はじめに
この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【鐘捲自斎】です。【鐘捲自斎】は本人のエピソードはあまり持っていないものの、弟子たちがかなりのビックネームのため有名になった伝説の剣豪です。それでは【鐘捲自斎】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。
鐘捲自斎
名前:鐘捲自斎通家
流派:鐘捲流、外他流
出身:遠江国
年代:戦国時代~江戸時代初期(1576~1615)
偉大すぎる師匠と弟子達
鐘捲自斎の正確な出身地は不明ですが、遠江国秋葉の出身であるとか、越前国の名家・印牧(かねまき)氏の出身ではないかといわれています。
自斎は外他(とだ)姓を持ち、越前朝倉氏の剣術指南だった富田景政から「富田流」を学んで、山崎左近将監、長谷川宗喜と並んで『富田の三剣』と呼ばれていました。
また、『自斎は富田入道勢源門流』と記された文書もあって、景政の兄・富田勢源の門人となったこともあるようです。
いずれにしても自斎は「富田流」の正統を学んだのち、江戸で「鐘捲流」道場を開いて多くの門弟を育てました。
この弟子の中に前原弥五郎がおり、この男がのちに伊藤一刀斎と名乗って「一刀流」を興したとされています。
また、ほかにも佐々木小次郎も自斎の弟子であったといわれています。
「富田流」は元来、小太刀を得意としていますが、自斎は小太刀の技から入り、中太刀の有利な技を編み出しました。
自斎の奥義『高上極意五点』は伊藤一刀斎に伝えられ、これがそのまま「一刀流」の奥義として現在にまで伝わっています。
一方、「鐘捲流」の道統は出羽国米沢の中村氏家が継承し、仙台藩の藩主・伊達政宗に迎えられて代々護衛の役を担っていきました。
幕末まで仙台藩で受け継がれた「鐘捲流」は時代を経るごとに薄れていきましたが、現在でも岡山市内の抜刀術の一流としてその道統を残しています。
おわりに
鐘捲自斎は漫画「バガボンド」の中では、ボロボロの情けないオジサンとして登場していますが、史実どおり伊藤一刀斎や佐々木小次郎を育てた腕の立つ剣豪として描かれています。
実際は江戸に道場を構えるなどそれなりの剣の達人のはずなのですが、弟子たちがビックネームすぎるため、彼らの引き立て役とされることが多く、少し気の毒な印象が残ります。
でも、彼らがいたからこそ何のエピソードも持たない鐘捲自斎の名が現在まで残っているのかも。
やっぱり弟子たちには感謝して、ここは受け入れるしかなさそうです。自斎さん。
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