大河ドラマ「おんな城主 直虎」
今川氏真
大河ドラマ「おんな城主 直虎」で尾上松也が演じる今川家当主・今川氏真。
ちょっと問題が起これば、やる気をなくし、うまくいけば調子に乗る今川氏真は、井伊家を陥れる性格の悪いバカ殿、ボンボン大名のように描かれています。
直虎たち井伊家の側から描かれているから仕方ありませんが、実際の今川氏真は、優れた人物とは言えないけれど戦国時代の最前線に突如放り出された凡人だと考えてみると、とても同情する部分も多いです。
今回は、そんな今川氏真について、史実と大河ドラマ直虎を混ぜて、簡単に説明したいと思います。
出典:http://www.nhk.or.jp/
今川氏真(1538~1615)
今川家10代当主。
父は今川義元、母は定恵院(武田信虎の娘)。
桶狭間の戦いで義元が戦死し家督を継いだが、家臣の離反が相次ぎ、徳川家康の台頭や武田信玄の駿河侵攻によって、領国の駿河、遠江、三河を短期間で奪われて戦国大名としての今川家最後の当主となった。遊興に耽り、家臣に政務を任せっきりにしたといわれている。
和歌・連歌・蹴鞠などの技芸に通じた文化人でもあり、生涯に多くの和歌を詠んだ。
また、塚原卜伝に新当流の剣術を学んでいる。
遊びすぎ!
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氏真にも剣術を指南した塚原卜伝とは?
幼少期~今川滅亡まで
1538年、義元と定恵院(武田信虎の娘)との間に嫡子として生まれる。
こんなに可愛かった氏真(龍王丸)
【大河ドラマ直虎】
このころ井伊家から人質に取ろうとした、おとわ(のちの直虎)に得意だった蹴鞠でしつこく勝負を挑まれ、最終的に負けてしまいます。勝負に勝ったおとわは今川義元に井伊谷に帰れるよう願い出ました。この時、龍王丸(のちの氏真)は、おとわを卑怯だと罵りましたが、祖母・寿桂尼は、龍王丸の教育のためにも負けを認め、おとわの願いを聞き入れるよう義元に進言し、おとわは井伊に帰されました。
1554年、氏真は北条氏康の長女・早川殿と結婚し、武田氏、北条氏との間に甲相駿三国同盟が成立した。
こんなにきれいな春(早川殿)さんをお嫁にもらいます
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今川氏真の妻・春(早川殿)とは
1558年頃より、氏真は政務に携わり、駿河や遠江国に文書を出している。
1560年、父・義元が桶狭間の戦いで討ち死。氏真は、祖母である寿桂尼の後見を受けて今川家の領国を継承する。
父・義元の訃報に激しく動揺する氏真
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桶狭間の戦いでは、今川家の重臣や国人(井伊直盛など)が多く討死。
三河・遠江の国人は今川家に対する不満などが噴出し、今川家から離反する者が現れる。
氏真は、桶狭間の陣頭に動員されて犠牲が大きかった三河の国人の動揺を抑えようと多くの安堵状を出したが、西三河の国人たちは岡崎城の松平元康の勢力下に入ってしまう。
1561年、将軍・足利義輝が今川氏と松平氏との和解を促し、氏真の同盟先であった北条氏康も仲介するが、松平元康に拒絶されてしまう。
一方、北条家とは良好な関係が続き、長尾景虎(のちの上杉謙信)の関東侵攻に対し北条家への援軍を送るなどしている。
岡崎城に入った松平元康
このころ氏真は領内安定のために、国人たちに新たな人質を要求する。
東三河の国人たちはこれに不満を抱き、今川派と松平派の間で抗争が起こる。
今川氏は松平派の人質処刑を実行したために、多くの東三河勢の離反が相次いだ。
続いて、遠江でも家臣団・国人の混乱が広がり、井伊谷の井伊直親、曳馬城主・飯尾連竜、犬居の天野景泰らが離反の動きが起こる。
1562年、松平元康は織田信長と清洲同盟を結び、今川氏の傘下から完全に独立する姿勢を明らかにする。
氏真は自ら出陣し、松平氏の牛久保城を攻撃したが逆に撃退された。
1563年、井伊直親を謀反の疑いありとして、重臣の朝比奈泰朝に誅殺させている。
【大河ドラマ直虎】
松平元康をはじめとする領国の混乱に投げやりになる氏真であったが、『おんな大名』寿桂尼の「不安の目は先に刈り取る」のアドバイスで、井伊直親殺害計画を実行することになります。
ニセ康の計で、井伊直親はまんまとひっかかり、今川を裏切ることを計画していることが今川方に露見。
すぐに井伊直親を呼び出して、掛川城近くで殺害に成功しました。
そして、井伊家の家老で目付であった小野政次は、寿桂尼に問い詰められて今川への忠誠を誓わされます。
このころ、松平元康の三河国では一向一揆が発生。
今川に忠誠を誓ったばかりの小野政次は、氏真に一揆を煽るよう進言し松平の勢いは衰えました。
その後、三河一向一揆は1564年に収束しています。
祖母・寿桂尼のアドバイスを聞く氏真
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小野政次のアドバイスに「お主も悪い奴よのぉ~」と声をかける氏真
ニセ康の計
1564年、東三河の拠点である吉田城が開城し、今川氏の勢力は三河から駆逐される。
また、曳馬城の飯尾連竜が家康と内通して反旗を翻した。
氏真は、重臣・三浦正俊らに命じて曳馬城を攻撃させるが陥落させることができず、逆に正俊が戦死してしまう。
その後、和議に応じて降った連竜を1565年に謀殺した。
【大河ドラマ直虎】
このころ、井伊家の大ジジ様・井伊直平は、氏真の命により出陣し戦死。
井伊家臣・中野直由と新野左馬助も、曳馬城攻めに参加して戦死しています。
1565年、氏真の妹・嶺松院を嫁とする武田家嫡男の武田義信が幽閉される事件が発生。
【大河ドラマ直虎】
武田義信幽閉事件で、武田信玄の駿河侵攻の野望が分かり、氏真は大いに動揺。
氏真は、病床にあった祖母・寿桂尼に泣きつきます。
すると、寿桂尼は氏真の呼びかけに復活しました。
その後、武田信玄に書状を送りましたが、聞き入れられることはありませんでした。
寿桂尼に泣きつく氏真
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武田義信幽閉事件とは
1566年、飯尾氏家臣が籠城する曳馬城には再び攻撃がかけられ、開城することによって反乱は終息をみた。
このころ、氏真は富士大宮の六斎市を楽市とすることを命じ、徳政の実施を命じたり、役の免除などを行ったりした。
しかし、これらの政策でも今川氏の衰退を止めることはできなかった。
1567年、武田義信が自刃。武田家より氏真の妹・嶺松院は今川家に還され、甲駿関係においては婚姻が解消された。
このころ、武田信玄は四男・勝頼の正室に信長養女・龍勝院を迎え、さらに徳川家康とも盟約を結んだ。
これによって武田氏との関係は緊迫し、氏真は越後国の上杉謙信と和睦して、相模国の北条氏康と共に武田領内への塩止めを行ったという。
しかし、武田信玄は徳川家康や織田信長と同盟を結んで対抗したため、これは決定的なものにはならなかった。
1567年~1568年、駿河に風流踊が流行し、氏真は自ら太鼓を叩いて興じたという。
【大河ドラマ直虎】
このころ武田家との関係悪化で、氏真は武田領内への「塩止め」を実行しましたが、逆に駿河の古参商人たちが打撃を受け、気賀に流れる者が増加します。
氏真は、気賀を治めるべく大沢基胤に築城を命じますが、気賀は大混乱。
直虎に気賀を治めてもらうよう大沢基胤が願い出て、何をやってもうまくいかない氏真は自暴自棄となって認めました。
また、武田義信が死んだあと、氏真の妹・鈴(嶺松院)の奪還に寿桂尼が奔走し、北条家の力を借りて成功しました。
しかし、あまりの寿桂尼の活躍に、当主としての面目丸つぶれの氏真は、風流踊などで遊びふけります。
結局、寿桂尼が再び倒れて氏真は改心し、寿桂尼のデスノートに沿って直虎を追い詰めることになります。
やりたい放題の氏真
1568年、寿桂尼が死去し、ついに甲駿同盟は手切れとなる。
武田信玄は甲府を発して駿河への侵攻を開始し、氏真も武田軍を迎撃するため出陣したが、駿河の有力国人21人が武田側に通じたため、今川軍は潰走して駿府も占領された。
氏真は、早川殿のための乗り物も用意できず、代々の判形も紛失するというありさまで、家臣・朝比奈泰朝の掛川城へ逃れた。
しかし、遠江にも今川領分割(駿河を武田、遠江を徳川)を武田信玄と約していた徳川家康が侵攻し、その大半が制圧される。
やがて徳川軍によって掛川城が包囲されたが、朝比奈泰朝らの抵抗で半年近くの籠城戦となった。
早川殿の父・北条氏康は救援軍を差し向けたが、駿河の武田軍の撃破には至らず戦況は膠着した。
徳川軍による掛川包囲戦が長期化してくると、武田信玄は約定を破って遠江へ侵攻しようとしたため、徳川家康は氏真との和睦を進める。
1569年、氏真は家臣の助命と引き換えに掛川城を開城した。
この時に、氏真・徳川家康・北条氏康の間で、武田勢力を駿河から駆逐した後は、氏真を再び駿河の国主とするという盟約が成立する。
しかし、氏真は二度と駿河の国主になることはなかった。
最後は家臣のことを思い開城を決意した氏真
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「おんな大名」寿桂尼
今川氏の滅亡は、今川氏真の経営能力のなさが原因ではなく、あまりにも周りの戦国大名が優秀すぎることがあると考えられます。
織田信長、徳川家康、武田信玄、北条氏康、こんなメンバーに囲まれてるわけですから。
また、父・義元、祖母・寿桂尼など優秀な一族が、どんどん死んでしまったことも氏真にとっては悲劇でした。
結局、織田も武田も北条も、次の代ぐらいで滅亡していきますから、偉大すぎる父を持つ子は、みんな大変なんでしょうね。
けど、氏真の一生はここでは終わりません。
この後の氏真については別記事にてご紹介します。
みんなで蹴鞠していた栄華は取り戻せるのか?
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今川氏真のその後の人生
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