はじめに
この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【仏生寺弥助】です。【仏生寺弥助】は知る人ぞ知る幕末に生きた天才剣士、アホだけど底なしの強さを持った伝説の剣豪です。これまで幕末のたくさんの剣豪を紹介していますが、私はこの【仏生寺弥助】が特別に好きなので、とにかくこの最強アホ天才剣士を知って欲しいと思い少々長い記事になっています。それでは、おそらく幕末最強の剣豪であろう【仏生寺弥助】について紹介します。
仏生寺弥助
名前:仏生寺弥助、仏生寺虎正
流派:神道無念流、円命流、仏生寺流
出身:越中国?
年代:江戸時代末期(1830~1863)
剣豪・仏生寺弥助誕生
仏生寺弥助は越中国の漁村に生まれたとされています。本名は吉村豊次郎。
弥助は15~16歳ぐらいに江戸へ出て「神道無念流」の剣術道場・練兵館の風呂焚きの仕事に就いていましたが、暇があれば道場を覗き、稽古の様子を熱心に見ていました。
その弥助少年の姿を日々見ていた練兵館の隠居先生・岡田吉貞が「お前はいつも道場を覗きに参るが、剣術が好きか」と聞くと、弥助は「竹内の音を聞くと、じっとしておられません」と答えます。
このため岡田吉貞は道場主・斎藤弥九郎の許しを得て、弥助に剣術を教えてやることになりました。
晴れて道場にあがった弥助。
すると弥助の剣の才能は一気に開花し、岡田吉貞は「これまでに教えた奴でもここまでの者はいなかった」と驚くほどになります。
そして岡田吉貞は弥助に風呂焚きの仕事をやめさせ、あらゆる限りの剣技を教えることにしました。
やがて弥助は初心者ながら練達者を打ち負かすほどの腕前となり、普通は7~8年かかるところを2年余りで免許皆伝を受けます。
そしていっぱしの剣術家となった弥助は、故郷の仇生寺村にちなんで『仏生寺弥助』と名乗るようになりました。
仏生寺弥助の実力
仏生寺弥助の構えは左上段だけでしたが、速さと変化の多彩さはずば抜けていて、先に「面を打つ」と予告しても誰も防ぐ事が出来なかったといいます。
また、弥助は普通の体格でありながら巨漢を相手にしてもひけを取らず、これまた予告後に上段前蹴りを繰り出しても必ず当たったといいます。
才覚を認めていた斎藤弥九郎は、弥助を塾頭にしようと勉学をすすめていましたが、もともと無学な上にいいかげんな性格のため、平仮名さえ満足に覚えられず、自分の名前さえ書けないままでした。
しかし、その後も弥助の剣術は磨かれ続け、実力は新太郎、歓之助兄弟を遥かにしのぐとの噂まで立ち、周囲からは『斎藤塾の閻魔鬼神』とまで呼ばれるようになります。
粗暴な性格の弥助でしたが、一方では大恩ある斎藤弥九郎の息子たちには一歩譲って試合では勝とうとしなかったといいます。
しかし、弥助の剣を見出した岡田吉貞は、すでに弥助の腕が兄弟を上回っていることを見抜いていました。
高杉晋作との試合
塾頭になれなかったのがイヤになったのか、勉学を勧められるのがイヤになったのか分かりませんが、やがて仏生寺弥助は突如として練兵館を飛び出します。
その後は、ヤクザの用心棒をやったり、勤王志士の仲間になったり、と適当な生活を送っていました。
しかし、弥助は気が向いたときには練兵館にフラッと現れることもありました。
同じ斎藤門下の長州藩士・高杉晋作は、道場では弥助と会ったことはありませんでしたが、その名前だけは聞いていました。
ある時、高杉晋作は剣術修行で諸国を廻っていると、信州松代でたまたま弥助に出会いました。
弥助の強さに興味があった高杉晋作は、すぐに試合をしてみましたが、結果は弥助の圧勝。
のちに高杉晋作は「全く歯が立たなかった」と悔しそうに同志に語っています。
練兵館の救世主・仏生寺弥助①
練兵館を岡田吉貞や斎藤兄弟が留守にしていたある日のこと、凄腕の道場破りがやってきます。
道場破りは長竹刀で有名な大石進の弟子で、名を『斎藤清一郎』と名乗り、高弟たちを全て一撃で打ち破っていきました。
この練兵館の創設以来の危機にひょっこり現れたのが、ボロボロの服を身にまとった仏生寺弥助。
ボコボコにされていた練兵館の高弟たちから話を聞いた弥助は「どれどれ、俺が相手してやるよ。道具貸して」と言うなり、道場に出ました。
十本勝負で行われた試合は、弥助が左上段の速攻でまず一本。
そして弥助は「さ、二本目いくぞ。面な」と言うなり、二本目も構えを変えずに強烈な一撃をくらわせます。
斎藤清一郎も何とか対応しようと構えや間合いを変化させますが、弥助は左上段の構えを変えようともせず、立て続けに十本の面を決めました。
「なんだ・・・こんなもんか、話にならんわ」
外出から戻り、試合を途中から見ていた岡田吉貞は、弥助のことを「鉄の草鞋で日本国中探しても二人といないだろう」と言ったといいます。
練兵館の救世主・仏生寺弥助②
幕末には長州岩国に宇野金太郎という剣豪がいました。
宇野金太郎はその剣の強さと性格の悪さが有名で、誰もが道場を避けて通ったと噂される剣豪です。
以前、江戸からの修行帰りの桂小五郎が挑んだときも、強烈な小手で打ち込んで試合続行不可能にさせています。
ある時、この宇野金太郎は肥前大村藩で剣術師範を務めていた『鬼歓』の異名を持つ斎藤弥九郎の三男・歓之助を打ち負かします。
すると、歓之助は練兵館のメンツが潰れることを恐れ、すぐに江戸の岡田吉貞に手紙を出しました。
内容は『宇野金太郎に雪辱を果たしたいため、弥助に来て欲しい』というもの。
剣術師範としての面目を保つため、プライドを捨てて歓之助は弥助の援助を請うたのです。
歓之助の手紙の内容を聞かされると、弥助はすぐに出立して歓之助と合流。
そして九州地方の回遊修行を終えていた宇野金太郎の道場へ向かいました。
道場に着いた歓之助はまず「この前はお見苦しい試合をしてしまい、申し訳なかった」と宇野金太郎に詫びを入れました。
すると宇野金太郎はうなずき「良い心掛けである。何度でも試合に応じても良いぞ」と小バカにしたように答え、後ろにいる弥助のことなど全く気にしていない様子。
ふつふつと湧き上がる怒りを抑えつつ、歓之助は「では、江戸の練兵館を代表してこの仏生寺弥助がお相手致します」と弥助を紹介しました。
普段は礼儀知らずな弥助も歓之助のために、この時ばかりは手をついて挨拶したといいます。
そして宇野金太郎が「やれやれ」と言わんばかりに了承し、試合は十本勝負で行われることとなりました。
試合の一本目、大胆に左上段の構えをみせた弥助に対し、宇野金太郎はイラつきます。
上段の構えは『守り』を捨てた『攻め』重視の構えであるため、普通は自分よりも熟練している者にとるべき構えではありません。
「こいつ何だ?バカか?」
カチンときた宇野金太郎は一気に間合いを詰めようとしましたが、その瞬間、稲妻ような強烈な衝撃が頭に走りました。
「!?・・・なんだ?・・・今のは?・・・」
宇野金太郎には弥助の剣が全く見えていませんでした。
歓之助の弟子と思われるクソ剣士ごときに、なぜ打たれたのか?と動転する宇野金太郎。
構えを変えて「次は決める」と意気込みますが、弥助の容赦ない剣は立て続けに宇野金太郎の面を三本打ちました。
「面がくる」と分かっていても防ぐことができず、混乱した宇野金太郎はスッカリ戦意を喪失。
続く四本目の勝負を辞退するしかなく、試合は弥助の完全勝利に終わりました。
そして歓之助はすかさず、無言で落ち込んでいる宇野金太郎に試合を申し込みます。
さすがの宇野金太郎も辞退しようとしましたが、歓之助はこれを許さず、無理矢理に試合をさせて勝利を得ることができました。
稀代の剣豪・仏生寺弥助の最期
その後の仏生寺弥助は相変わらず、いかがわしい暮らしを重ねて諸国を放浪していたといわれます。
また、弥助は長州浪士隊に加わり、尊王攘夷志士として活動しながらも、敵対する新選組の局長・芹沢鴨とも親密な関係にあったようです。
この芹沢鴨も相当に腕の立つ剣豪でしたが、弥助には頭が上がらなかったといいます。
やがて弥助は新選組に鞍替えしようとしたところ、長州藩と関わりの深い錬兵館の元仲間たちに誘われ、酔わされたのちに殺されました。
一説には、弥助が長州藩に加わった際、京都松原通りの大丸に借金を強要した上でその金を遊行費に使ってしまったため、長州藩が三百両を返済。
おわりに
どうですか?アホ天才剣士・仏生寺弥助。とにかく強い!「天は二物を与えず」と言いますが、仏生寺弥助は正にその通り剣だけしかない正真正銘の「剣豪」。勉強しないわ、勝手にどっかに行っちゃうわ、悪い奴らとつるむわ、ホントどうしようもない奴ですが、危ない時にはなぜかフラッと現れて敵を叩きののめす。もはや漫画の世界ですww
しかし、師匠や息子さん達には恩を忘れないカワイイ一面を持ち、どうしても憎めない仏生寺弥助。きっと、斎藤弥九郎先生も岡田吉貞先生も、そんな感情で仏生寺弥助を見ていたことでしょう。
適当な性格は最後まで治らず、最終的には練兵館に見放されて剣豪としては冴えない最期となってしまいますが、それもまた「らしい」と言えば「らしい」。でもね、私が勝手に仏生寺弥助の最期を脚色するなら、こうします。少しお付き合い下さい。
仏生寺弥助は自分が斬られると知っていて、わざと酒宴に参加し、酔っぱらった。
シラフでは誰も自分には勝てないことを弥助は知っていたから。弥助もさすがに同じ道場で汗を流した者と斬り合いたくはなかったから。
そして、覚悟を決めた弥助は兄のように慕っていた斎藤新太郎に向かって言うんです。
「新ちゃん、俺はあんたなら斬られてもいいぜ。」
思いがけない弥助の一言に新太郎も情が溢れます。
「弥助、逃げろ。俺は斬りたくない。」
しかし、弥助はその場を動こうともしません。
「無理だ・・・・飲みすぎた。歩けねぇよ・・・・・新ちゃん・・・・・練兵館と長州藩はもはや一心同体だろ?・・・・練兵館の代表のあんたがやらなくてどうすんだよ・・・・やんなよ。新ちゃん・・・・俺は最後の相手が新ちゃんで嬉しいんだ・・・・俺は今、酔ってるぜ。さぁ」
弥助の言葉を聞いて涙を流す新太郎。
「バカだなぁ。新ちゃんは・・・泣いてちゃ斬れねぇだろ?」
そういう弥助の頬にも大粒の涙が流れていた。
いや、新太郎と弥助だけじゃなく、その場にいた練兵館の門人全員が涙を流していた。
「弥助・・・バカはお前じゃねぇかよ・・・こんなことさせやがって・・・ありがとな・・・」
新太郎は意を決して刀を振り下ろした。
弥助は薄れゆく意識の中、斎藤兄弟と一緒に稽古した少年時代を思い出して笑っていた―。
数多くの剣豪、有名な維新志士を輩出した幕末において、こんなアホでカワイイ天才剣士がいたっていいじゃないですか。
私は「幕末の剣豪で誰が一番強い?」と聞かれたら、まずは「仏生寺弥助」と答えるようにしています。
誰か「仏生寺弥助」を主人公に漫画描いてくれないかな~
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