はじめに
この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【小笠原長治】です。【小笠原長治】は中国に渡って「八寸の延金」という幻の技を編み出した伝説の剣豪です。それでは【小笠原長治】について流派や出身地も含め簡単に説明します。
小笠原長治
名前:小笠原源信斎長治
流派:真新陰流
出身:遠江国
年代:戦国時代~江戸時代初期(1570~?)
幻の技「八寸の延金」
小笠原長治は遠江国高天神城主の小笠原長忠の甥とも弟ともいわれますが、出自はハッキリしておらず生没年もあいまいな剣豪です。通称は金左衛門。号は源信斎。
長治は奥山休賀斎公重の「神影流」「奥山流」を学び、上泉伊勢守信綱にも師事して「真新陰流」を称しました。
長治は豊臣秀吉に仕えて小田原征伐に従軍し、その後の大坂の陣でも豊臣方に加勢して落城後は中国大陸の明国に亡命しました。
明で長治は中国の矛術を学んで『八寸の延金』という術を編み出し、日本に帰国した後は多くの剣客と立会っても誰も敵う者はありませんでした。
長治を立ち会った剣士たちは、もはや上泉伊勢守ですら長治の妙術の前には敵わないだろうと語ったといいます。
長治の極意『八寸の延金』は不敗の技といわれましたが、惜しいことに時が下がるとともにこの技は失われてしまいました。
それでも剣術家たちの間では『八寸の延金』は秘術として語られていたようで、後世の中西派一刀流・白井亨は研究に研究を重ねて自力でこれを会得しています。
しかし、白井亨の『八寸の延金』はあくまで復元技であって直伝技ではないため、実際は本当に会得していたのかは微妙なところ。
そして『八寸の延金』は、今では読み方すら一般人にはわからない幻の技として名前だけが残ることとなりました。
一方、長治の門下には針ヶ谷夕雲、神谷伝心斎といった剣術史に名を残す武芸者が出ており、特に神谷伝心斎の流れから「直心影流」が生まれ、江戸時代に大いに隆盛することになっていきます。
おわりに
素性はかなりの名家であるにも関わらず、かなりマイナーな小笠原長治。
でも、中国での修行、幻となった最強の必殺技『八寸の延金』、いかにも漫画、アニメっぽいエピソードではないでしょうか。
この人を主人公にした漫画があったら人気でそうな気がしますけどね。
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