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伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【榊原鍵吉】日本最強は誰?流派は?

投稿日:2019年12月10日 更新日:

はじめに

ここではシリーズ化して伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【榊原鍵吉】です。【榊原鍵吉】は剣術が廃れていく明治の世に「最後の剣客」として天下に名を轟かせた伝説の剣豪です。それでは【榊原鍵吉】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

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榊原鍵吉

名前:榊原鍵吉、榊原友善

流派:直心影流

出身:江戸

年代:江戸時代末期~明治時代(1830~1894)

不遇の少年時代

榊原鍵吉は文政13年(1830)に榊原益太郎友直の子として生まれました。

榊原家は徳川家に代々仕える直臣の家であり、父は軍学に秀でていたといいます。

鍵吉は幼少の頃から剣術を好み、わずか13歳で男谷道場に入門。

しかし、母の死去すると引っ越して自宅から道場が遠くなってしまい、鍵吉は幼い兄弟の面倒も見なければならなくなりました。

これを見かねた師匠・男谷精一郎が玄武館・士学館・練兵館などの有名道場への移籍を促しても、鍵吉は「入門した以上は他に移る気はない」と言って通い続けます。

そして鍵吉は逆境にも負けずにメキメキと腕を上げ、やがて男谷精一郎は鍵吉を高く評価して免許を授けようとしました。

これに鍵吉は「自分は貧乏で祝いの宴も張れないから辞退したい」と断ったため、男谷精一郎は免許皆伝にかかる一切の費用を引き受け、翌日に免許授与になったといいます。

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幕末の活躍

安政3年(1856)、幕府が外国からの脅威に対するため武道を奨励する講武所を設立すると、鍵吉は男谷精一郎の推薦によって27歳で剣術教授方として参加しました。

鍵吉の待遇はすこぶる高く、二ノ丸御留守居格、300俵を支給され、朱塗りの槍を立てて登場する身分でした。

安政7年(1860)、将軍・徳川家茂、大老・井伊直弼らの前で開かれた模範試合では、鍵吉は槍術の高橋泥舟と試合して勝ち、満座の喝采を浴びます。

そして徳川家茂は鍵吉の飾り気のない正直な性格も気に入り、自らの個人教授に指名して、上洛の際には将軍警護の役も申し付けました。

文久3年(1863)の将軍上洛時、鍵吉は新たに召し抱えられた同門の天野将曹と二条城で試合を行い、「参った」と言わない天野将曹を強烈な諸手突きでひっくり返したといいます。

またこの年、京都の四条河原で土佐藩浪士3人を斬ったともいわれています。

その後、徳川家茂が死去すると、鍵吉は大いに落胆して江戸に戻って道場を開き、15代将軍・徳川慶喜には仕えようとはしませんでした。

 

出典:https://www.instagram.com/

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明治の侍

慶応4年(1868)、戊辰戦争で上野に彰義隊が立て籠もると、鍵吉は加盟せずに宮家の護衛を務め、土佐藩士数名を斬り倒して脱出に成功。

維新後、鍵吉は徳川家の静岡移転に従って大番頭を務めましたが、廃藩置県によって失職すると東京の道場に戻りました。

その後、明治政府から出仕するよう要請がありましたが、鍵吉は弟の大沢鉄三郎を代わりに推挙しています。

やがて世の中は剣術どころではなくなり、町道場の閉鎖が相次ぐと武士は職を失って路頭に迷う者が続出しました。

すると鍵吉はこれを問題視し、武芸者の救済策として『撃剣会』を組織し、剣術の興行を計画しました。

剣術を見世物にした『撃剣興行』には当時から批判的意見もあったものの、結果的には人気を博し、剣術の命脈を繋ぐ役割を果たしています。

あくまで侍としての姿にこだわった鍵吉は、明治9年(1876)に廃刀令が出されても、刀の代わりに「倭杖」と称する木刀を差し、脇差代わりに「頑固扇」と称する木製の扇を考案して身に着けていました。

その後、鍵吉は明治天皇の前で天覧試合が行われた際に審判を務め、西南戦争で抜刀隊が活躍して警視庁に撃剣世話掛が創設されると審査員として採用者を選抜しました。

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最後の剣客

撃剣興行や抜刀隊の活躍もあったものの、剣術が役目を終えていこうとした明治20年(1887)、鍵吉は『最後の剣客』として輝きを見せます。

それが明治天皇天覧の『兜割り試合』。

ここでは『鉢試し』として弓、槍など使用して兜を割ることが試されました。

剣での出場者は警視庁の逸見宗助上田馬之助、そして鍵吉。

明珍鍛えの兜は逸見宗助上田馬之助の剣を弾き、全く歯が立ちませんでしたが、最後に出た鍵吉は明治天皇に一礼すると、「直心影流」の大自然の運行を取り入れて阿吽の呼吸をもって名刀『同田貫』を振り下ろし、見事に兜に斬り込みました。

この日、鍵吉は白装束で臨み、失敗した際は腹を切る覚悟だったといいます。

晩年、鍵吉は講釈席や居酒屋を経営したものの失敗し、弟子の山田次朗吉に道場を譲って明治27年(1894)、鍵吉は生涯髷を切らないまま息を引き取りました。享年65。

 

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剣豪名をクリックすると個別の剣豪紹介記事が見れます↓

時代 剣豪名 流派
平安 鬼一 法眼 京八流
源 判官 義経 太刀の術
室町 念阿弥 慈恩(相馬 義元) 念流
中条 兵庫頭 長秀 中条流
飯篠 長威斎 家直 天真正伝香取神道流
松本 備前守 政信 鹿島神流
愛洲 移香斎 久忠 陰流
戦国 塚原 卜伝 高幹 鹿島新當流
山本 勘助 晴幸 京流
竹内 中務大夫 久盛 竹内流
上泉 伊勢守 信綱 新陰流
宝蔵院 胤栄 宝蔵院流
富田 五郎左衛門 勢源 富田流
奥山 休賀斎 公重 神影流
柳生 石舟斎 宗厳 柳生新陰流
北畠 具教 鹿島新當流
師岡 一羽 常成 一羽流
足利 義輝 鹿島新當流・新陰流
疋田 豊五郎 景兼 疋田陰流
丸目 蔵人 長恵 タイ捨流
林崎 甚助 重信 神夢想林崎流
根岸 兎角(信太 朝勝) 微塵流
伊藤 一刀斎 景久 一刀流
斎藤 伝鬼坊 勝秀 天流
真壁 暗夜軒 氏幹 霞流
富田 越後守 重政 富田流
樋口 又七郎 定次 馬庭念流
吉岡 憲法 直綱 吉岡流
江戸 東郷 重位 示現流
小野 忠明(神子上 典膳) 小野派一刀流
小笠原 源信斎 長治 真新陰流
柳生 但馬守 宗矩 柳生新陰流
片山 伯耆守 久安 片山伯耆流
鐘捲 自斎 通家 鐘捲流
柳生 兵庫助 利厳 柳生新陰流
松山 主水 大吉 二階堂平法
夢想 権之助(山本 勝吉) 神道夢想流
小栗 仁右衛門 正信 小栗流
宮本 武蔵 玄信 二天一流
高田 又兵衛 吉次 宝蔵院流
神谷 伝心斎 直光 直心流
針ヶ谷 夕雲 正成 無住心剣流
上泉 義胤(上泉 秀信) 民弥流
松林 蝙也斎 永吉 夢想願流
田宮 平兵衛 重正 田宮流
荒木 又右衛門 保知 柳生新陰流
佐々木 巌流 小次郎 巌流
伊藤 典膳 忠也 忠也派一刀流
柳生 十兵衛 三厳 柳生新陰流
薬丸 兼陳 薬丸自顕流
柳生 連也斎 厳包 柳生新陰流
関口 八郎左衛門 氏業 関口流
高田 三之丞 為長 柳生新陰流
伊庭 是水軒 秀明 心形刀流
今枝 佐仲 良台 初實剣理方一流
辻 月丹 資茂 無外流
高木 馬之輔 重貞 高木流
真里谷 円四郎 義旭 無住心剣流
堀部 安兵衛 武庸 馬庭念流
樋口 十郎兵衛 定暠 馬庭念流
楳本 法神 政武 法神流
寺田 五右衛門 宗有 天真一刀流
戸賀崎 熊太郎 暉芳 神道無念流
近藤 内蔵之助 長裕 天然理心流
平山 行蔵 講武実用流
岡田 十松 吉利 神道無念流
岡田 惣右衛門 寄良 柳剛流
浅利 又七郎 義信 中西派一刀流
白井 亨 義兼 天真一刀流
中西 忠兵衛 子正 中西派一刀流
千葉 周作 成政 北辰一刀流
大石 進 種次 大石新陰流
男谷 精一郎 信友 直心影流
高柳 又四郎 義正 中西派一刀流
伊庭 軍兵衛 秀業 心形刀流
幕末 斎藤 弥九郎 善道 神道無念流
大川 平兵衛 英勝 神道無念流
加藤田 平八郎 重秀 加藤田新陰流
遠藤 五平太 正贇 中西派一刀流
島田 虎之助 直親 直心影流
逸見 小源太 長英 甲源一刀流
橘 内蔵介 正以 柳剛流
浅利 又七郎 義明 中西派一刀流
勝 海舟 安邦 直心影流
桃井 春蔵 直正 鏡新明智流
大山 格之助 綱良 薬丸自顕流
宇野 金太郎 重義 片山伯耆流
斎藤 新太郎 龍善 神道無念流
清河 八郎 正明 北辰一刀流
黒河内 伝五郎 兼規 神夢想一刀流
仏生寺 弥助 神道無念流
上田 馬之助 美忠 鏡新明智流
高杉 晋作 春風 神道無念流・柳生新陰流
桂 小五郎(木戸 孝允) 神道無念流
佐々木 只三郎 泰昌 神道精武流
斎藤 歓之助 歓道 神道無念流
千葉 栄次郎 成之 北辰一刀流
河上 彦斎 玄明 我流
近藤 勇 昌宜 天然理心流
坂本 龍馬 直柔 北辰一刀流
高橋 泥舟(高橋 伊勢守) 自得院流
土方 歳三 義豊 天然理心流
沖田 総司 房良 天然理心流
永倉 新八(長倉 載之) 神道無念流
伊庭 八郎 秀穎 心形刀流
斎藤 一(藤田 五郎) 無外流
岡田 以蔵 宜振 鏡新明智流
中村 半次郎(桐野 利秋) 薬丸自顕流
明治 山岡 鉄舟 高歩 一刀正伝無刀流
榊原 鍵吉 友善 直心影流
松崎 浪四郎 直之 加藤田新陰流
渡辺 昇 武常 神道無念流
奥村 左近太 奥村二刀流・直心影流
得能 関四郎 通久 直心影流
牟田 文之助 高惇 鉄人流
根岸 信五郎 資剛 神道無念流
門奈 正 水府流・北辰一刀流
高山 峰三郎 直心影流
逸見 宗助 立身流
高橋 赳太郎 高運 無外流
本間 三郎 本間念流
川崎 善三郎 重徳 無外流
高野 佐三郎 豊正 中西派一刀流
内藤 高治 北辰一刀流
山田 次朗吉 鹿島神傳直心影流
中山 博道 神道無念流

 

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