伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【愛洲移香斎】日本最強は誰?流派は?

      2019/09/26

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は、剣術の一大流派を起こした【愛洲移香斎】です。

【愛洲移香斎】は、剣聖として名高い上泉伊勢守信綱の「新陰流」、つまりは柳生一族の「柳生新陰流」の源流である「陰流」の創始者です。

では【愛洲移香斎】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

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愛洲移香斎

名前:愛洲移香斎、愛洲久忠

流派:陰流

出身:伊勢国

年代:室町時代中期(1452~1538)

新陰流の元となった陰流の創始者

愛洲移香斎は、伊勢国愛洲氏の一族。

愛洲氏はもともと船戦が得意な熊野水軍に属した一党であり、平時は海外に出て交易を行い、日本に多くの文化を伝える役割を果たす八幡船を生業にしていました。

しかし、実際は貿易を行いながらも、海賊のようなことを生業に行っていたといわれています。

このような生業には、武術、兵法に優れた者が必要とされ、愛洲移香斎のバックボーンとなりました。

念流を伝えた念阿弥慈恩の高弟である「念流十四哲」の中に猿御前という人物がいますが、愛洲移香斎はこの猿御前の子孫といわれることからも、愛洲氏は古来より兵法に通じた一族だったと思われます。

愛洲移香斎は若い頃より諸国を修行で回り、長享元年(1487)36歳の時に日向国の鵜戸権現の岩戸に籠ること37日、満願の日に神が猿の形で奥義と秘伝書一巻を授けたとされていいます。

こののち、愛洲移香斎はこの兵法を「陰流」と名付けて流派を起こし、諸国を巡って兵法を広めました。一説には明にも渡って陰流を伝えたともいわれています。

新陰流を創始した上泉伊勢守信綱は、伝書の中で「予は諸流の奥義を究め、陰流において別に奇妙を抽出して、新陰流を号す。」と書いており、上泉伊勢守信綱が年老いた愛洲移香斎から陰流を学んだとの説もありますが、年代的に無理があるので子の小七郎宗通に学んだと考えるのが妥当とされています。

子の小七郎宗通は、佐竹家に仕えて猿飛陰流を称し、陰流の道統を伝えており、のちに愛洲姓から平田姓に変えて元香斎と称し、猿飛陰流は秋田藩佐竹氏のもとで平田氏によって広まっていきました。

 

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出典:http://www.hyakugo.co.jp/

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出典:http://www.kirari1000.com/

 

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愛洲移香斎が本当に明まで行っていたとしたら実に興味深い話です。

愛洲氏は半分海賊みたいなものですから、本当であってもおかしくはないと思いますが、いかんせん岩戸に籠って神だか猿だかに奥義を授かったという話が、うさん臭くて台無しにしている気がします。

実は愛洲移香斎、筆者の地元の人で本当に応援したい剣豪であります。

愛洲の名字を持った先輩や同級生もチラホラいました。読みは「アイス」と「アイシュウ」がありましたが。

小さい頃は、変な名字だと思って「クリーム」とか呼んでましたけど、先祖たどれば陰流の愛洲移香斎に繋がるなん今となってはてホントごめんなさいです。

ちなみに私の出身校は剣道部がとても強かったのですが、彼は卓球部でした・・・w

剣豪好きな方は、是非一度、愛洲の館

 

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