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伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【高野佐三郎】日本最強は誰?流派は?

投稿日:2019年12月26日 更新日:

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【高野佐三郎】です。【高野佐三郎】は剣道と教育を結びつけた「昭和の剣聖」と謳われる伝説の剣豪です。それでは【高野佐三郎】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。

 

出典:https://twitter.com/

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高野佐三郎

名前:高野佐三郎

流派:中西派一刀流

出身:武蔵国

年代:江戸時代末期~昭和時代(1862~1950)

5歳の奇童

高野佐三郎は文久2年(1862)に武蔵国秩父郡で代々秩父絹の検査役を務めていた高野家で生まれました。

祖父の高野佐吉郎苗正は「中西派一刀流」の中西忠兵衛子正の高弟であり、忍藩・松平家の剣術指南役も務め、秩父神社境内に道場『明信館』を設けていた人物。

佐三郎がまだ母・ケイのお腹の中にいた頃、佐吉郎はケイを道場に連れていき竹刀の音を聞かせ、夜は歴史上の豪傑の伝記を読み聞かせていたといいます。

やがて佐三郎が生まれると佐吉郎は喜び、佐三郎が歩くようになった頃には木刀を握らせ、3歳からは本格的に「中西派一刀流」の形稽古をつけていきました。

すると、褒美に菓子がもらえることが嬉しかった佐三郎は稽古を自ら望むようになり、物心つく前に「中西派一刀流」の組太刀56本を覚えてしまいます。

そして佐三郎は5歳のとき、藩主・松平忠誠の御前で「中西派一刀流」組太刀56本を演武することになりました。

この時、子供の真似事とたかをくくっていた松平忠誠は、佐吉郎を相手にして見事な演武を見せる佐三郎に思わず感嘆の声をあげ、『奇童』の二字を書き添えた脇差と銀一封を与えて激賞。

佐吉郎も孫の勇姿と藩主の心遣いに感極まって泣いていたといいます。

佐三郎の稽古は明治維新後も高野家で続けられ、やがて佐三郎は「秩父の小天狗」と呼ばれるようになっていきました。

日頃、佐三郎は床に大豆を撒いた道場で草履を履いての稽古や、水深のある川で稽古、目隠しして試合などの特訓を佐吉郎からさせられていたといいます。

 

出典:https://greenfield.style/

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敗北

明治12年(1879)、18歳になった佐三郎は埼玉県で開かれた剣術大会に佐吉郎の代理で出場し、元安中藩撃剣取締役助教授であった岡田定五郎と立ち合いました。

試合が始まると、竹刀を片手上段に構えた佐三郎。

これを生意気だと取った岡田定五郎は怒り、執拗に喉をめがけて突きを繰り出してきます。

佐三郎は出血しながらも、負けじと岡田定五郎の目を潰そうと竹刀で顔面を突きました。

しかし、佐三郎の突きは面に阻まれてしまい、ついには力尽きて倒れてしまいました。

敗北後、己の未熟さを悟ると同時に復讐を決意した佐三郎は、やがて秩父を飛び出して有名剣士が集まる東京へ再修業に向かいました。

この時、心配した母が呼び戻そうとしても、佐吉郎は「その位の意気込みがなくてどうする」と放って置いたといいます。

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復讐

東京に着いた佐三郎は「鞍馬流」の柴田衛守を訪ねて荒稽古を求めました。

しかし、柴田衛守からは防具を渡されて「それならば山岡鉄舟の道場へいけ」と『春風館』を勧められます。

『春風館』は一人が7日間で1400回の試合をするなど過酷な稽古が有名でしたが、その過酷さ故にほとんどの者がすぐにいなくなっていました。

しかし、佐三郎は内に秘めた思いを隠し、この『春風館』で厳しい稽古に耐えて腕を磨きました。

2カ月ほど経ったある日、佐三郎は山岡鉄舟から昼食に誘われました。

日々ただならぬ形相で剣を振る姿に周囲の者が「アイツ何かあるな」と感じ始めていたのです。

そして佐三郎は山岡鉄舟から「次第によっては力添えをする」と声をかけられ、涙ながらに経緯を話しました。

すると、これを聞いた山岡鉄舟は「もはや岡田とやらは君の敵ではあるまい。さっそく復讐して来い」と言います。

わずか2か月の修行でそこまで変わるものかと不思議に思いつつ、山岡鉄舟の言葉を信じた佐三郎は「負ければ死ぬ覚悟」を持って岡田定五郎を訪ねました。

しかし、因縁の相手・岡田定五郎は試合を申し込んでも、ひらすら謝るだけで試合を断ってきます。

佐三郎は何度も試合をするよう迫りましたが、一向にラチがあきません。

このため、佐三郎は納得はいかないまま帰ることになってしまいました。

その後、『春風館』に戻った佐三郎は事の次第を山岡鉄舟に報告すると「それは当然だ。やれば岡田の命は無かっただろう」と語ったといいます。

山岡鉄舟の師・浅利又七郎義明は佐吉郎と兄弟弟子でもあったことからも、こののち佐三郎は山岡鉄舟に一層気に入られ親交を深めていきました。

 

山岡鉄舟

出典:https://ja.wikipedia.org/

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明信館

明治19年(1886)、佐三郎は山岡鉄舟の推薦で警視庁巡査となり、警官たちに剣術を指南する撃剣世話掛の役目に就きました。

この時の佐三郎の給与は、普通の巡査の2倍以上の特別待遇であったといいます。

また、佐三郎は警視庁で上田馬之助逸見宗助ら幕末を生き抜いた剣豪たちからの指導も受け、めざましい上達ぶりから高橋赳太郎川崎善三郎と合わせて「三郎三傑」と称されていきました。

その後、埼玉県知事が埼玉県警察本部に欲しいとの願いがあり、佐三郎は明治21年(1888)に埼玉に転任しました。

そして明治23年(1890)、佐三郎は転居先の浦和に祖父が亡くなったあと閉鎖していた道場『明信館』を再興し、瞬く間に支部を増やして門人を抱えていきます。

また、佐三郎は指導だけでなく、自らの腕を磨くことも忘れず、警部として仕事をしながら多くの剣術大会にも参加して評価されていきました。

明治32年(1899)、一家で東京に移住した佐三郎が本部道場を設立したとき、門弟4,000人余り、道場の支部数は39もあったと読売新聞には書かれています。

さらに佐三郎の半生を描いた小説『秩父水滸伝』が映画化されると、その影響で入門者が増えて館員数は6,000人、警察官や学生を加えると10,000人を超えたといいます。

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教育と剣道

明治41年(1908)、撃剣・柔術が中等学校の正式課目となることが決定すると、佐三郎は教員の養成学校であった東京高等師範学校の校長・嘉納治五郎に呼ばれて撃剣科講師に就任しました。

また、佐三郎は同時に早稲田大学をはじめとする多くの学校の剣道師範も兼任し、のちに早稲田大学剣道部の生徒から小野派一刀流第16代宗家で国務大臣にもなった笹森順造を輩出することになります。

明治45年(1912)、大日本武徳会に剣道の「形」の統一を目指す調査委員会が設置され、佐三郎は主査に選ばれて中心的人物となりました。

流派を超える「形」の統一への道は困難を極め、連日激しい討論が繰り返される中、佐三郎は懐に短刀を隠して自分の意見が通らないときは差し違えて死ぬ覚悟で臨んでいたといいます。

そして、苦心の果てに『大日本帝国剣道形』を完成させた佐三郎は、会長の大浦兼武から感謝状と『剣道統一』の書を贈られ、翌年には剣道家の最高位・範士号を授与されました。

大正5年(1916)、東京高等師範学校の教授に昇任した佐三郎は、同校で学校体育のための剣道指導カリキュラムを考案し、同時に『剣道』を著します。

この『剣道』は大正天皇にも献上され、イラスト入りの分かり易い解説は現在の剣道に多大な影響を与えたとされています。

また、佐三郎は「中西派一刀流」の五行之形を学生用に改良し、『東京高師五行之形』として指導も行い、いつしか佐三郎は京都の武道専門学校教授・内藤高治と並び、「東の高野、西の内藤」と称されていきました。

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昭和の剣聖

大正7年(1918)、渋沢栄一の後援もあり、佐三郎は剣道修行を単なる技術の習得に終わらせず、人材育成を目的とした『修道学院』を設立。

佐三郎は「東京高等師範学校などでの経験が自分を成長させてくれた」と学校の重要性を理解し、これからの剣道は教育的価値を持つべきであると考えていました。

やがて昭和に入り、佐三郎は共に剣道界の双璧とされた中山博道と天覧試合で剣道形演武や審判員などを務め、実質上の最高権威者となって「昭和の剣聖」と称されるようになりました。

その後、佐三郎は早稲田大学剣道部のアメリカ遠征に引率するなど剣術指導を続けていましたが、太平洋戦争が悪化すると秩父に疎開。

敗戦後にGHQの命令で剣道の組織的活動が禁止されると、佐三郎は昭和25年(1950)に死去しました。享年89。

 

出典:https://kendomagazine.web.fc2.com/

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時代 剣豪名 流派
平安 鬼一 法眼 京八流
源 判官 義経 太刀の術
室町 念阿弥 慈恩(相馬 義元) 念流
中条 兵庫頭 長秀 中条流
飯篠 長威斎 家直 天真正伝香取神道流
松本 備前守 政信 鹿島神流
愛洲 移香斎 久忠 陰流
戦国 塚原 卜伝 高幹 鹿島新當流
山本 勘助 晴幸 京流
竹内 中務大夫 久盛 竹内流
上泉 伊勢守 信綱 新陰流
宝蔵院 胤栄 宝蔵院流
富田 五郎左衛門 勢源 富田流
奥山 休賀斎 公重 神影流
柳生 石舟斎 宗厳 柳生新陰流
北畠 具教 鹿島新當流
師岡 一羽 常成 一羽流
足利 義輝 鹿島新當流・新陰流
疋田 豊五郎 景兼 疋田陰流
丸目 蔵人 長恵 タイ捨流
林崎 甚助 重信 神夢想林崎流
根岸 兎角(信太 朝勝) 微塵流
伊藤 一刀斎 景久 一刀流
斎藤 伝鬼坊 勝秀 天流
真壁 暗夜軒 氏幹 霞流
富田 越後守 重政 富田流
樋口 又七郎 定次 馬庭念流
吉岡 憲法 直綱 吉岡流
江戸 東郷 重位 示現流
小野 忠明(神子上 典膳) 小野派一刀流
小笠原 源信斎 長治 真新陰流
柳生 但馬守 宗矩 柳生新陰流
片山 伯耆守 久安 片山伯耆流
鐘捲 自斎 通家 鐘捲流
柳生 兵庫助 利厳 柳生新陰流
松山 主水 大吉 二階堂平法
夢想 権之助(山本 勝吉) 神道夢想流
小栗 仁右衛門 正信 小栗流
宮本 武蔵 玄信 二天一流
高田 又兵衛 吉次 宝蔵院流
神谷 伝心斎 直光 直心流
針ヶ谷 夕雲 正成 無住心剣流
上泉 義胤(上泉 秀信) 民弥流
松林 蝙也斎 永吉 夢想願流
田宮 平兵衛 重正 田宮流
荒木 又右衛門 保知 柳生新陰流
佐々木 巌流 小次郎 巌流
伊藤 典膳 忠也 忠也派一刀流
柳生 十兵衛 三厳 柳生新陰流
薬丸 兼陳 薬丸自顕流
柳生 連也斎 厳包 柳生新陰流
関口 八郎左衛門 氏業 関口流
高田 三之丞 為長 柳生新陰流
伊庭 是水軒 秀明 心形刀流
今枝 佐仲 良台 初實剣理方一流
辻 月丹 資茂 無外流
高木 馬之輔 重貞 高木流
真里谷 円四郎 義旭 無住心剣流
堀部 安兵衛 武庸 馬庭念流
樋口 十郎兵衛 定暠 馬庭念流
楳本 法神 政武 法神流
寺田 五右衛門 宗有 天真一刀流
戸賀崎 熊太郎 暉芳 神道無念流
近藤 内蔵之助 長裕 天然理心流
平山 行蔵 講武実用流
岡田 十松 吉利 神道無念流
岡田 惣右衛門 寄良 柳剛流
浅利 又七郎 義信 中西派一刀流
白井 亨 義兼 天真一刀流
中西 忠兵衛 子正 中西派一刀流
千葉 周作 成政 北辰一刀流
大石 進 種次 大石新陰流
男谷 精一郎 信友 直心影流
高柳 又四郎 義正 中西派一刀流
伊庭 軍兵衛 秀業 心形刀流
幕末 斎藤 弥九郎 善道 神道無念流
大川 平兵衛 英勝 神道無念流
加藤田 平八郎 重秀 加藤田新陰流
遠藤 五平太 正贇 中西派一刀流
島田 虎之助 直親 直心影流
逸見 小源太 長英 甲源一刀流
橘 内蔵介 正以 柳剛流
浅利 又七郎 義明 中西派一刀流
勝 海舟 安邦 直心影流
桃井 春蔵 直正 鏡新明智流
大山 格之助 綱良 薬丸自顕流
宇野 金太郎 重義 片山伯耆流
斎藤 新太郎 龍善 神道無念流
清河 八郎 正明 北辰一刀流
黒河内 伝五郎 兼規 神夢想一刀流
仏生寺 弥助 神道無念流
上田 馬之助 美忠 鏡新明智流
高杉 晋作 春風 神道無念流・柳生新陰流
桂 小五郎(木戸 孝允) 神道無念流
佐々木 只三郎 泰昌 神道精武流
斎藤 歓之助 歓道 神道無念流
千葉 栄次郎 成之 北辰一刀流
河上 彦斎 玄明 我流
近藤 勇 昌宜 天然理心流
坂本 龍馬 直柔 北辰一刀流
高橋 泥舟(高橋 伊勢守) 自得院流
土方 歳三 義豊 天然理心流
沖田 総司 房良 天然理心流
永倉 新八(長倉 載之) 神道無念流
伊庭 八郎 秀穎 心形刀流
斎藤 一(藤田 五郎) 無外流
岡田 以蔵 宜振 鏡新明智流
中村 半次郎(桐野 利秋) 薬丸自顕流
明治 山岡 鉄舟 高歩 一刀正伝無刀流
榊原 鍵吉 友善 直心影流
松崎 浪四郎 直之 加藤田新陰流
渡辺 昇 武常 神道無念流
奥村 左近太 奥村二刀流・直心影流
得能 関四郎 通久 直心影流
牟田 文之助 高惇 鉄人流
根岸 信五郎 資剛 神道無念流
門奈 正 水府流・北辰一刀流
高山 峰三郎 直心影流
逸見 宗助 立身流
高橋 赳太郎 高運 無外流
本間 三郎 本間念流
川崎 善三郎 重徳 無外流
高野 佐三郎 豊正 中西派一刀流
内藤 高治 北辰一刀流
山田 次朗吉 鹿島神傳直心影流
中山 博道 神道無念流

 

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