伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【平山行蔵】日本最強は誰?流派は?

   

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【平山行蔵】です。

【平山行蔵】は、やり過ぎた修行が有名な、生まれる時代を完全に間違えた伝説の剣豪です。

では【平山行蔵】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

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平山行蔵 

名前:平山行蔵

流派:講武実用流

出身:江戸

年代:江戸時代後期(1759~1828)

 

平山行蔵は、代々御家人の家系で伊賀組同心・平山甚五左衛門勝籌の子として生まれた。

祖父、父とも剣をよく行い、母も「髭なしますらお」と呼ばれるほどの女傑であった。

行蔵は山田松斎に真貫流を学び、自ら忠孝真貫流、後に講武実用流と称した。

師匠の松斎は「女は修行の妨げ」といって自分の一物を斬って捨てたといわれており、行蔵もそこまでのことはしないが修行も明け暮れて独身を通している。

 

 

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行蔵は自ら道場を持つようになっても兵法修行は怠らず、真貫流のほかにも長沼流軍学、大島流槍術、渋川流柔術、竹内流腰之廻、武衛流砲術をはじめ、水泳、馬術、弓術、棒術など武芸百般に通じ、学問についても和漢の書物8,000書を読破して儒学を基礎に、農政・土木学に至るまで習得したという。

毎朝寅の刻(4時)に起きると冷水を浴び、9尺の棒を振ること500回、4尺の居合刀を抜くこと200~300回、丸太に鬼の面を立てかけてこれを8尺の樫の棒で打っていた。

また行蔵は読書の際には欅の板を両拳で叩いて拳骨を鍛えていたため、石のように固くなった拳で人の胸ぐらいは突き砕けると豪語している。

食事は常に玄米を食し、副食は味噌と香の物。ただ、冷や酒を呑むことは年老いて中風になってもやめなかった。

61歳になるまで土間や板の間にごろ寝して、甲冑を着けたまま寝ることも多かったという。

自宅は道場を兼ねていて、居間には長刀、木刀、長竹刀、槍に始まり、大砲、抱え筒、鉄砲、鉄棒、薙刀などの武具が乱雑に詰め込まれ、庭は草はボウボウ、玄関には「他流試合勝手次第。飛道具そのほか矢玉にても苦しからず」と書いた板を掲げていた。

行蔵は背丈が低かったにもかかわらず、3尺8寸(約115cm)という長い刀を差して歩き、鞘尻が地面に擦るの銅金で覆っていた。

終生「武」一辺倒の人物であったが、高名な幕府要人や儒学者などとも交流も深く、天下無双で知られた力士・雷電為右衛門と力比べ「胸押し」を3度やって3度とも行蔵が勝ったという。

「べらぼうめ」が口癖で、世の文弱な風潮に憤激しながら、文政11年(1828)に70歳で没した。

 

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

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平山行蔵は、完全に生まれる時を間違えた「剣豪」。

戦国時代以前であれば、武芸者として重宝されたと思いますが、平和な江戸時代にあって行蔵の「武」への行き過ぎた追及は、もはや変人としか言いようがないw。

他流試合歓迎の看板が掲げられていても、お化け屋敷のような道場なんかには誰も挑戦しにこないでしょう。

ただ、そんな変人であっても交流の幅が広く、門弟に勝海舟の父・勝小吉がいます。

勝海舟は子供の頃にめちゃくちゃハードな稽古を強制されていたのは、この行蔵の影響を受けた父のせいなのでしょう。

 

ところで、行蔵の師匠・・・アレを自分で切っちゃうなんで狂ってやがる・・・

女のことは精神の修行でなんとかせーよ。剣豪なんだからwww

弟子も師匠もやりすぎだわ

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 - 伝説の剣豪