伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【源義経】日本最強は誰?流派は?

      2017/07/19

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は、超有名人で伝説の剣豪【源義経】です。

【源義経】については、弁慶との決闘、源平合戦での活躍は紹介するまでもありません。剣豪としては太刀打ちの技を最初に覚えたと者とされています。

では【源義経】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

 

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源義経

名前:源義経

流派:京八流?

出身:山城国

年代:平安時代後期(1159~1189)

 

牛若丸と呼ばれた少年時代から、武道を好み、鞍馬山での修業時代に僧を相手に剣術を習ったとも、鬼一法源から術を授けられたとも様々な剣豪としての逸話がある。

平家打倒時の話としては、体が小さく非力で弱い弓しか引けなかったとあるが、その代わりに奥州で鍛えられた巧みな馬術と八艘跳びをするような身体能力を活かした活躍ぶりは目を見張るものがある。おそらく身体能力には自信のあった源義経は、将来行動を共にしていく坂東武者たちとは全く武術を習得する方法が違っている。

つまり、少年時代に一番大事だったものは、孤独な境遇で身を守るための太刀の術であって、広い場所と多くの馬を必要とするような弓馬の術ではなかった。

源義経は、大将の家に生まれながらも悲しき境遇から大将としての技は習うことができず、代わりに僧兵たちから学んだのは個人戦闘、小部隊での戦いに備えた太刀の術であった。

源義経についていった弁慶たちも、この個人的武術の才能に惚れたところもあるだろうし、これがなければ鞍馬寺からも出ることが叶わなかったかもしれない。

こうして個人的武術を極めた源義経は、その後奥州に渡り馬術を習得するが、平氏を追い詰めていく中で見せた源義経の馬の機動戦術は、坂東武者の一騎打ち方式の弓を主体にしたものではなく、近代の騎兵が用いる馬で相手を蹂躙するものであり、革命的な戦術の才も開花させていくのである。

 

 

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出典:http://blog.livedoor.jp/

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源義経の個人的戦闘能力の高さがあってこそ、平家打倒を成し遂げられたと思うが、その能力の高さが驕りや嫉妬、妬みを生んで結果的に身を滅ぼしてしまうなんて悲しすぎます。

源義経は悲劇のヒーローとして描かれ、日本人特有の感情「判官贔屓」の語源にもなっている人物ですが、私もモロにその「判官贔屓」の感情を持っていて、源義経のような悲劇のヒーローばかり好きになってしまいます。

ところで、源義経のような悲劇のヒーロー(ヤマトタケル、北畠顕家、真田幸村、沖田総司諸々)は、なぜ美男子風になってしまうのでしょうか?

いつからこの風潮は始まったんですかね?上の肖像画なんてちっさいオッサンなのに・・・昔はこれが美男子だったのかな?

 

 

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出典:http://kajipon.sakura.ne.jp/

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