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伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【堀部安兵衛】日本最強は誰?流派は?

投稿日:2018年4月8日 更新日:

はじめに

この記事ではシリーズで伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【堀部安兵衛】です。【堀部安兵衛】は「忠臣蔵」でも有名な赤穂浪士の一人で、仇討ちに最も急進的だった武闘派の剣豪です。それでは【堀部安兵衛】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。

 

出典:http://edomae21.com/

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堀部安兵衛 

名前:堀部安兵衛武庸

流派:馬庭念流

出身:越後国

年代:江戸時代中期(1670~1703)

剣豪・安兵衛

堀部安兵衛は寛文10年(1670)に越後国新発田藩・溝口家家臣の中山弥次右衛門の長男として生まれました。

母は出産した直後に死去したため、安兵衛は母方の祖母を母代わりにして育てられましたが、祖母が死去すると父のところへ戻り、以降は男手ひとつで育てられました。

しかし、安兵衛が13歳のときに父は失火の責任を負って浪人となってしまいます。

さらに浪人後、ほどなくして父が死去、安兵衛は母方の祖父に引き取られますが、その祖父も死去すると姉・きんの嫁ぎ先である長井家に引き取られました。

安兵衛は長井家では居づらい思いをしたのか、19歳になると長井家の親戚・佐藤新五右衛門を頼って江戸へ出て、当時盛況だった堀内正春の堀内道場に入門します。

そして天賦の才と努力でたちまち頭角をあらわした安兵衛は、すぐに免許皆伝となって『堀内道場の四天王』と呼ばれるようになりました。

そんな中、親しくしていた同門の伊予国西条藩家臣・菅野六郎左衛門が果し合いをすることになり、安兵衛は助太刀を買って出ました。

元禄7年(1694) 、高田馬場で行われた決闘では安兵衛は駆けつけるや否や、3人を瞬く間に斬り倒します。

これが江戸で評判になり、赤穂藩家臣・堀部弥兵衛は安兵衛を養子に迎えたいと思うようになりました。

当初、安兵衛は養子縁組申入れに対して「中山家を潰すわけにはいかない」と断っていました。

しかし、「主君から中山姓のままでもよい」という許可まで出させるほど弥兵衛の思い入れは強いものであったため、安兵衛も折れて堀部家に入り、晴れて赤穂藩家臣となるのです。

そしてその後、隠居した弥兵衛から家督相続して、結局のところ安兵衛は堀部姓に変えることとなります。

 

出典:https://www.famitsu.com/

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忠臣蔵

赤穂藩で江戸詰めとなっていた安兵衛は御使番、馬廻役などで活躍していましたが、元禄14年(1701)に主君・浅野内匠頭長矩が江戸城松之大廊下で吉良上野介義央を相手に刃傷事件を起こし、即日に切腹、赤穂藩の取り潰しが決まります。

これに憤慨した安兵衛は主君の仇討ち決行を主張するため、赤穂へ赴いて筆頭家老・大石内蔵助良雄と面会しました。

しかし、穏健派の大石内蔵助からは『浅野家再興を優先することが重要』と諭され、安兵衛は城の明け渡しを見届けて江戸に戻ることとなります。

江戸に戻った安兵衛は、それ後も仇討ちを主張し続けて急進派のリーダー格となり、大石内蔵助に対して江戸に来るよう書状を送り続けました。

たまりかねた大石内蔵助は急進派を抑えようと、主だった者たちを江戸に派遣して説得を試みましたが、全員が安兵衛に論破されて逆に急進派に加ってしまいます。

このため、大石内蔵助は仕方なく自ら江戸へ下って安兵衛たちと会談し、一周忌の日に仇討決行を約束して京都へ戻りました。

しかし、大石内蔵助は主君の一周忌が過ぎても仇討ちを決行しようとはせず、江戸にすら来ることはありません。

業を煮やした安兵衛は再び面会するため、今度は自分が京都に向かいした。

この時、安兵衛は説得不可能であれば大石内蔵助を斬り捨てるつもりだったといいます。

そんな中、絶妙のタイミングで浅野家再興が絶望的となったことで大石内蔵助もついに覚悟を決め、安兵衛に明確に仇討ちの意志を示しました。

そして元禄15年(1703)、安兵衛ら赤穂浪士四十七士は吉良邸へ討ち入りを決行。

安兵衛は裏門から突入して大太刀を持って奮戦し、1時間あまりの戦いの末に赤穂浪士は吉良上野介を討ち取って本懐を遂げました。

」そして討ち入り後、赤穂浪士は幕府から切腹を命じられ、安兵衛もその生涯を閉じたのです。享年34歳。

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おわりに

堀部安兵衛の名前は、現在では「忠臣蔵」の主要メンバーとして有名ですが、当時は若い頃から「剣豪」として有名だったようです。

その「剣豪」としての名前が轟いていたからこそ、養子縁組を強要され、赤穂藩に召し抱えられて、最後は34歳という若さで死んでしまう悲しい運命。

しかし、江戸時代という戦のない時代に剣の腕だけで歴史に名を残し、『義士』として後世まで語り継がれる活躍ができたのは「剣豪」としては幸せな人だったのかもしれません。

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時代 剣豪名 流派
平安 鬼一 法眼 京八流
源 判官 義経 太刀の術
室町 念阿弥 慈恩(相馬 義元) 念流
中条 兵庫頭 長秀 中条流
飯篠 長威斎 家直 天真正伝香取神道流
松本 備前守 政信 鹿島神流
愛洲 移香斎 久忠 陰流
戦国 塚原 卜伝 高幹 鹿島新當流
山本 勘助 晴幸 京流
竹内 中務大夫 久盛 竹内流
上泉 伊勢守 信綱 新陰流
宝蔵院 胤栄 宝蔵院流
富田 五郎左衛門 勢源 富田流
奥山 休賀斎 公重 神影流
柳生 石舟斎 宗厳 柳生新陰流
北畠 具教 鹿島新當流
師岡 一羽 常成 一羽流
足利 義輝 鹿島新當流・新陰流
疋田 豊五郎 景兼 疋田陰流
丸目 蔵人 長恵 タイ捨流
林崎 甚助 重信 神夢想林崎流
根岸 兎角(信太 朝勝) 微塵流
伊藤 一刀斎 景久 一刀流
斎藤 伝鬼坊 勝秀 天流
真壁 暗夜軒 氏幹 霞流
富田 越後守 重政 富田流
樋口 又七郎 定次 馬庭念流
吉岡 憲法 直綱 吉岡流
江戸 東郷 重位 示現流
小野 忠明(神子上 典膳) 小野派一刀流
小笠原 源信斎 長治 真新陰流
柳生 但馬守 宗矩 柳生新陰流
片山 伯耆守 久安 片山伯耆流
鐘捲 自斎 通家 鐘捲流
柳生 兵庫助 利厳 柳生新陰流
松山 主水 大吉 二階堂平法
夢想 権之助(山本 勝吉) 神道夢想流
小栗 仁右衛門 正信 小栗流
宮本 武蔵 玄信 二天一流
高田 又兵衛 吉次 宝蔵院流
神谷 伝心斎 直光 直心流
針ヶ谷 夕雲 正成 無住心剣流
上泉 義胤(上泉 秀信) 民弥流
松林 蝙也斎 永吉 夢想願流
田宮 平兵衛 重正 田宮流
荒木 又右衛門 保知 柳生新陰流
佐々木 巌流 小次郎 巌流
伊藤 典膳 忠也 忠也派一刀流
柳生 十兵衛 三厳 柳生新陰流
薬丸 兼陳 薬丸自顕流
柳生 連也斎 厳包 柳生新陰流
関口 八郎左衛門 氏業 関口流
高田 三之丞 為長 柳生新陰流
伊庭 是水軒 秀明 心形刀流
今枝 佐仲 良台 初實剣理方一流
辻 月丹 資茂 無外流
高木 馬之輔 重貞 高木流
真里谷 円四郎 義旭 無住心剣流
堀部 安兵衛 武庸 馬庭念流
樋口 十郎兵衛 定暠 馬庭念流
楳本 法神 政武 法神流
寺田 五右衛門 宗有 天真一刀流
戸賀崎 熊太郎 暉芳 神道無念流
近藤 内蔵之助 長裕 天然理心流
平山 行蔵 講武実用流
岡田 十松 吉利 神道無念流
岡田 惣右衛門 寄良 柳剛流
浅利 又七郎 義信 中西派一刀流
白井 亨 義兼 天真一刀流
中西 忠兵衛 子正 中西派一刀流
千葉 周作 成政 北辰一刀流
大石 進 種次 大石新陰流
男谷 精一郎 信友 直心影流
高柳 又四郎 義正 中西派一刀流
伊庭 軍兵衛 秀業 心形刀流
幕末 斎藤 弥九郎 善道 神道無念流
大川 平兵衛 英勝 神道無念流
加藤田 平八郎 重秀 加藤田新陰流
遠藤 五平太 正贇 中西派一刀流
島田 虎之助 直親 直心影流
逸見 小源太 長英 甲源一刀流
橘 内蔵介 正以 柳剛流
浅利 又七郎 義明 中西派一刀流
勝 海舟 安邦 直心影流
桃井 春蔵 直正 鏡新明智流
大山 格之助 綱良 薬丸自顕流
宇野 金太郎 重義 片山伯耆流
斎藤 新太郎 龍善 神道無念流
清河 八郎 正明 北辰一刀流
黒河内 伝五郎 兼規 神夢想一刀流
仏生寺 弥助 神道無念流
上田 馬之助 美忠 鏡新明智流
高杉 晋作 春風 神道無念流・柳生新陰流
桂 小五郎(木戸 孝允) 神道無念流
佐々木 只三郎 泰昌 神道精武流
斎藤 歓之助 歓道 神道無念流
千葉 栄次郎 成之 北辰一刀流
河上 彦斎 玄明 我流
近藤 勇 昌宜 天然理心流
坂本 龍馬 直柔 北辰一刀流
高橋 泥舟(高橋 伊勢守) 自得院流
土方 歳三 義豊 天然理心流
沖田 総司 房良 天然理心流
永倉 新八(長倉 載之) 神道無念流
伊庭 八郎 秀穎 心形刀流
斎藤 一(藤田 五郎) 無外流
岡田 以蔵 宜振 鏡新明智流
中村 半次郎(桐野 利秋) 薬丸自顕流
明治 山岡 鉄舟 高歩 一刀正伝無刀流
榊原 鍵吉 友善 直心影流
松崎 浪四郎 直之 加藤田新陰流
渡辺 昇 武常 神道無念流
奥村 左近太 奥村二刀流・直心影流
得能 関四郎 通久 直心影流
牟田 文之助 高惇 鉄人流
根岸 信五郎 資剛 神道無念流
門奈 正 水府流・北辰一刀流
高山 峰三郎 直心影流
逸見 宗助 立身流
高橋 赳太郎 高運 無外流
本間 三郎 本間念流
川崎 善三郎 重徳 無外流
高野 佐三郎 豊正 中西派一刀流
内藤 高治 北辰一刀流
山田 次朗吉 鹿島神傳直心影流
中山 博道 神道無念流

 

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