伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【田宮平兵衛】日本最強は誰?流派は?

   

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【田宮平兵衛】です。

【田宮平兵衛】は現在にも伝わる「田宮流」の創始者で、「美の田宮」と称賛された居合を使う伝説の剣豪です。

では【田宮平兵衛】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

 

出典:https://myamato.exblog.jp/21652559/

スポンサーリンク

田宮平兵衛 

名前:田宮平兵衛重正

流派:田宮流

出身:?

年代:戦国時代(?~?)

 

田宮平兵衛は、名を重正だけでなく茂政、業正、茂正と様々な名を持ち、一説によれば関東に生まれたといわれているが、生没年、出身地とも分かっていない。

東下野守元治に夢想流を学んだ後、林崎甚助から神夢想林崎流を修めたという。

そののち諸国を渡り歩き、武者修行を行って工夫を重ね、居合について磨きをかけていった。

平兵衛は長柄の剣を使用していたようで、「手に合うならば、刀の柄は長い方が有利である」と主張している。

 

平兵衛の伝えた技は、嫡子・田宮対馬守長勝に受け継がれ「田宮流」が名乗られた。

自ら初代を名乗った長勝であったが、家伝の居合を学び出した頃、前足にクセがあった。

何度注意しても直らないため、平兵衛は「そんな悪い足は斬ってやる」と言って、長勝の太腿に突き刺した。

それ以降、長勝の足癖は出なくなって居合の境地に達したという。

 

この長勝は池田輝政に仕えて大坂冬の陣に出陣し、めざましい軍功をあげて徳川家康から称賛された。

これにより長勝は、浜松城主・徳川頼宣の配下になり、元和5年(1619)に頼宣が紀州藩主となると長勝も紀州に移った。

長勝の嫡子・田宮平兵衛長家は、この地で家督を譲られ田宮流は紀州藩徳川家の兵法として幕末まで伝承されていくことになった。

 

 

スポンサーリンク

上の動画から「美の田宮」と呼ばれる理由が分かると思います。

しかし、この田宮平兵衛は当時の柄の長さよりも、三寸(約75)も長い柄(持っている部分)の刀を使っていたよう。

それで「居合」ができるんだから、ホントにスゴイ技を持っていたんでしょうね。

それにしても、息子の太腿を刺してしまうスパルタ教育・・・怖すぎ!

スポンサーリンク

 - 伝説の剣豪