館を代表してこの仏生寺弥助がお相手致します」と弥助を紹介しました。

普段は礼儀知らずな弥助も、この時ばかりは手をついて挨拶。

金太郎は「やれやれ」と言わんばかりに了承し、十本勝負で試合することとなりました。

そして試合が始まると、いきなり弥助は大胆に左上段の構えをみせて金太郎を驚かせます。

上段の構えは『守り』を捨てた『攻め』重視の構えであるため、普通は自分よりも熟練している者にとるべき構えではありません。

「こいつ何だ?バカか?」

カチンときた金太郎は一気に間合いを詰めようとしましたが、その瞬間、稲妻ような強烈な衝撃が頭に走りました。

「!?・・・なんだ?・・・今のは?・・・」

金太郎には弥助の剣が全く見えていませんでした。

歓之助の弟子と思われるクソ剣士ごときに、なぜ打たれたのか?と動転する金太郎。

構えを変えて「次は決める」と意気込みますが、弥助の容赦ない剣は立て続けに金太郎の面を三本打ちました。

「面がくる」と分かっていても防ぐことができず、混乱した金太郎はスッカリ戦意を喪失。

続く四本目の勝負を辞退するしかなく、試合は弥助の完全勝利に終わりました。

そして歓之助はすかさず、無言で落ち込んでいる金太郎に試合を申し込みます。

さすがの金太郎も辞退しようとしましたが、歓之助はこれを許さず、無理矢理に試合をさせて勝利を得ることができました。

 

出典:https://www.suruga-ya.jp/

 

 

稀代の剣豪・仏生寺弥助の最期

その後の仏生寺弥助は、相変わらずいかがわしい暮らしを重ねて諸国を放浪していたといわれます。

また、弥助は長州浪士隊に加わり、尊王攘夷志士として活動するも、敵対する新選組の局長・芹沢鴨とも親密な関係にあったようです。

この芹沢鴨も相当に腕の立つ剣豪でしたが、弥助には頭が上がらなかったといいます。

やがて弥助は新選組に鞍替えしようとしたところ、長州藩と関わりの深い錬兵館の元仲間たちに酔わされた後に殺されました。

一説には粗暴の行動があったとして京都で泥酔しているところを、斎藤弥九郎の長男・新太郎に斬られたともいわれています。享年33。

 

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どうですか?アホ天才剣士・仏生寺弥助。

とにかく強い!「天は二物を与えず」と言いますが、仏生寺弥助は正にその通り剣だけしかない正真正銘の「剣豪」。

勉強しないわ、勝手にどっかに行っちゃうわ、悪い奴らとつるむわ、ホントどうしようもない奴ですが、危ない時にはなぜかフラッと現れて敵を叩きののめす。

もはや漫画の世界ですww

師匠や息子さん達には、恩を忘れないカワイイ一面を持ち、どうしても憎めない仏生寺弥助。

きっと、斎藤弥九郎先生も岡田利貞先生も、そんな感情で仏生寺弥助を見ていたことでしょう。

適当な性格は最後まで治らず、最終的には練兵館に見放されて剣豪としては冴えない最期となってしまいますが、それもまた「らしい」と言えば「らしい」し。

数多くの剣豪、有名な維新志士を輩出した幕末において、こんなアホでカワイイ天才剣士がいたっていいじゃないですか。

私は「幕末の剣豪で誰が一番強い?」と聞かれたら、まずは「仏生寺弥助」と答えるようにしています。

ところで、鬼勧・斎藤歓之助ってマジで汚いよね。

 

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日本剣豪一覧

鬼一法眼:全ての剣術の元祖となる伝説の剣豪

源義経:孤独から「太刀の術」を学んだ剣豪

念阿弥慈恩:新陰流と一刀流の原点となる剣豪

中条長秀:初代「不殺の剣」を説いた剣豪

飯篠家直:天真正伝香取神道流の祖となる剣豪

松本政信:極意「一つの太刀」を生む剣豪

愛洲移香斎:陰流の祖となった伝説の剣豪

塚原卜伝:多くの剣豪たちに影響を与えた剣聖

山本勘助:諸国流浪の果てに川中島で散る剣豪

上泉信綱:柳生の師で有名な新陰流の剣聖

竹内久盛:柔術の源流となった名門出身の剣豪

宝蔵院胤栄:仏法と殺生の狭間に悩む槍の剣豪

奥山公重:家康の初代剣術指南役となった剣豪

斎藤伝鬼坊:弟子のため壮絶な死を遂げた剣豪

師岡一羽:香取、鹿島の剣を引き継いだ剣豪

足利義輝:壮絶な最期を遂げた天才剣豪将軍

根岸兎角:師匠を見捨てた恩知らずな剣豪

疋田豊五郎:剣聖伊勢守の甥で一番弟子の剣豪

丸目蔵人:新陰流を受け継いだタイ捨流の剣豪

上泉義胤:剣聖伊勢守の孫で変わり者の剣豪

林崎甚助:仇討ちのために居合を極めた剣豪

田宮平兵衛:紀州藩に採用された居合の剣豪

片山久安:天下に名を轟かせた居合の剣豪

樋口又七郎:念流を復活させた岩をも砕く剣豪

富田勢源:中条流小太刀の使い手で盲目の剣豪

富田重政:実戦に長け名人越後と呼ばれた剣豪

鐘捲自斎:偉大すぎる師匠と弟子を持った剣豪

小笠原長治:幻の技「八寸の延金」を使う剣豪

伊藤一刀斎:生涯を剣のみに捧げた無双の剣鬼

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