はじめに
ここではシリーズ化して伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【伊藤忠也】です。【伊藤忠也】は小野忠明と同様に「一刀流」を学び、一刀斎を超えたと評価された伝説の剣豪です。それでは一刀流の正統後継者【伊藤忠也】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。
伊藤忠也
名前:伊藤忠也、伊藤典膳
流派:伊藤派一刀流、忠也派一刀流
出身:安房国
年代:江戸時代初期(1602~1649)
一刀斎を超えた男
伊藤忠也は慶長7年(1602年)に小野家に生まれ、『本朝武芸小伝』では小野忠明の子として父から「一刀流」を学んだとされています。
また『寛政重修諸家譜』では忠也は小野忠明の弟であり、共に伊藤一刀斎から「一刀流」を学んだとされています。
どちらにせよ「一刀流」の達人となった忠也は、やがて小野忠明から「師(一刀斎)に勝る」と評価され、「一刀流」の正統を継承する証として一刀斎が三十数度の勝負に用いたという『瓶割刀』を授かりました。
また、忠也はこれを期に姓を流祖・伊藤一刀斎の家名である『伊藤』に改めて、『伊藤典膳忠也』を名乗ったといいます。
その後、忠也の「一刀流」は小野忠明の子・忠常が継いだ小野家の「小野派一刀流」と区別し、「忠也派一刀流」または「伊藤派一刀流」と呼ばれるようになりました。
豪毅な性格であった忠也は勤仕を嫌い、生涯浪人暮らしであったといいます。
忠也の門人には、紀州根来出身の亀井平右衛門忠雄、八九郎兄弟がいました。
兄の忠雄は14歳のときから小野忠明に「一刀流」を学んでいましたが、師の死後は忠也から「一刀流」を学び、正統後継者として『瓶割刀』を受け継ぎました。
その後、忠雄は甲府藩主・徳川綱重に仕え、のちの6代将軍となる家宣の剣術指南役を勤めています。
また、弟の八九郎は兄とともに「一刀流」を学び、印可を与えられていました。
やがて剣術家として有名となった八九郎は『根来独身斎重明』と名乗り、技に工夫を加えて「天心独明流」を興し、多くの弟子を抱えました。
おわりに
伊藤一刀斎の『伊藤』の姓と、遺刀の『瓶割刀』を受け継いだ正統後継者・伊藤忠也は、歴史のひのき舞台には全くといっていいほど登場しない隠れた剣豪。
小野忠明が「師(一刀斎)に勝る」ってコメントを残してるぐらいだから、よほどの腕を持った天才だったのかもしれません。
だいたい、こういう天才肌の人はワガママで協調性がない人が多い。忠也も誰に仕えることなく、孤高の剣豪ですからね。
忠也のように権力にすり寄らずに技のみを探求する剣豪もいれば、小野忠明や柳生宗矩のように権力と向き合って流派を伝えていった剣豪もいる。
どちらが剣豪として正しいのかってのは、非常に難しい問題だと思います。
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