はじめに
この記事ではシリーズ化して伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は、本当の意味で伝説の剣豪【鬼一法源】です。【鬼一法源】はあの源義経に剣術を教えたとされる伝説の剣豪ですが、あくまで伝説上の人物であり、実在する人物ではなかったとされています。それでは、この【鬼一法源】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。
鬼一法源
名前:鬼一法源
流派:京八流
出身:伊予国?
年代:平安時代
伝説上の人物
伝説上の人物・鬼一法源は京の堀川に住んでいたことから、『堀川の鬼一』と呼ばれていました。
兵法、武略に通じていたとされる鬼一法源は幼名を鬼一丸といい、伊予国の陰陽師の子であったとされています。
成長すると陰陽博士の安部泰長の門人となり、天文地理まで究め、呪術兵法である六韜兵法までも用いることができた鬼一法源。
この鬼一法源が京の鞍馬寺で8人の僧侶に剣を教え、それが後に広まって「京八流」になり、その後の剣術の源流になっていったとされています。
あくまで伝説の人物であり、どこまでが本当で何が正しいのか、何がウソなのか分かりませんが、鞍馬寺の僧兵を中心とした「太刀の術」がおよそこの平安時代後期に編み出され、俗世から離れたところで発達していきました。
このことから鬼一法源の人物像は剣の源流として作り上げられていったとも考えられています。
源義経が鬼一法源から直接剣術を教わった、また源義経が六韜兵法書を盗み出したという伝説も事実であるのかがわかりませんが、源義経が不遇だった幼少期の環境から、采配を振るう大将としての技よりも自分の身を自分で守る一対一の太刀之技を最初に学んでいたとしても無理のない話ではあります。
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おわりに
いきなり、本当に【伝説】の剣豪を紹介してしまいましたが、結局歴史とはそんなものだと思うんですよね。
どんな作り話であっても、人が信じればそれが歴史に変わるし、勝者が都合よく書き変えて伝えてられている歴史も、今となっては分からないだけで必ずあるはずです。
古事記や日本書紀で伝えられている神話や神様が、現在の神社信仰に繋がってみんな初詣やお参りに出かけるのですから、この鬼一法源も実在していなくても「いた」と思えば、人々の心の中とかに「いた」んです。
源義経に剣を教えたなんてカッコ良すぎるし、もともと陰陽師の出なんてミステリアスな部分も魅力的でしょ。
そもそも名前がカッコイイし。素晴らしいネーミングセンスとしかいいようがない。
冒頭の浄瑠璃のイカツイおっさんの絵なんかより、最後の烏帽子をかぶった陰陽師が刀振り回してるほうがイメージにピッタリなんだけどなぁ。
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