はじめに
この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【黒河内伝五郎】です。【黒河内伝五郎】は大河ドラマ「八重の桜」にも登場した会津藩で教授を行っていた伝説の剣豪です。それでは【黒河内伝五郎】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。
黒河内伝五郎
名前:黒河内伝五郎兼規
流派:神夢想一刀流ほか
出身:?
年代:江戸時代後期(1830~1868)
幕末会津の剣豪
黒河内伝五郎は享和3年(1803)に会津藩御側医師・羽入良節義英の次男として生まれました。
幼くして黒河内治助兼博の養子となり、黒河内家に代々伝わる「神夢想無楽流」の居合術を学んだ伝五郎はやがて指南役となって藩士の指導にあたりました。
伝五郎は『短身白哲、その容姿は女子のようであった』といわれますが、武芸への関心が高く、家伝の居合術以外に「神夢想一刀流」、「稲上心妙流柔術」、「白井流手棒手裏剣術」、「穴澤流薙刀術」など武芸全般にわたって名人の粋に達していたといわれます。
その中でも手裏剣と吹き針の術は特に秀でていたといわれ、槍においても米俵を突いてそのまま高く持ち上げ、軒先まで跳ね上げることができたといいます。
会津藩候である日新館において八科の武術師範を務めた伝五郎は晩年に眼病を患って失明し、慶応4年(1868)に明治新政府軍が若松城下に迫ると「足手まといになりたくない」と言って遠く北越の地で戦いました。
そして伝五郎は、盲目ながらも重傷を負った次男・百次郎を介錯したのちに自刃しました。享年65。
伝五郎は武芸だけでなく和歌も愛し、若い頃より同藩の野矢常方について学んで家老・西郷近思とは和歌の雅友でもありました。
おわりに
「その容姿は女子のような・・・」
それなのに大河ドラマ「八重の桜」で黒川伝五郎を演じていたのは、六平直政さんというとんでもないキャスト。
六平さんのどこに女子感あるんでしょうか。完全なウケ狙いです。
武芸全般にわたって達人だった伝五郎は八重のように鉄砲を学んでいなかったんだろうか?
あの時代に手裏剣や吹き矢を、どのような場面で使うと思って学んだのかが不思議でなりません。
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子孫の方は福島県内におられます。武芸者は妻を娶らないことも多く、優れた門弟として認められ養子になった。日新館の師範になっていますが、向かい側が御用人所です。藩主護衛役の御供番は武芸十八般です。針吹き、手裏剣などを伝五郎から学んだのでしょう。
晩年は今でいう糖尿病で失明し、北越に行った可能性は低い。首を敵に渡すな、井戸に投げろといって、次男とともに自害した。三男伸三郎・孫忠孝もいました。ウィキペディアをご覧ください。