はじめに
この記事ではシリーズでは伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【針ヶ谷夕雲】です。【針ヶ谷夕雲】は真新陰流を学び、のちに「相抜け」の境地に至って実践したとされる隠れた伝説の剣豪です。それでは【針ヶ谷夕雲】について流派や出身地も含め簡単に説明します。
針ヶ谷夕雲
名前:針ヶ谷夕雲正成
流派:無住心剣流
出身:?
年代:江戸時代初期(?~?)
相抜けこそ剣の境地
針ヶ谷夕雲は上野国針ヶ谷の出身であるとも、武蔵国針ヶ谷の出身であるとも言われ、出身地はハッキリしていません。
身の丈6尺、力は3人力という偉丈夫だった夕雲は江戸に出て「真新陰流」の小笠原源信斎長治に入門し、秘術『八寸の延金』を授けられて印可を受けました。
夕雲は常に重く長い刃引きの刀を差して歩いており、弟子が理由を尋ねると「大勢を相手にした場合、普通の刀では刃がダメになる。だから刃引きで叩き殺すのだ」と答えています。
また、その剛力をもってして生涯に52回の試合を行い、一度も敗れなかったといわれます。
夕雲は仕官することはせず、生涯浪人暮らしを貫き通していました。
40代半ばまでは剣一筋、無学文盲の人間であり、源信斎に学んだ「真新陰流」を守っていましたが、本郷駒込の龍光寺・虎白和尚のもとで参禅するようになると「真新陰流」を捨て去りました。
「我より劣った者には勝ち、我より勝った者には負ける。技量が同じならば相打ちとなり、全くラチがあかない。こんなものは畜生剣法と呼ぶべきである。我こそ天下無敵と信じて修行を重ね、最後には師との真実の試合を行い、共に当たらぬことを至極とする。むしろ高い境地に至った者同士であれば、互いに剣を交える前に相手の力量を感じ取り、戦わずして剣を納める。」
夕雲はこの境地を『相抜け』と称し、この境地の前では「真新陰流」も秘術『八寸の延金』も虚構のものに過ぎないとしました。
そして虎白和尚は『金剛般若経』から取って、夕雲の剣を「無住心剣流」と名付けたといいます。
この針ヶ谷夕雲にせよ、神谷伝心斎にせよ、「真新陰流」の小笠原源信斎の弟子たちは晩年に儒教や禅に触れて、流派を離れて独自の思想を持った剣の境地に達しています。
その後、夕雲の道統は門弟の小田切一雲が継承しましたが、夕雲と一雲は3度立ち合って、3度とも『相抜け』に終わったといいます。
おわりに
若い頃は、体格とパワーを生かしたイケイケドンドンタイプの猛将ぽい針ヶ谷夕雲。
なんてったって敵を斬るより叩き殺すほうがいいと豪語していたんですから、とんでもないパワーファイターです。
しかし突如、禅に目覚めて『相抜け』の境地に至るというのは、なかなかドラマチックな人生。
ドヤンキーがちょっと勉強したからって調子こいて、ご立派な屁理屈を並べてるだけかと思いきや、弟子と3回やって3回とも『相抜け』したってのが実にカッコイイ。
この人、ホントに隠れた「伝説の剣豪」だと思います。
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