伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【念阿弥慈恩】日本最強は誰?流派は?

      2019/09/26

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【念阿弥慈恩】です。

【念阿弥慈恩】は、剣術の父として名高く、関東や京に弟子を持った剣豪です。

では【念阿弥慈恩】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

スポンサーリンク

 

念阿弥慈恩

名前:念阿弥慈恩

流派:念流

出身:常陸国といわれる

年代:鎌倉時代中期(1351~1448)

父の仇を討つため学んだ剣術

念流の元祖、念阿弥慈恩は元の名前を相馬四郎義元といいました。

父は相馬四郎左衛門忠重といい新田義貞に属して戦功のあった武将であったといいます。

相馬義元は5歳の時、父・忠重が殺されて幼いながらも追われる身となり、乳母に連れられてなんとか逃れました。

そして何とか難を脱した相馬義元は、相模国藤沢で遊行上人の弟子となり「念阿弥」と呼ばれるようになります。

「阿弥」とは時宗の僧が称す号。

念阿弥は仏門にありながら父の敵討ちを誓っていました。

このため、京に赴いて鞍馬寺で異形の者に剣術を学んだといいます。

鞍馬寺は源義経が修行したことで知られていますが、この念阿弥が学んだ剣術も鬼一法源より始まる京流の流れを汲む剣術でした。

さらに念阿弥は鎌倉において神僧より剣の秘伝を受け、一説によればここで鹿島の太刀の秘伝を受けたといいます。

その後、九州筑紫の安楽寺で修行を重ね、遂に剣の奥義を会得した念阿弥は、ついに父の仇を討つことを決意。

念阿弥は寺を後にして還俗し、仇敵を見つけだして見事に仇討ちを成功させました。

しかし、この時に世の無常を感じてしまった念阿弥は、名を「慈恩」と改めて禅門に入ることになりました。

 

スポンサーリンク

 

多くの流派の祖となった慈恩

やがて慈恩は諸国を巡る旅に出て、行く先々で自ら学んだ剣術を伝え門弟を増やしていきます。

慈恩には関東に8人、京に6人の「十四哲」と呼ばれる高弟がいたと伝えられています。

その中には陰の流を伝えた「猿御前」、中条流を伝えた「中条判官」、馬庭念流の祖の「樋口太郎兼重」の名前があります。

陰の流は陰流、新陰流、柳生新陰流などの多くの流派に派生し、中上流ものちに富田流として伝承されて一刀流をはじめとした多くの流派を生みました。

また、門弟の「赤松三首座」は慈恩の実の弟で念首座流を興し、江戸時代には桑名藩に念首座流、仙台藩に首座流として伝わっていきました。

一方、慈恩は晩年に自らを「念大和尚」と称し、信州伊那郡波合村に長福寺を建立して住職となっています。

 

mig

出典:https://matome.naver.jp/

 

スポンサーリンク

 

幼い頃より仏門に入り、父の仇を討つため剣術を学ぶ。そして、父の仇を討った瞬間、胸の中に去来するのは、この世の無常。そしてまた仏門に・・・・。

煩悩の塊のような念阿弥慈恩。この人間臭さがイイです。

こんな人なのに上の画像のように美男子に描けるのはなぜなの?w

もっとムサ苦しい髭モジャのイメージなんだけどな。

スポンサーリンク

 - 伝説の剣豪