神道無念流
「神道無念流」は下野国都賀郡藤葉村出身の福井兵右衛門嘉平(1702~1782)が創始しました。
福井兵右衛門嘉平は「新神陰一円流」の2代目である野中権内玄慶から剣術を学んだのちに「無念流」を興していましたが、廻国修業に出て信州飯縄山の飯綱権現に篭った際に、現れた老人から7日間にわたって剣技を授かり、下山後に立居合十二剣を編み出して宝暦年間(1751~1764)に「神道無念流」を開いたといいます。
ちなみに「神道無念流」の基礎となっている「新神陰一円流」は、愛洲移香斎~上泉伊勢守信綱に繋がっている陰流系統の剣術で、上泉信綱の弟子である野中新蔵成常が興した流派とされています。
福井兵右衛門嘉平の頃は門弟も少なく、道場経営に苦しみましたが、弟子の戸賀崎熊太郎、孫弟子の岡田十松が活躍して「神道無念流」を飛躍させ、江戸後期に斎藤弥九郎が『練兵館』を創設すると江戸三大道場の一つに数えられて幕末には最盛期を迎えました。
特に長州藩が『練兵館』を高く評価していたため、のちの維新志士たちの多くが「神道無念流」を学んでいます。
神道無念流の剣豪
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