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伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【中山博道】日本最強は誰?流派は?

投稿日:2020年1月8日 更新日:

はじめに

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を流派などを含めて紹介していきます。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【中山博道】です。【中山博道】はあらゆる武道を探求し、今日の剣道、居合術の発展に大きく貢献した剣術界のスーパースター、「昭和の剣聖」とされる伝説の剣豪です。【中山博道】については多くの逸話があり全てを紹介しきれませんが、ここでは流派や出身地も含めて簡単に説明していきたいと思います。

 

出典:https://kendomagazine.web.fc2.com/

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中山博道

名前:中山博道

流派:神道無念流

出身:石川県

年代:明治~昭和(1872~1958)

武を極める

中山博道は明治5年(1872)に旧加賀藩士・中山源之丞の八男として石川県金沢市に生まれました。

中山家は明治維新の混乱で没落して富山に移住しましたが、そこで博道は商家へ丁稚奉公に出され、働きながら剣術、柔術を学びました。

博道は富山で斎藤理則から「山口流」の目録を授かっていますが、17歳で上京した時は段位を持っていた囲碁で生計を立てようとしていたといわれています。

しかし、博道は偶然にも囲碁の出張先であった『有信館』道場に入門することになりました。

博道は身長160cm、体重60kg足らずの体格でしたが、入門を勧めたのは道場主の根岸信五郎であり、理由は竹刀の音が気になって囲碁に集中できていなかったからともいわれています。

 

当時の『有信館』は地獄の稽古で知られており、貧弱な博道は先輩からの猛烈なしごきに合ってなかなか上達しませんでした。

このままでは所詮モノにならずに終わってしまうと考えた博道は、睡眠時間を4時間に削り、鼻緒の緩んだ下駄をわざと履いて足腰を鍛え、腰が高いという理由で腰に漬物石を結び付けて稽古を行うなど、自分を徹底的に追い込んでいきました。

そして、厳しい稽古の甲斐あって博道は31歳で「神道無念流」の免許皆伝を受け、やがて根岸信五郎の養子となって道場を引き継ぐこととなりました。

 

出典:http://kendo-entertainment.info/

 

 

その後、中山姓に戻した博道は本郷真砂町に建て直した道場で「神道無念流」を指導していましたが、明治45年(1912)に剣道の統一普及を目指す大日本武徳会の剣道形制定委員の一人に選ばれ、師の根岸信五郎と共に大日本帝国剣道形制定に尽力します。

そして博道は武道家として居合術、杖術、槍j術、弓術、銃剣術、西洋剣術などあらゆる武道を探求し、やがて大日本武徳会から前人未到の剣道・居合術・杖術の三範士号を授与されてライバルだった『明信館』の高野佐三郎とともに剣道界の最高権威者となっていきました。

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竹刀剣道と戦争

剣道家として有名だった博道が居合術を極めたことで、これまで剣術の影に隠れていた居合術が注目され、今日の発展に繋がったとされています。

また、博道は合気道創始者の植芝盛平とも親交を持ったほか、この頃に沖縄から伝わった唐手(空手)の真価を見抜き「唐手は素手による剣術である」と評価するなど、新しい武道に対しても積極的に関わりました。

一方、原点である剣術について博道は「竹刀剣道も古武道と呼ばれる各流派の形の剣術も一つである」との考えから、これから剣術を学ぶものが「竹刀稽古と形稽古は別物」と考えてしまう恐れがあると危機感を持っていました。

このため、高野佐三郎が東京高等師範学校・嘉納治五郎の下で体育的な剣道を推進したのに対し、博道はあくまで古流にこだわり、スポーツ的な現代剣道を「剣道が竹刀踊りの遊戯化したものに落ちないことを願う」と痛烈に批判しています。

このような思いがあったからか、のちに博道は全日本剣道連盟から初の「剣道十段」授与を打診されても受け取っていません。

 

出典:https://search.yahoo.co.jp/

 

 

その後、「昭和の剣聖」とも称えられた博道は太平洋戦争中、日本軍からの依頼で一日に500振り以上の軍刀の試し斬りを行いました。

博道は自分の持っていた多くの刀を出征していく門人たちに贈呈しましたが、戦地で功績を挙げた者もいた一方で、うまく刀を扱えずに敵を殴りつけるだけになったり、自分を斬ってしまうという者も多かったといいます。

これに博道は「竹刀での練習と日本刀の実戦が同じと考える者に対する警告である」と語っています。

 

戦後、大日本武徳会はGHQの指令により解散することになり、剣道の組織的活動は禁止され、日本軍とも関わっていた博道は戦犯容疑をかけられて拘置所に収監されました。

のちに博道は無罪となり釈放されますが、すでに高齢であったために疲弊し、戦後の混乱の中で道場『有信館』も手放すことになりました。

その後、博道は形式的に武道団体の名誉職を務め、昭和33年(1958)に死去しました。享年86。

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おわりに

おそらく最後の「剣聖」であろう中山博道。

古流にこだわり、スポーツ剣道を批判するところは正に「剣聖」の名にふさわしいと思います。

一方、今日の剣道があるのは中山博道のライバルだった高野佐三郎がいたおかげ。

高野佐三郎より10歳年下の中山博道はさすがに面と向かっては批判できなかったのかな?

二人の試合記録はないとされていますが、一説には『済寧館』で試合をして高野佐三郎が上段から小手で勝ったとか。

また他にも、中山博道が是非立合いたいと宮内省の役人を動かして高野佐三郎に承知させたものの、試合の直前に高野佐三郎から「右膝が悪いからできない」と断られたとか。

実際、年齢の違いから試合する時期で勝敗の行方は変わってしまうはずなので、やっぱり夢の対決は夢のままの方が美しいのかも。

 

形を披露する中山博道(右)と高野佐三郎(左)

出典:https://ja.wikipedia.org/

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時代 剣豪名 流派
平安 鬼一 法眼 京八流
源 判官 義経 太刀の術
室町 念阿弥 慈恩(相馬 義元) 念流
中条 兵庫頭 長秀 中条流
飯篠 長威斎 家直 天真正伝香取神道流
松本 備前守 政信 鹿島神流
愛洲 移香斎 久忠 陰流
戦国 塚原 卜伝 高幹 鹿島新當流
山本 勘助 晴幸 京流
竹内 中務大夫 久盛 竹内流
上泉 伊勢守 信綱 新陰流
宝蔵院 胤栄 宝蔵院流
富田 五郎左衛門 勢源 富田流
奥山 休賀斎 公重 神影流
柳生 石舟斎 宗厳 柳生新陰流
北畠 具教 鹿島新當流
師岡 一羽 常成 一羽流
足利 義輝 鹿島新當流・新陰流
疋田 豊五郎 景兼 疋田陰流
丸目 蔵人 長恵 タイ捨流
林崎 甚助 重信 神夢想林崎流
根岸 兎角(信太 朝勝) 微塵流
伊藤 一刀斎 景久 一刀流
斎藤 伝鬼坊 勝秀 天流
真壁 暗夜軒 氏幹 霞流
富田 越後守 重政 富田流
樋口 又七郎 定次 馬庭念流
吉岡 憲法 直綱 吉岡流
江戸 東郷 重位 示現流
小野 忠明(神子上 典膳) 小野派一刀流
小笠原 源信斎 長治 真新陰流
柳生 但馬守 宗矩 柳生新陰流
片山 伯耆守 久安 片山伯耆流
鐘捲 自斎 通家 鐘捲流
柳生 兵庫助 利厳 柳生新陰流
松山 主水 大吉 二階堂平法
夢想 権之助(山本 勝吉) 神道夢想流
小栗 仁右衛門 正信 小栗流
宮本 武蔵 玄信 二天一流
高田 又兵衛 吉次 宝蔵院流
神谷 伝心斎 直光 直心流
針ヶ谷 夕雲 正成 無住心剣流
上泉 義胤(上泉 秀信) 民弥流
松林 蝙也斎 永吉 夢想願流
田宮 平兵衛 重正 田宮流
荒木 又右衛門 保知 柳生新陰流
佐々木 巌流 小次郎 巌流
伊藤 典膳 忠也 忠也派一刀流
柳生 十兵衛 三厳 柳生新陰流
薬丸 兼陳 薬丸自顕流
柳生 連也斎 厳包 柳生新陰流
関口 八郎左衛門 氏業 関口流
高田 三之丞 為長 柳生新陰流
伊庭 是水軒 秀明 心形刀流
今枝 佐仲 良台 初實剣理方一流
辻 月丹 資茂 無外流
高木 馬之輔 重貞 高木流
真里谷 円四郎 義旭 無住心剣流
堀部 安兵衛 武庸 馬庭念流
樋口 十郎兵衛 定暠 馬庭念流
楳本 法神 政武 法神流
寺田 五右衛門 宗有 天真一刀流
戸賀崎 熊太郎 暉芳 神道無念流
近藤 内蔵之助 長裕 天然理心流
平山 行蔵 講武実用流
岡田 十松 吉利 神道無念流
岡田 惣右衛門 寄良 柳剛流
浅利 又七郎 義信 中西派一刀流
白井 亨 義兼 天真一刀流
中西 忠兵衛 子正 中西派一刀流
千葉 周作 成政 北辰一刀流
大石 進 種次 大石新陰流
男谷 精一郎 信友 直心影流
高柳 又四郎 義正 中西派一刀流
伊庭 軍兵衛 秀業 心形刀流
幕末 斎藤 弥九郎 善道 神道無念流
大川 平兵衛 英勝 神道無念流
加藤田 平八郎 重秀 加藤田新陰流
遠藤 五平太 正贇 中西派一刀流
島田 虎之助 直親 直心影流
逸見 小源太 長英 甲源一刀流
橘 内蔵介 正以 柳剛流
浅利 又七郎 義明 中西派一刀流
勝 海舟 安邦 直心影流
桃井 春蔵 直正 鏡新明智流
大山 格之助 綱良 薬丸自顕流
宇野 金太郎 重義 片山伯耆流
斎藤 新太郎 龍善 神道無念流
清河 八郎 正明 北辰一刀流
黒河内 伝五郎 兼規 神夢想一刀流
仏生寺 弥助 神道無念流
上田 馬之助 美忠 鏡新明智流
高杉 晋作 春風 神道無念流・柳生新陰流
桂 小五郎(木戸 孝允) 神道無念流
佐々木 只三郎 泰昌 神道精武流
斎藤 歓之助 歓道 神道無念流
千葉 栄次郎 成之 北辰一刀流
河上 彦斎 玄明 我流
近藤 勇 昌宜 天然理心流
坂本 龍馬 直柔 北辰一刀流
高橋 泥舟(高橋 伊勢守) 自得院流
土方 歳三 義豊 天然理心流
沖田 総司 房良 天然理心流
永倉 新八(長倉 載之) 神道無念流
伊庭 八郎 秀穎 心形刀流
斎藤 一(藤田 五郎) 無外流
岡田 以蔵 宜振 鏡新明智流
中村 半次郎(桐野 利秋) 薬丸自顕流
明治 山岡 鉄舟 高歩 一刀正伝無刀流
榊原 鍵吉 友善 直心影流
松崎 浪四郎 直之 加藤田新陰流
渡辺 昇 武常 神道無念流
奥村 左近太 奥村二刀流・直心影流
得能 関四郎 通久 直心影流
牟田 文之助 高惇 鉄人流
根岸 信五郎 資剛 神道無念流
門奈 正 水府流・北辰一刀流
高山 峰三郎 直心影流
逸見 宗助 立身流
高橋 赳太郎 高運 無外流
本間 三郎 本間念流
川崎 善三郎 重徳 無外流
高野 佐三郎 豊正 中西派一刀流
内藤 高治 北辰一刀流
山田 次朗吉 鹿島神傳直心影流
中山 博道 神道無念流

 

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