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大河ドラマ直虎【井伊直政】万千代から赤鬼・直政へ。直虎、直親、政次らが命を懸けて守った虎松の生涯をご紹介

投稿日:2017年9月6日 更新日:

大河ドラマ「おんな城主 直虎」
井伊直政(虎松、万千代)

三浦春馬さんが演じる井伊直親、高橋一生さんが演じる小野政次がいなくなり、今後の大河ドラマ「おんな城主 直虎」を引っ張っていくのは、当然ながら井伊直政(虎松、万千代)しかいません。

これまでは、寺田心くんが幼少期を演じてきましたが、遂に38話ぐらいから菅田将暉さんへとバトンタッチして、大河ドラマ直虎及び、ドラマの中の直虎、井伊家を支えていくことになります。

井伊直政(虎松、万千代)は、悲劇が続いた井伊家を立て直し、徳川四天王と称されるまで大出世した人物。

今回は、「井伊の赤鬼」と恐れられた井伊直政(虎松、万千代)について軽く紹介していきたいと思います。

ちなみに、井伊直政(虎松、万千代)を演じる菅田将暉さんは、某CMで大河ドラマに先んじて「鬼」を演じていますね(笑)。

どうでもいいけど「金ちゃん」のオカッパ姿が、直虎に見えてしまうのは、今回の大河ドラマにハマりすぎている証拠でしょうか?

 

 

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井伊直政(虎松、万千代)

井伊直政は今川義元に仕えていた井伊家当主である井伊直盛が、主君共々戦死した桶狭間の戦いの1年後の、1561年に井伊直親の嫡男として誕生しました。

母は奥山朝利の娘・しの。幼名は虎松。

井伊家にとって待望の跡継ぎ誕生でしたが、すぐに悲劇が襲います。

1562年、謀反の疑いで父・直親は今川氏真に誅殺されたのです。

この時、虎松はわずか2歳でした。

このために井伊家は直盛の娘・次郎法師が「井伊直虎」と名乗り、井伊家の当主(虎松の後見)となって井伊谷を治めることになります。

大河ドラマとなる「おんな城主 直虎」の誕生でした。

虎松は父・直親の謀反によって今川氏から命を狙われましたが、新野親矩の助命嘆願によって助かります。

その後、虎松は新野家で生母・しのと共に暮らすことになりました。

 

 

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一方、今川氏は武田氏との同盟が崩れ、関係が悪化。

1568年、ついに武田信玄が駿河侵攻を決意し、今川氏を攻めようとします。

今川氏真は、戦に備えた家臣団の統制のため、謀反の影がちらちく井伊家に対し、虎松を殺すよう家老の小野政次に命じます。

このため、直虎は虎松を出家させ、父・直親と同じように寺(鳳来寺)へ逃がしました。

 

その後、井伊家は徳政令を巡って取り潰され、井伊谷は小野政次が専横することになります。

しかし、その小野政次も徳川家康の遠江侵攻によって敗れ、井伊谷は徳川に味方した井伊谷三人衆の一人・近藤康用の管理下に置かれるようになりました。

城を出ていた直虎たちは遠江を巡る武田と徳川の争いを予見し、しばらく井伊家再興の期を伺うことにします。

そうこうしていると直虎の予想通り、武田と徳川の間に戦が起こり、井伊谷は武田軍の山県昌景に焼き払われるなど、苦難の道が続きます。

それでも直虎たちは、ひたすら耐えました。

虎松の成長を待っていたのです。

 

 

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1574年、ついにその時がやってきます。

虎松の父・直親の十三回忌が龍潭寺で営まれた際、虎松が参列。

立派に成長していた14歳の虎松を見た直虎と南渓、直虎の母・祐椿尼、さらに松下家に再嫁していたしの(※再嫁したのは虎松帰国後とも)は相談して、虎松を徳川家康に仕えさせようと画策します。

まずは虎松を鳳来寺に帰さないため、しのが再嫁していた松下源太郎清景の養子に虎松を迎えました。

そして翌1575年、松下源太郎清景、松下常慶兄弟の協力で家康の鷹狩りの最中、偶然を装って虎松と家康を対面させます。

この時、直虎と祐椿尼は、家康と虎松の対面の為に晴れ着の小袖をそれぞれ一枚づつ縫い、祝儀に贈っています。

虎松が井伊直親の嫡男だと知った家康は、その場で召し抱えると言って虎松を浜松城に連れて帰り、自らの幼名「竹千代」の「千代」を与え「万千代」と名乗らせました。

さらに家康は万千代に松下姓から井伊姓に戻るよう命じ、3百石を与えて家康の小姓として取り立てました。

 

 

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井伊万千代が家康の小姓となった3か月後、徳川8千の軍勢は織田信長率いる3万の兵と連合して、1万3千の武田勝頼軍と対峙します。

織田・徳川連合軍は武田軍を壊滅させます(長篠の戦い)が、この時、万千代は参陣していなかったようです。

 

続く1576年、勝頼が遠江に侵攻して高天神城に入ると、家康も兵を繰り出し両軍は対峙しました。

この高天神城の戦いで、万千代は本多忠勝、榊原康政と共に先鋒として戦い、徳川家臣団の中で頭角をあらわしていきます。

2月7日の深夜、陣営で寝ていた家康の命を狙って武田の間者数人が忍び入りました。

家康のそばにいた万千代は、これに気づいて一人を討ち取り、一人に手傷を負わせて撃退します。

命を救われた家康は、恩賞として万千代の石高を3千石に加増、井伊谷の領地を与えました。

万千代の手柄を一番喜んだのは直虎に間違いありません。

井伊家の忠臣はすでに万千代となっていましたが、拝領した井伊谷領は直虎が預かりました。

万千代は、井伊の苦しい時を支えてきた直虎こそが井伊家の当主であるべきで、直虎が健在なかぎり家督を相続しないと決めていたようです。

 

 

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その後も手柄を立てた万千代は2万石まで加増されます。

直虎は、男として生きる必要が無くなったことを実感して「次郎法師」ではなく、尼僧「祐圓(ゆうえん)」の名を南渓から授かりました。

 

1582年3月、織田・徳川連合軍は天目山の戦いで武田氏を滅ぼします。

しかし6月、本能寺の変が起こり信長は明智光秀に討たれます。

これによって、信長の招きで堺に滞在していた家康の身も危うくなりました。

この時、万千代も家康に随行しており、祐圓(直虎)は万千代の無事を病床から祈ります。

すると家康、万千代たちは、「伊賀越え」を敢行してなんとか岡崎城にたどり着きました。

万千代の無事を確認した祐圓(直虎)は、2か月後に龍潭寺の一角にある松岳院で静かに息を引き取りました。

 

 

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直虎が亡くなった時、万千代は信長の死を好機とみた北条氏直の軍と甲斐国で対峙していました。

そして家康は北条との和睦の使者に万千代を任命します。

万千代は見事に和議を成立させ、この功によって4万石に加増。

さらに旧武田家臣団を付与されて「赤備え」を整備することになりました。

 

万千代は甲斐から帰国すると真っ先に龍潭寺の祐圓(直虎)の墓に参拝し、元服して「直政」と名乗りました。

徳川軍を支える将として出世した直政は、曾祖父・直平が名乗った「兵部少輔」を家康から授かります。

さらに家康は、松平康親の娘・花(後の唐梅院)を自分の養女にしたうえで直政に嫁がせるなど、とにかく目をかけて直政を大事にしました。

 

その後、1584年の小牧・長久手の戦いで、直政は初めて赤備えを率いて羽柴秀吉軍の別動隊を殲滅。

森長可を討ち取るなどの武功を挙げ、「井伊の赤鬼」の名を轟かせます。

 

 

出典:https://geinou-news.jp/

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1585年には、真田攻めの撤退を指揮するために上田に派遣され、1586年には家康が上洛し、豊臣秀吉に臣従すると、直政の武勇・政治的手腕を秀吉は高く評価していました。

そして聚楽第行幸の際には、徳川家筆頭家老であった酒井忠次は許されなかった昇殿を直政が許されるなど、徳川家臣団の中でで最も高い格式の重臣となりました。

1590年の秀吉の小田原征伐では参陣した武将の中で唯一、小田原城内にまで攻め込んだ武将としてその名を知られます。

その後の奥州の九戸政実の乱でも仕置軍の先鋒を務め、家康が江戸に入ると直政は上野国箕輪12万石を拝領します。

これは、徳川家臣団の中で筆頭石高(NO.1)でした。

1598年には、箕輪城を廃して高崎城を新たな居城とするなど内政にも尽力。

秀吉が死去した後の豊臣方の武将との交渉を引き受け、家康の味方に引き入れることにも成功しています。

特に黒田孝高・長政父子とは盟約を結ぶまでの関係を築き、その黒田家を通じて他の武将も徳川方に組み入れました。

 

 

出典:http://www.cinemacafe.net/

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1600年の関ヶ原の戦いでは家康本軍に随行し、本多忠勝と共に東軍の軍監に任命され、東軍指揮の中心的存在となります。

同時に全国の諸大名を東軍に寝返らせる工作を行って、多くの西軍の武将を東軍に取り込みました。

この戦いで、直政は島津義弘の甥である島津豊久を討ち取ります。

しかし退却する島津軍を追撃し、義弘討ち取りの命を下した際、島津軍の柏木源藤が撃った銃弾が命中し落馬してしまいます。

直政の猛追ぷりは凄まじく、配下が追い付くことができず、もはや単騎駆け状態でした。

 

大怪我を負った直政でしたが、その後も戦後処理と江戸幕府の基礎固めに尽力。

直政は、西軍総大将を務めた毛利輝元との講和交渉役を務めて、輝元から感謝されて今後の「御指南」役をお願いされています。

他にも、徳川氏と島津氏の和平交渉の仲立ち、真田昌幸と次男・信繁(幸村)の助命にも尽力するなど、この頃の直政は外交手腕と器の大きさを見せつけています。

これらの功によって、直政は石田三成の旧領・佐和山(滋賀県彦根市)18万石を与えられました。

家康は、西国の抑えと非常時の朝廷守護のために、京都に近い彦根に井伊家を配したといわれており、いかに家康から強い信頼を得ていたかがわかります。

 

1602年、関ケ原の銃創がもとで死去。

家督は長男・直継(直勝)が継いだものの病弱のために、1614年に家康の直命によって、次男・直孝が指名されました。

その後、彦根城の築城が開始されると同時に佐和山藩18万石は廃藩、新たに彦根藩30万石が誕生しました。

それ以来、彦根藩は明治時代になるまで井伊氏の藩として栄えることとなります。

 

 

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