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伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【河上彦斎】日本最強は誰?流派は?

投稿日:2018年5月3日 更新日:

はじめに

この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【河上彦斎】です。【河上彦斎】は漫画「るろうに剣心」のモデルとなっている幕末の人斬りとして有名な伝説の剣豪です。それでは【河上彦斎】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。

 

出典:https://www.pinterest.jp/

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 河上彦斎

名前:河上彦斎

流派:?

出身:肥後国

年代:江戸時代末期~明治(1834~1872)

我流の剣豪

河上彦斎は肥後国熊本藩の下級藩士・小森貞助と妻・和歌の次男として生まれました。

初め名前は彦次郎であったが、同藩士の河上源兵衛(彦兵衛)の養子となって名を彦斎と改めています。

16歳で茶坊主として出仕した彦斎は、儒学者・轟武兵衛や国学者・林桜園に師事して神風連の乱の首領となる太田黒伴雄らと同門となり、兵法は宮部鼎蔵に学んで尊皇攘夷の志を強めていきました。

容姿は身の丈5尺(150cm)と小柄で色白だったため、女性の様であったといいます。

剣は流派を持たず我流であり、竹刀稽古ではいつも叩かれて負けばかりだったようです。

しかし、彦斎はひとたび真剣を握れば居合の鋭さに加え、袈裟斬りなどの実戦剣術は誰も敵う者はありませんでした。

特に彦斎は片手抜刀の達人であったといわれ、当時の熊本藩で最も盛んだった居合の「伯耆流」を学んだのでいたのではないかといわれています。

 

出典:https://s.maho.jp/

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長州との結びつき

万延元年(1860)、桜田門外の変が起こった際、細川藩邸を訪ねてきた水戸の志士たちに感動した彦斎は、彼らの傷の手当までして犯罪者ではなく、志士として厚遇しました。

これで完全に尊王攘夷に目覚めてしまった彦斎は、清河八郎らと交わって尊皇攘夷活動を始め、文久3年(1863)には熊本藩親兵選抜となって宮部鼎蔵らと同格の幹部に推されるようになります。

彦斎は特に長州藩士とは親しくしていたようで、京の御所護衛の前には尊王攘夷派志士と共に酒を飲んでいました。

そこで志士たちは幕府役人の悪口を言うと、隅で話を聞いていた彦斎は突如飛び出して、しばらくするとその役人の首を持って戻って来たといいます。

このように、この時期の彦斎は記録に残らない人斬りを多く行っていたといわれています。

その後、八月十八日の政変で長州が京を追われると、彦斎は共に長州に移って三条実美の警護を務めました。

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彦斎、暗殺やめるってよ

元治元年(1864)、池田屋事件が起こり、旧友・宮部鼎蔵が討たれことを知った彦斎は仇を討つべく京へ向かいます。

京で彦斎は公武合体派の佐幕開国論者の重鎮・佐久間象山が事件の黒幕と信じ込み、『西洋の馬の鞍を使って神聖な京の街を汚した』いう難癖をつけて斬り殺しました。

この時、彦斎は「人を斬る時はまるで人形を斬るようなものだった。しかし象山のときは違った。初めて人を斬った感じがした。おそらく象山が人傑だったからだろう」と語り、身の毛がよだち、はじめて恐怖感に襲われたと語っています。

そしてこの経験があって以降、彦斎は暗殺剣を振るうことはなくなりました。

 

その後、彦斎は長州藩と共に行動し、禁門の変や第二次長州征伐に参戦。

慶応3年(1867)には熊本に戻りましたが、この頃の熊本藩は佐幕派が実権を握っていたために彦斎は投獄されてしまいます。

そして彦斎は大政奉還、王政復古、鳥羽・伏見の戦いなど、歴史の重要な転換期を獄舎の中で過ごしました。

やがて新政府側が優位となると、熊本藩は維新の波に乗ろうと考え、彦斎を出獄させて利用しようとします。

しかし、彦斎が藩への協力を拒否したため、熊本藩は新政府の中枢へ食い込むことはできませんでした。

 

出典:https://games.app-liv.jp/

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新政府に疎まれた彦斎

明治元年(1868)、彦斎は藩主の弟・長岡護美に従って上京し、高田源兵衛と改名します。

この改名は佐久間象山の息子・佐久間恪二郎(三浦啓之助)が彦斎の命を狙っているとの噂があったためといいます。

その後、彦斎は中山道や東北地方を遊説して尊皇思想を説いていましたが、この頃になっても彦斎は攘夷思想を捨て去ることができませんでした。

開国政策を進める新政府は彦斎のような攘夷論者を疎ましく思っていたため、懇意にしていた長州出身の木戸孝允も彦斎には会おうともしませんでした。

一時期、長州に逃れていたことがある三条実美も「彦斎が生きているうちは枕を高くして寝られない」と側近に漏らしていたといいます。

 

明治2年(1869)、彦斎は鶴崎に左遷されると、当地で『有終館』を設立して兵法と学問を教え、数百の兵を集めて朝鮮、北海道との交易にも着手します。

しかし、藩から突然免職の通知を受けて『有終館』は解散。

仕方なく熊本に戻った彦斎には様々な暗殺事件への関与が疑われ、再び藩獄に繋がれたのちに江戸に送られました。

そして明治4年(1872)に彦斎は日本橋小伝馬町で斬首されます。

新政府の方針に従わず、危険な攘夷論者と見なされための処刑であったとされています。

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おわりに

河上彦斎は礼儀正しい温和な人物でしたが、平気で人を斬る残忍性も合わせ持っていたといいます。

また、彦斎は記録に残る暗殺は佐久間象山だけですが、記録に残っていない人斬り数はヤバかったらしいです。

同じ人斬りで恐れられた岡田以蔵の記録はかなり残っているにも関わらず、長生きした彦斎の記録がほとんど残っていないことが不気味さと感じさせてくれます。

もしかすると長州藩による「もみ消し」があったのかも。

新政府にとって彦斎は都合の悪い秘密をたくさん握っている危険人物だったのかもしれませんね。

長州藩とあれだけ仲良くしていたのに、バッサリ切り捨てられてしまうところは、剣心の最大のライバル・志々雄真実のモデルにもなっているのかな?

 

、出典:https://ddnavi.com/

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時代 剣豪名 流派
平安 鬼一 法眼 京八流
源 判官 義経 太刀の術
室町 念阿弥 慈恩(相馬 義元) 念流
中条 兵庫頭 長秀 中条流
飯篠 長威斎 家直 天真正伝香取神道流
松本 備前守 政信 鹿島神流
愛洲 移香斎 久忠 陰流
戦国 塚原 卜伝 高幹 鹿島新當流
山本 勘助 晴幸 京流
竹内 中務大夫 久盛 竹内流
上泉 伊勢守 信綱 新陰流
宝蔵院 胤栄 宝蔵院流
富田 五郎左衛門 勢源 富田流
奥山 休賀斎 公重 神影流
柳生 石舟斎 宗厳 柳生新陰流
北畠 具教 鹿島新當流
師岡 一羽 常成 一羽流
足利 義輝 鹿島新當流・新陰流
疋田 豊五郎 景兼 疋田陰流
丸目 蔵人 長恵 タイ捨流
林崎 甚助 重信 神夢想林崎流
根岸 兎角(信太 朝勝) 微塵流
伊藤 一刀斎 景久 一刀流
斎藤 伝鬼坊 勝秀 天流
真壁 暗夜軒 氏幹 霞流
富田 越後守 重政 富田流
樋口 又七郎 定次 馬庭念流
吉岡 憲法 直綱 吉岡流
江戸 東郷 重位 示現流
小野 忠明(神子上 典膳) 小野派一刀流
小笠原 源信斎 長治 真新陰流
柳生 但馬守 宗矩 柳生新陰流
片山 伯耆守 久安 片山伯耆流
鐘捲 自斎 通家 鐘捲流
柳生 兵庫助 利厳 柳生新陰流
松山 主水 大吉 二階堂平法
夢想 権之助(山本 勝吉) 神道夢想流
小栗 仁右衛門 正信 小栗流
宮本 武蔵 玄信 二天一流
高田 又兵衛 吉次 宝蔵院流
神谷 伝心斎 直光 直心流
針ヶ谷 夕雲 正成 無住心剣流
上泉 義胤(上泉 秀信) 民弥流
松林 蝙也斎 永吉 夢想願流
田宮 平兵衛 重正 田宮流
荒木 又右衛門 保知 柳生新陰流
佐々木 巌流 小次郎 巌流
伊藤 典膳 忠也 忠也派一刀流
柳生 十兵衛 三厳 柳生新陰流
薬丸 兼陳 薬丸自顕流
柳生 連也斎 厳包 柳生新陰流
関口 八郎左衛門 氏業 関口流
高田 三之丞 為長 柳生新陰流
伊庭 是水軒 秀明 心形刀流
今枝 佐仲 良台 初實剣理方一流
辻 月丹 資茂 無外流
高木 馬之輔 重貞 高木流
真里谷 円四郎 義旭 無住心剣流
堀部 安兵衛 武庸 馬庭念流
樋口 十郎兵衛 定暠 馬庭念流
楳本 法神 政武 法神流
寺田 五右衛門 宗有 天真一刀流
戸賀崎 熊太郎 暉芳 神道無念流
近藤 内蔵之助 長裕 天然理心流
平山 行蔵 講武実用流
岡田 十松 吉利 神道無念流
岡田 惣右衛門 寄良 柳剛流
浅利 又七郎 義信 中西派一刀流
白井 亨 義兼 天真一刀流
中西 忠兵衛 子正 中西派一刀流
千葉 周作 成政 北辰一刀流
大石 進 種次 大石新陰流
男谷 精一郎 信友 直心影流
高柳 又四郎 義正 中西派一刀流
伊庭 軍兵衛 秀業 心形刀流
幕末 斎藤 弥九郎 善道 神道無念流
大川 平兵衛 英勝 神道無念流
加藤田 平八郎 重秀 加藤田新陰流
遠藤 五平太 正贇 中西派一刀流
島田 虎之助 直親 直心影流
逸見 小源太 長英 甲源一刀流
橘 内蔵介 正以 柳剛流
浅利 又七郎 義明 中西派一刀流
勝 海舟 安邦 直心影流
桃井 春蔵 直正 鏡新明智流
大山 格之助 綱良 薬丸自顕流
宇野 金太郎 重義 片山伯耆流
斎藤 新太郎 龍善 神道無念流
清河 八郎 正明 北辰一刀流
黒河内 伝五郎 兼規 神夢想一刀流
仏生寺 弥助 神道無念流
上田 馬之助 美忠 鏡新明智流
高杉 晋作 春風 神道無念流・柳生新陰流
桂 小五郎(木戸 孝允) 神道無念流
佐々木 只三郎 泰昌 神道精武流
斎藤 歓之助 歓道 神道無念流
千葉 栄次郎 成之 北辰一刀流
河上 彦斎 玄明 我流
近藤 勇 昌宜 天然理心流
坂本 龍馬 直柔 北辰一刀流
高橋 泥舟(高橋 伊勢守) 自得院流
土方 歳三 義豊 天然理心流
沖田 総司 房良 天然理心流
永倉 新八(長倉 載之) 神道無念流
伊庭 八郎 秀穎 心形刀流
斎藤 一(藤田 五郎) 無外流
岡田 以蔵 宜振 鏡新明智流
中村 半次郎(桐野 利秋) 薬丸自顕流
明治 山岡 鉄舟 高歩 一刀正伝無刀流
榊原 鍵吉 友善 直心影流
松崎 浪四郎 直之 加藤田新陰流
渡辺 昇 武常 神道無念流
奥村 左近太 奥村二刀流・直心影流
得能 関四郎 通久 直心影流
牟田 文之助 高惇 鉄人流
根岸 信五郎 資剛 神道無念流
門奈 正 水府流・北辰一刀流
高山 峰三郎 直心影流
逸見 宗助 立身流
高橋 赳太郎 高運 無外流
本間 三郎 本間念流
川崎 善三郎 重徳 無外流
高野 佐三郎 豊正 中西派一刀流
内藤 高治 北辰一刀流
山田 次朗吉 鹿島神傳直心影流
中山 博道 神道無念流

 

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