伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【千葉周作】日本最強は誰?流派は?

      2019/12/27

はじめに

この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を含めて紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【千葉周作】です。【千葉周作】は幕末の重要人物たちが多く学んでいた北辰一刀流の創始者で道場剣術に革命を興した伝説の剣豪です。それでは【千葉周作】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。

 

出典:http://seesaawiki.jp/

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千葉周作 

名前:千葉周作

流派:北辰一刀流

出身:陸奥国

年代:江戸時代後期(1794~1855)

音無の剣、破れたり

千葉周作は寛政6年(1794)に千葉忠左衛門成胤の子として陸前国に生まれました。

周作が5歳になった頃、父は周作だけを連れて家出をし、宮城県栗原郡荒谷村の斗瑩稲荷神社境内に居を構えると、周作は地元の千葉吉之丞常成から「北辰夢想流」の剣術を学ぶことになりました。

その後、父と共に江戸に移った周作は馬医者を開業する傍ら、「中西派一刀流」の浅利又七郎義信に入門。

ここで周作は腕を認められ、浅利又七郎義信の推薦で中西忠兵衛子正の中西道場で教授を受けることとなりました。

 

この頃、中西道場には「三羽烏」と呼ばれた高柳又四郎寺田宗有白井亨が在籍しており、新人だった周作には誰も見向きもしてくれませんでした。

しかし、周作の才能は腐ることはなく、3年間の修行後、ついに免許皆伝を受けることになります。

すると免許祝いの試合に立合いたいと、先輩の高柳又四郎が申し出てきました。

高柳又四郎は初心者であろうとも「自分の修行になるから」と容赦ない剣を振るい、教えてもらって上達した者は一人もいなかったという人物。

高柳又四郎の得意技はまず相手の動きを誘い、相手が打ち込んできた隙にカウンターを決めるというもので、相手の竹刀は又四郎の竹刀にかすりもしないので『音無しの構え』として有名でした。

そんな高柳又四郎の剣や教育方法に、周作も嫌悪感を持っていたともいわれています。

 

試合では双方が相手の動きを待ち続けた結果、高柳又四郎の方がしびれを切らして誘いをかけてきました。

するとその瞬間、周作はすさまじい勢いで床を蹴り、道場内に竹刀のぶつかり合う音と板の割れる音が響きわたります。

結果は、周作の竹刀が高柳又四郎の面を、高柳又四郎の竹刀が周作の籠手を叩いていて相打ち。

しかし、『音無し』を自負していた高柳又四郎の誇りは丸つぶれとなり、逆に気合とともに周作が踏み割ってしまった床板は、中西道場に記念として掲げられたといいます。

 

出典:http://www.raizofan.net/

 

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分かり易い剣術へ

その後、周作は浅利又七郎義信の婿となって浅利道場を継ぎますが、組太刀の変革を訴えて浅利又七郎義信と意見が対立し、周作は妻を連れて独立を決意。

周作は「北辰夢想流」と「中西派一刀流」を合わせて「北辰一刀流」を創始し、流派を広めるべく武蔵・上野、信濃などを巡って他流試合を行い、門弟を増やしていきました。

周作は生活のために道場破り的なことも行なっており、剣名を上げるために上野国・伊香保神社に奉納額を掲げようとしたときにはなどは、有力な門人を引き抜かれた地元の「馬庭念流」の一門から阻止されたりしています。

結果的にこの騒動で「北辰一刀流」は名を上げることになりますが、上野国からは撤退することになり、文政5年(1822)に周作は江戸に戻って道場『玄武館』を建てて門人を迎えることにしました。

周作の教える「北辰一刀流」の剣術は非常に合理化され、竹刀や防具を使用して試合形式で腕を磨くものであり、昇段を簡略化、基準を明確化したために「他の道場なら3年かかるところを、1年で修得できる」とたちまち評判になっていきます。

『剣術初心稽古心得』には「稽古前の食事は軽く。多く食べれば息合いが早く弱くなる」と簡単明瞭に説明し、また『剣術修行心得』では「気は早く 心は静かに 身は軽く 目は明らかに 業は激しく」など歌も添えるなど、楽しく剣術を覚えさせる工夫を行っていました。

また、諸藩の士のため宿舎も用意し「育てて藩にお返しする」という姿勢を示したことで「北辰一刀流」は爆発的に門弟を増やし、「技の千葉(玄武館)、力の斎藤(練兵館)、位の桃井(士学館)」と評され、江戸剣術の一大流派となっていきました。

ちなみに周作の門下からは、清河八郎山岡鉄舟、弟の千葉定吉の門下からは坂本龍馬などの幕末の重要人物を多数輩出しています。

 

出典:http://toukidenquizbattle.replays.net/

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徹底した合理主義

天保3年(1832)、江戸中の道場を次々に破って話題となっていた大石進が玄武館にもやってきました。

大石進の得意技は7尺(210cm)の長身、5尺3寸の長竹刀から繰り出される左片手突き。

この時、周作がとった対抗策は突きを防ぐために樽のふたを竹刀の鍔に使用して盾のように扱うというものでした。

二人の勝負は引き分けとなりますが、一見卑怯にも思える周作の策は「特殊な武器には、特殊な武器で対応する」という合理的な考えを象徴するものでありました。

天保10年(1839)、周作は水戸藩主・徳川斉昭の招きを受けて剣術師範、馬廻役として出仕し、次男・栄次郎、三男・道三郎もそれぞれ水戸藩の馬廻役となります。

このため「北辰一刀流」は水戸藩と深く繋がり、門弟の塚田孔平などは水戸弘道館で相澤正志斎、戸田銀次郎、藤田東湖らと親交して水戸天狗党の乱にかかわっていくことにもなります。

 

出典:http://greatman.merrymall.net/

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おわりに

千葉周作はこれまでの神秘的な厳しい修行の中で、神がかり的に奥義を会得するという従来の方法を完全に否定し、剣術のマニュアル化によって剣術を身近なものにした「剣豪」の中の革命者。

ひたすら精神修行だと言われ、しごかれ、泣いてきた江戸の「ゆとり侍」に周作のやり方がウケないわけありません。

藩士たちのために宿舎を備えた道場を作るなど、経営者としての才能も発揮した周作は非常に頭のキレる人物だったのでしょう。

また、周作は中西道場入門時のことを振り返り、「道場内は中西子正派、寺田宗有派、白井亨派の三派に分かれ、始終稽古が一致しない。このため毎回議論があって、何とも難しいものだ」と語っています。

江戸随一と呼ばれた中西道場での経験から、周作は「分かり易い剣術」が必要であると感じていたのかもしれません。

怪物・大石進への対抗策は卑怯なやり方のように感じてしまいますが、「バカ長い竹刀がOKなら盾付き竹刀もOK!」と言ってしまえば反論しようもない。

道場経営者としては負けなきゃいいんですから。

この割り切った考え方ができた周作は、歴史の中で数多くいた「伝説の剣豪」の中でも極めて異才を放っていると思います。

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剣豪名をクリックすると個別の剣豪紹介記事が見れます↓

時代 剣豪名 流派
平安 鬼一 法眼 京八流
源 判官 義経 太刀の術
室町 念阿弥 慈恩(相馬 義元) 念流
中条 兵庫頭 長秀 中条流
飯篠 長威斎 家直 天真正伝香取神道流
松本 備前守 政信 鹿島神流
愛洲 移香斎 久忠 陰流
戦国 塚原 卜伝 高幹 鹿島新當流
山本 勘助 晴幸 京流
竹内 中務大夫 久盛 竹内流
上泉 伊勢守 信綱 新陰流
宝蔵院 胤栄 宝蔵院流
富田 五郎左衛門 勢源 富田流
奥山 休賀斎 公重 神影流
柳生 石舟斎 宗厳 柳生新陰流
北畠 具教 鹿島新當流
師岡 一羽 常成 一羽流
足利 義輝 鹿島新當流・新陰流
疋田 豊五郎 景兼 疋田陰流
丸目 蔵人 長恵 タイ捨流
林崎 甚助 重信 神夢想林崎流
根岸 兎角(信太 朝勝) 微塵流
伊藤 一刀斎 景久 一刀流
斎藤 伝鬼坊 勝秀 天流
真壁 暗夜軒 氏幹 霞流
富田 越後守 重政 富田流
樋口 又七郎 定次 馬庭念流
吉岡 憲法 直綱 吉岡流
江戸 東郷 重位 示現流
小野 忠明(神子上 典膳) 小野派一刀流
小笠原 源信斎 長治 真新陰流
柳生 但馬守 宗矩 柳生新陰流
片山 伯耆守 久安 片山伯耆流
鐘捲 自斎 通家 鐘捲流
柳生 兵庫助 利厳 柳生新陰流
松山 主水 大吉 二階堂平法
夢想 権之助(山本 勝吉) 神道夢想流
小栗 仁右衛門 正信 小栗流
宮本 武蔵 玄信 二天一流
高田 又兵衛 吉次 宝蔵院流
神谷 伝心斎 直光 直心流
針ヶ谷 夕雲 正成 無住心剣流
上泉 義胤(上泉 秀信) 民弥流
松林 蝙也斎 永吉 夢想願流
田宮 平兵衛 重正 田宮流
荒木 又右衛門 保知 柳生新陰流
佐々木 巌流 小次郎 巌流
伊藤 典膳 忠也 忠也派一刀流
柳生 十兵衛 三厳 柳生新陰流
薬丸 兼陳 薬丸自顕流
柳生 連也斎 厳包 柳生新陰流
関口 八郎左衛門 氏業 関口流
高田 三之丞 為長 柳生新陰流
伊庭 是水軒 秀明 心形刀流
今枝 佐仲 良台 初實剣理方一流
辻 月丹 資茂 無外流
高木 馬之輔 重貞 高木流
真里谷 円四郎 義旭 無住心剣流
堀部 安兵衛 武庸 馬庭念流
樋口 十郎兵衛 定暠 馬庭念流
楳本 法神 政武 法神流
寺田 五右衛門 宗有 天真一刀流
戸賀崎 熊太郎 暉芳 神道無念流
近藤 内蔵之助 長裕 天然理心流
平山 行蔵 講武実用流
岡田 十松 吉利 神道無念流
岡田 惣右衛門 寄良 柳剛流
浅利 又七郎 義信 中西派一刀流
白井 亨 義兼 天真一刀流
中西 忠兵衛 子正 中西派一刀流
千葉 周作 成政 北辰一刀流
大石 進 種次 大石新陰流
男谷 精一郎 信友 直心影流
高柳 又四郎 義正 中西派一刀流
伊庭 軍兵衛 秀業 心形刀流
幕末 斎藤 弥九郎 善道 神道無念流
大川 平兵衛 英勝 神道無念流
加藤田 平八郎 重秀 加藤田新陰流
遠藤 五平太 正贇 中西派一刀流
島田 虎之助 直親 直心影流
逸見 小源太 長英 甲源一刀流
橘 内蔵介 正以 柳剛流
浅利 又七郎 義明 中西派一刀流
勝 海舟 安邦 直心影流
桃井 春蔵 直正 鏡新明智流
大山 格之助 綱良 薬丸自顕流
宇野 金太郎 重義 片山伯耆流
斎藤 新太郎 龍善 神道無念流
清河 八郎 正明 北辰一刀流
黒河内 伝五郎 兼規 神夢想一刀流
仏生寺 弥助 神道無念流
上田 馬之助 美忠 鏡新明智流
高杉 晋作 春風 神道無念流・柳生新陰流
桂 小五郎(木戸 孝允) 神道無念流
佐々木 只三郎 泰昌 神道精武流
斎藤 歓之助 歓道 神道無念流
千葉 栄次郎 成之 北辰一刀流
河上 彦斎 玄明 我流
近藤 勇 昌宜 天然理心流
坂本 龍馬 直柔 北辰一刀流
高橋 泥舟(高橋 伊勢守) 自得院流
土方 歳三 義豊 天然理心流
沖田 総司 房良 天然理心流
永倉 新八(長倉 載之) 神道無念流
伊庭 八郎 秀穎 心形刀流
斎藤 一(藤田 五郎) 無外流
岡田 以蔵 宜振 鏡新明智流
中村 半次郎(桐野 利秋) 薬丸自顕流
明治 山岡 鉄舟 高歩 一刀正伝無刀流
榊原 鍵吉 友善 直心影流
松崎 浪四郎 直之 加藤田新陰流
渡辺 昇 武常 神道無念流
奥村 左近太 奥村二刀流・直心影流
得能 関四郎 通久 直心影流
牟田 文之助 高惇 鉄人流
根岸 信五郎 資剛 神道無念流
門奈 正 水府流・北辰一刀流
高山 峰三郎 直心影流
逸見 宗助 立身流
高橋 赳太郎 高運 無外流
本間 三郎 本間念流
川崎 善三郎 重徳 無外流
高野 佐三郎 豊正 中西派一刀流
内藤 高治 北辰一刀流
山田 次朗吉 鹿島神傳直心影流
中山 博道 神道無念流

 

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