伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【堀部安兵衛】日本最強は誰?流派は?

   

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【堀部安兵衛】です。

【堀部安兵衛】は「忠臣蔵」でも有名な赤穂浪士の一人で仇討ちに最も急進的だった伝説の剣豪です。

では【堀部安兵衛】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

 

出典:http://edomae21.com/

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堀部安兵衛 

名前:堀部安兵衛武庸

流派:馬庭念流

出身:越後国

年代:江戸時代中期(1670~1703)

 

堀部安兵衛は、寛文10年(1670)に越後国新発田藩・溝口家家臣の中山弥次右衛門の長男として生まれた。

母は武庸を出産した直後に死去したため、安兵衛は母方の祖母を母代わりにして育てられたが、祖母が死去すると父のところへ戻り、以降は男手ひとつで育てられた。

しかし、安兵衛が13歳のとき、父は失火の責任を負って浪人となってしまう。

さらに浪人後、ほどなくして父が死去、安兵衛は母方の祖父に引き取られたが、その祖父も死去すると、姉・きんの嫁ぎ先である長井家に引き取られた。

安兵衛は、この長井家には居づらい思いをしたのか、19歳になると長井家の親戚・佐藤新五右衛門を頼って江戸へ出て、当時盛況だった堀内正春の堀内道場に入門する。

天賦の才と努力でたちまち頭角をあらわした安兵衛は、すぐさま免許皆伝となって堀内道場の四天王と呼ばれるようになった。

そんな中、親しくしていた同門の伊予国西条藩家臣・菅野六郎左衛門が果し合いをすることになり、安兵衛は助太刀を買って出る。

元禄7年(1694) に高田馬場で行われた決闘では、安兵衛は駆けつけるや否や3人を瞬く間に切り倒した。

この決闘での安兵衛の活躍が江戸で評判になり、これを知った赤穂藩家臣・堀部弥兵衛は安兵衛との養子縁組を望むこととなった。

安兵衛は養子縁組申入れに対して、はじめは中山家を潰すわけにはいかないと断っていたが、主君から中山姓のままでもよいという許可をもらった弥兵衛の思い入れは強く、ついに安兵衛も折れて堀部家の婿養子に入ることを決め、赤穂藩家臣となる。

その後、隠居した弥兵衛から家督相続して、結局安兵衛は堀部姓に変えることとなった。

 

出典:https://www.famitsu.com/

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赤穂藩で江戸詰めとなっていた安兵衛は御使番、馬廻役などで活躍していたが、元禄14年(1701)、主君・浅野内匠頭長矩が江戸城松之大廊下で吉良上野介義央を相手に刃傷事件を起こし、長矩は即日切腹、赤穂藩は取り潰しが決定してしまう。

これに安兵衛は仇討ち決行を主張するため、赤穂へ赴いて筆頭家老・大石内蔵助良雄と面会した。

しかし穏健派の大石内蔵助から浅野家再興を優先することを諭された安兵衛は、城の明け渡しを見届けて江戸に戻ることとなる。

江戸に戻った安兵衛は、それ後も仇討ちを主張し続けて急進派のリーダー格となり、大石内蔵助に対して江戸に来るよう書状を送り続けた。

たまりかねた大石内蔵助は急進派を抑えようと、主だった者たちを江戸に派遣したが、全員が安兵衛に論破されて急進派に加ってしまう。

大石内蔵助は、仕方なく自ら江戸へ下って安兵衛たちと会談し、一周忌の日に仇討決行を約束して京都へ戻った。

しかし、大石内蔵助は主君の一周忌が過ぎても仇討ちを決行しようとはせず、江戸にすら来ることはなかった。

業を煮やした安兵衛は、再び面会するために今度は自分が京都に向かった。

この時、安兵衛は説得不可能であれば大石内蔵助を斬り捨てるつもりだったという。

そんな中、絶妙のタイミングで浅野家再興が絶望的となったため、大石内蔵助もついに覚悟を決め、安兵衛に明確に仇討ちの意志を示した。

そして元禄15年(1703)、安兵衛ら赤穂浪士四十七士は吉良邸へ討ち入った。

安兵衛は裏門から突入し、大太刀を持って奮戦。

1時間あまりの戦いの末に赤穂浪士は吉良上野介を討ち取って本懐を遂げた。

討ち入り後、幕府からは赤穂浪士へ切腹が命じられ、安兵衛もその生涯を閉じた。享年34歳。
 

 

 

出典:https://www.oricon.co.jp/

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堀部安兵衛の名前は、現在では「忠臣蔵」の主要メンバーとして有名ですが、当時は若い頃から「剣豪」として有名だったようです。

その「剣豪」としての名前が轟いていたからこそ、養子縁組を強要され、赤穂藩に召し抱えられて、最後は34歳という若さで死んでしまうなんて。

しかし江戸時代という戦のない時代に、剣の腕だけで歴史に名を残すことがかなり難しかったことを考えると、『義士』として後世まで語り継がれる活躍ができた堀部安兵衛は「剣豪」としては幸せな人だったのかもしれません。

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