伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【根岸兎角】日本最強は誰?流派は?

      2018/03/15

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【根岸兎角】です。

【根岸兎角】は、これまで紹介してきた剣豪たちとは違い、なんとも恩知らずで、あまり強いとは思えない伝説の剣豪です。

では【根岸兎角】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

 

出典:http://yu-hina.net/

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根岸兎角 

名前:根岸兎角

流派:微塵流

出身:下総国?

年代:戦国時代~江戸時代初期(生没年不詳)

 

根岸兎角は、師岡一羽に学び一羽流を修めた人物。

師の師岡一羽は、下総国江戸崎で道場を開き、その高弟として根岸兎角、岩間小熊之助、土子土呂助の3人が一羽道場の三羽烏として一流の武芸者として成長していた。

しかし、一羽が病に倒れて床に臥せるようになると、兎角は師を見捨てて出奔してしまう。

このため、一羽の看病を続けていた岩間小熊之助、土子土呂助は、兎角への恨みを次第に募らせていった。

兎角は小田原に行くと、自らを「天下無双の名人」と宣伝し、「微塵流」を名乗って多くの門弟を抱える道場主となる。

さらに、のちに江戸に出て道場を開き、門弟数百人を抱えた。

兎角は目つきが鋭く、高身長で「天狗の化身」と噂され評判になっていたという。

 

一方、小熊之助、土呂助は武具や着物まで売り払って金に換え、必死の看病を続けたが、あえなく一羽は病死。

一羽を見捨てた上に、一羽流を勝手に「微塵流」と称して評判を得ている兎角の噂を聞いた二人は、復習を誓って江戸に向かうことを決意した。

しかし、さすがに二人で兎角を討つことは卑怯であるからと考え、くじ引きによって討手を決めることにする。

そして、くじ引きの結果、小熊之助が江戸に行くことになり、土呂助の方は郷土に留まって、鹿島明神に兎角討伐を祈願することになった。

 

 

出典:https://ekizo.mandarake.co.jp/

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江戸に出た小熊之助は、まずは江戸城大手大橋に高札を立て、他流試合を所望した。

掲げた高札には「日本無双」の言葉が書かれており、あからさまな微塵流への挑発行為だった。

当然、小熊之助の行動は微塵流の門弟たちにとっては面白くない。

兎角も色めき立つ門弟たちを抑えきれず、奉行所立ち合いのもとで、ついに試合をすることになった。

 

試合当日、兎角は小袖と袴をはき、白布のたすきに黒襦袢、六角の太長い木刀に鉄鋲をしこんだ得物を持ってド派手に登場。

一方、小熊之助は木綿の袷に袴、普通の木刀という地味な姿。

見物に来た者たちの多くは、兎角の格好と得物を見て小熊之助の敗北を予想していた。

しかし、試合が始まってみると二人の打ち合いは全くの互角。

復讐に燃える小熊之助が次第に押し始め、ついに兎角を橋の欄干に追い詰める。

そして小熊之助は兎角の片足を掴んで濠の中に放り込むと、兎角はそのまま逃走してしまった。

 

その後、決闘で名を上げた小熊之助は、兎角が去った江戸で道場を開き、多くの門弟を迎えた。

しかし、微塵流の門弟たちは、小熊之助を恨み殺害を計画。

小熊之助は浴室に招かれ、熱湯で意識朦朧となったところを襲われ殺されてしまった。

 

江戸を逃げ出した兎角は、四国、中国で微塵流を指南し、名を「信太朝勝(しのだあさかつ)」を改めて黒田藩の指南役に就いたという。

 

 

出典:https://ekizo.mandarake.co.jp/

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恩知らず、逃亡、何とも冴えない印象の根岸兎角。

こんな男が「伝説の剣豪」を名乗るなんておかしくないか?って思いますが、勝った岩間小熊之助より負けた根岸兎角の方が有名なことは事実。

のちに黒田長政に仕えるまでになったのですから、逃げてから努力して相当の苦労もしたんでしょう。

剣豪としての兎角の本当の姿は、語られることのない後半生にあったのかもしれません。

やはり命あってこその物種。どんなに卑怯でも、生き残ってさえいれば汚名挽回の機会もあるというものですね。

 

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 - 伝説の剣豪