伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【塚原卜伝】日本最強は誰?流派は?

      2017/07/19

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介するのは剣聖と呼び声高い【塚原卜伝】です。

【塚原卜伝】は、人生のほとんどを修行の旅で過ごした武者修行大好きな伝説の剣豪です。

超有名人なのでいまさら説明するまでもありませんが、「日本の剣豪」を語る上では【塚原卜伝】について避けて通れません。

というわけで、【塚原卜伝】の流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

 

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塚原卜伝

名前:塚原卜伝

流派:鹿島新當流

出身:常陸国

年代:室町時代後期~戦国時代(1489~1571)

 

塚原卜伝は延徳元年(1489)に卜部吉川家・吉川左京覚賢の次男として誕生。

幼い頃より、父・覚賢から家伝の武術を教えられ、鹿島上古流、中古流と続く鹿島の剣を身に付けていた。

そして同じ鹿島氏族の塚原城主・塚原土佐守安幹に請われて元服を待たずして養子となる。

塚原安幹は天真正伝香取神道流の創始者・飯篠長威斎直家の高弟であり、養子となった塚原卜伝に香取神道流の指導を行った。

つまり塚原卜伝は若くして家伝の鹿島の剣と香取神道流の両方を学んだことになる。

元服して塚原新右衛門高幹と名乗り、すぐに武者修行の旅に出発。

17歳のとき、京都清水寺にて真剣の立ち合いを行って相手を切り倒すなど、すでに剣の腕は飛びぬけたものがあった。

しかし、塚原卜伝はこの後京都を去り、諸国を巡り多くの戦場で戦働きと真剣勝負に明け暮れた。

真剣勝負19回、戦場での働き37回、一度も不覚をとらず、矢傷7か所以外は傷を受けず、立ち合いで212人を討ったと伝わっている。

そして、20代の終わりに鹿島に戻ったが、この時の塚原卜伝の心は長く続く戦の日々に疲れ、荒んでいた。

 

 

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出典:http://blog.goo.ne.jp/

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その後、養父・塚原安幹の薦めで鹿島城の宿老・松本備前守政信に就いて再び剣の道に没頭することになる。

松本政信は「一つの太刀」を開眼し、直心影流や鹿島神流の始祖として知られる剣豪である。

塚原卜伝は、松本政信に倣い鹿島神宮において千日の修行を行い、ついに「一つの太刀」を開眼。これによって自らの剣を鹿島新當流を興し、名前を新右衛門から卜伝に改めた。

自らの流派を興した塚原卜伝は、この後、約10年間の武者修行に出発。

この武者修行中、塚原卜伝は左右片手斬りを得意とする兵法者と真剣勝負をすることになった。

塚原卜伝は、「左の片手斬りは卑怯だから試合ではやらないように」と10回以上も申し入れる。

執拗な申し出に兵法者は、塚原卜伝が左の片手斬りを苦手にしていると思い、立ち合うやいなや左の片手斬りを繰り出す。

相手の手を読んでいた塚原卜伝は、いとも簡単に切り倒してしまった。

また、下総の梶原長門という長刀(薙刀)の名人とも塚原卜伝は立ち合う。

梶原長門は、空を飛ぶ燕さえも斬り落とす名人であった。

しかし、塚原卜伝は「長門は自分より強いものを見ていないから天狗になっているだけだ。弱いものを相手にして強いというのは本当の強さではない。」と言い放ち、一刀のもとに斬り伏せた。

そして「このまま長門を生かしたら、今後何人斬るか分からないので私が長門を斬った。」と話したという。

このころから、塚原卜伝の剣はこれまでの殺人剣ではなく、無益な殺生を避けるようになっていく。

さらに約10年後、京都で実父・覚賢の死を知った塚原卜伝は再び鹿島に戻る。

塚原城主として城内の経営に携わり、45歳を過ぎて妻を娶るが10年ほどで妻は他界。

塚原卜伝は妻の菩提を弔うと養子の彦四郎幹重に城主を譲り、弘治二年(1556)に3回目の武者修行に出発。

このとき年齢は68歳。

今川館では今川氏真を指導し、京都では将軍・足利義輝に「一つの太刀」を授ける。また、伊勢では北畠具教に武術を指南し、甲斐では山本勘助を訪ねている。

その武者修行中の姿は「門人100余人を引き連れ、鷹を据えさせ、乗り換え用の馬を3匹引かせていた。」とある。

武者修行を終えた塚原卜伝は、塚原城の近くに草庵を建てて悠々自適の晩年を送り、元亀2年(1571)3月11日、83歳で天寿を全うした。

 

 

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出典:https://xn---sentama--kc8rq5y0s4c734g.gamematome.jp/

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出典:https://matome.naver.jp/

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真田丸の前に、NHKでやってた堺雅人主演の若き日の塚原卜伝のドラマ、結構好きでした。

でも、塚原卜伝といえば上泉伊勢守信綱のような品格のある剣豪ではなく、どこか老獪でずる賢い年老いた剣豪のイメージがつきまといます。

兵法者との立ち合いで相手をひっかけたり、年をとったら門人をたくさん引き連れて誰も近づけないといったエピソードがこのイメージを作ってしまっていると思いますが、結局この時代(というか、いつの時代でも)は生き残った者勝ちなんですよ。実力もなく、卑怯なことばっかりやってたら門人100人もいないだろうし。

若い頃から仕込まれて、戦場にも出て培った生き残りの技こそ、塚原卜伝の極めた剣の真骨頂じゃないですか。

松本政信、塚原卜伝が鹿島神宮に千日籠って開眼した「一つの太刀」って、簡単に将軍さまができるようになるものなのかと疑ってしまいますが、きっと塚原卜伝は教えるのも天才だったんでしょう。

だから門人も多いし、色々なところに招かれてるってこと。

「剣聖」と呼ぶにふさわしい剣豪だと思います。

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