はじめに
この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【師岡一羽】です。【師岡一羽】は中世における正統派剣術・香取神道流、鹿島新當流の両方を学んだ伝説の剣豪です。それでは【師岡一羽】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。
師岡一羽
名前:師岡一羽常成
流派:一羽流
出身:常陸国
年代:戦国時代(1532~1593)
香取、鹿島の剣を引き継ぐ一羽流
師岡一羽の名は一羽斎、一巴斎、一波とも伝わっていますが、本名は常成といいます。
出自は美濃国の土岐氏一族の家系とされ、師岡常良の子として誕生しました。
伝書では香取神道流3代の飯篠盛近から師岡左京進(常良?)を経たのちに師岡一羽に繋がっていることから、一羽ははじめ「香取神道流」を学んだあとに塚原卜伝の弟子となって「鹿島新當流」を学び、のちに自分の流派「一羽流」を立てと考えられています。
一羽は常陸国江戸崎城の土岐氏族の原氏に仕えましたが、原氏は北条氏に属したために豊臣秀吉の小田原征伐では佐竹義重に攻められ敗れました。
この時、すでに剣豪として有名だった一羽は蘆名盛重から仕官をすすめられますが、それを固辞して兵法家として道場を開きました。
一羽は根岸兎角、岩間小熊之助、土子土呂助ら門人を育て、「一羽流」を広めましたが、晩年はハンセン病となり闘病生活の末に死去しました。
一羽の弟子達は「一羽流」以外に「一波流」、「卜傳流」、「微塵流」、「鹿島神道流」などの様々な流名を名乗り、幕末に活躍した新撰組の近藤勇が使う「天然理心流」もその系統といわれています。
おわりに
「一羽流」の開祖として有名な剣豪ではあるが、特にエピソードは残っていない静かな剣豪。
この頃の剣豪にあちがちな「神様のおつげを得て必殺技がひらめき、自分の流派を立てた」というような胡散臭い自己アピールをしていないところが、逆に好感を持てます。
香取、鹿島の正統派を引き継ぎつつ、研鑽を重ねて自分の流派を立ちあげた真面目な剣術オタクといったところでしょうか。
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