はじめに
この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【真里谷円四郎】です。【真里谷円四郎】は純粋な剣理を追求した「無住心剣流」の最強の使い手とされる伝説の剣豪です。それでは【真里谷円四郎】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。
真里谷円四郎
名前:真里谷円四郎
流派:無住心剣流、真里谷流
出身:上総国
年代:江戸時代中期(1662~1743)
悟りを開いた最後の無住心剣流
真里谷円四郎は元の名前を山名勝之助といい、若い頃から上総国真里谷村を出て江戸で「無住心剣流」を学んでいました。
当時の無住心剣流宗家は2代目・小田切一雲であり、開祖・針ヶ谷夕雲と3度立合って3度とも『相抜け』となった達人でした。
円四郎は修行の甲斐あって25歳の時に一雲より的伝免許を受け、円四郎も一雲の時と同様に師匠との試合を行います。
ここで『相抜け』となれば問題ありませんでしたが、円四郎は一雲との試合で2度立合って2度とも勝ってしまいました。
このため一雲は潔く円四郎の剣技を認め、「無住心剣流」を円四郎に託すことになります。
「無住心剣流」は子供の戯れのような無垢な心で剣を使うことを求める、禅問答のような特殊な剣術でした。
そこで剣の神髄を得た円四郎は、千度の立合いに一度も不覚を取らなかったといわれます。
しかし、虚飾を廃して純粋な剣の理を追い求め続けた結果、その神髄を理解できる者が育たなかったため、この特殊な剣術を受け継いでいく者は、その後現れることはありませんでした。
「生まれついたままの純粋な赤子の心でもって、種々の分別を離れ、外面に捉われることなく、ただ刀を引き上げて自然の感ずるところ、落ちるべきところへ刀を落とすだけ」と教えられて、理解出来ない者の方が普通です。
禅の悟りに等しい高邁な剣理を解明した「無住心剣流」は、同流最強の使い手・真里谷円四郎を最後に途絶えてしまうことになったのです。
おわりに
針ヶ谷夕雲、小田切一雲、真里谷円四郎と続いた「無住心剣流」の神髄がマジで難しすぎます。
そもそも『相抜け』という極意をウリにしていたのに、円四郎が師匠に勝ってしまって、その極意もウヤムヤに・・・
『剣の神髄とは何か』を問う、この流派の人たちは本当に刀を振って修行していたんでしょうか?
行き着くところまで行ったら、頭の中だけで試合ができたんじゃねぇの?それはもはや剣術ではないような・・・
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