伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【奥山公重】日本最強は誰?流派は?

      2017/07/19

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。

日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は、超マニアック剣豪【奥山公重】です。

【奥山公重】は、剣聖として名高い上泉伊勢守信綱に師事し、信頼されていた剣豪です。

では【奥山公重】について流派や出身地も含め簡単に説明します。

 

 

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奥山公重

名前:奥山公重 奥山休賀斎

流派:神影流、奥山流

出身:三河国

年代:戦国時代(1526~1602)

 

奥山公重は、三河国の奥平美作守貞能の家臣・奥平出羽守貞久の七男として大永6年(1526)に生まれた。

はじめの名前は定国といったが、のちに徳川家康に仕えて「公」の字を与えられて、公重と名乗ることになる。

幼い頃から剣術を好み、やがて三河穂一の剣技と称されるようになったが、奥山公重は満足できずに兵法修行に出る。

既に兵法者として知られていた上泉伊勢守信綱が、武田信玄に招かれて甲府に滞在していることを知って、奥山公重は甲府に赴いて入門を願い出た。

もともと、城主まで務めていた上泉伊勢守信綱が、兵法者として大成していく重要なターニングポイントに奥山公重は入門したわけである。

そして入門を許された奥山公重は、上泉伊勢守信綱のもとで新陰流を大いに学んだ。

上泉伊勢守信綱が甲府を離れて、高山に1年ほど滞在した時も奥山公重は随行するなど、剣に対する情熱は冷めない。

ここで、奥山公重は新陰流の的伝道統を許されて、上泉伊勢守信綱と別れて三河国に帰国した。

その後、奥山公重は上泉伊勢守信綱より伝えられた新陰流の剣をさらに究めるべく、三河国奥平明神に籠って剣術に鍛錬に没頭していく。

やがて、夢中の内に神託を得て、神影流、奥山流を称するようになり、海内無双の兵法者として知られるようになり、剣名を慕って入門を希望する者が多く集まった。

そして、徳川家康に仕えるようになって7年の間、剣術指南として活躍する。

天正2年(1574)、御朱印を賜って御台所御守役となるが、ほどなく病を患って辞職。

慶長7年(1602)、77歳で死去。

奥山公重は多くの門弟を残したが、奥山流の道統は小笠原源信斎長治が継承することとなった。

 

 

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出典:http://plaza.rakuten.co.jp/

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奥山公重・・・実にマニアックすぎます。

上泉信綱にひっついていくのはいいのですが、わりと早めに三河に帰るし・・・

それだけ、奥山公重の剣術が優れていたのかもしれないけど、どうして剣豪って神社に籠って、自分の流派を起こすんでしょうか?

こういう人って結局、神様の神託を得て流派を起こすんですけど、やっぱり名を売るにはそんな伝説みたいなものが必要だったのかもしれないね。

しかも神影流って・・・読みは上泉信綱の新陰流と同じやん。

入門する人も、そんな伝説なんて実は信じてなかったじゃないかな。

公重 「わしは、三河に戻ってからというもの奥平明神さまに日夜祈願を続け、ついにシンカゲリ・・・・」

弟子A 「おい・・師匠のあの話また始まったよ・・・・。」

弟子B 「さあ、稽古、稽古っと」

 

 

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