はじめに
この記事ではシリーズ化して伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介しています。日本の歴史上の中で侍、武士が数多く名を残してきましたが、今回紹介する伝説の剣豪・剣士・剣の達人は【小栗仁右衛門】です。【小栗仁右衛門】は坂本龍馬も学んだとされる柔術を裏技に持った剣術を考案した伝説の剣豪です。それでは【小栗仁右衛門】について流派や出身地も含め簡単に説明していきます。
小栗仁右衛門
名前:小栗仁右衛門正信
流派:小栗流
出身:三河国
年代:戦国時代~江戸時代初期(1582~?)
柔術の祖
小栗仁右衛門は徳川家康の小姓・小栗又市忠政の次男として誕生しました。
父・忠政は合戦ごとに一番槍をあげ、それまでの通称であった『又市』に『又もや一番槍』の意をこめて『又一』の名を賜ったと伝わっています。
仁右衛門もまた家康に小姓として仕え、御膳番を務めて若い頃から「柳生新陰流」を学んでいました。
小栗家の家督は長男が継いだため、仁右衛門は分知550石を武蔵国足立郡にもらって旗本になると、関ケ原の戦い、大坂の役に従軍します。
この合戦の中で、仁右衛門は『組討ち』の必要性を強く感じていきました。
その後、仁右衛門は長崎奉行赴任中に同門の駿河鷲之助と協力して「組討術」を考案。
長崎には医師・秋山四郎兵衛が中国から持ち帰って創始した「楊心流」という中国武術があり、仁右衛門たちも何らかの影響を受けたかもしれません。
また、「柳生新陰流」が伝える『無刀取り』の術が、そもそも柔術と関連が深く、仁右衛門が「新陰流」の中にある技をもとに「組討術」を考案したとも考えられます。
仁右衛門は組合、組討45箇条を設定しましたが『柔術』の名を嫌って『甲冑伝』『武者取り』などと名を付け、総称を「小栗流和術」としました。
この「小栗流和術」は刀術を表、和術を裏とする総合武術として伝わり、仁右衛門は土佐藩主・山内忠豊をはじめとして各藩の藩士たちにも教授を行っていきました。
抱えた門弟は3,600人にのぼり、土佐藩で流儀として栄えた「小栗流」は、幕末の英雄・坂本龍馬も伝授されてたといいます。
おわりに
非情に地味な印象の小栗仁右衛門ですが、坂本龍馬も学んでいたとすれば少しは人気が出るのかな?
江戸幕府によって平和な時代に変わっていこうとしているのに、甲冑を着た相手に『組討ち』で立ち向かう「小栗流」は少し時代遅れな気もします。
それでも3,600人の門弟を持っていたのは「小栗流」が伝える心身一体の精神性が高く評価されていたからかもしれません。
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