大河ドラマ「いだてん」
第40話「バックトゥザフューチャー」【感想】
平沢(星野源)と岩ちん(松坂桃李)の本格登場でいだてん最終章へ
大河ドラマ『いだてん』の第40話『バックトゥザフューチャー』いかがでしたか。
ラグビーW杯のお休み明けということもあり、「一体どんな話だったっけ?」と一瞬考えてしまった人も多いのでは?
また、いきなり時間軸がすっ飛んでいたことあって「あれ?俺一回分見逃したのかな?」なんて思った人もいるかも。
しかも、前回の話は五りん(神木隆之介)の父親・小松勝の話だったし、田畑政治はほとんど登場してきませんでしたからね。
久々にちゃんと見た気がしますよ阿部サダヲさんを。
では、1964東京オリンピックに向けて動き出す、慌ただしかった第40話をおさらいしていきます。
まず、序盤のシーンでは昭和34年(1959)まで時間が飛んでいます。
前回メインで描かれていた『終戦』は、昭和20年(1945)ですからその14年後の話が描かれていることになります。
東京オリンピック招致に向けて田畑政治(阿部サダヲ)、岩田幸彰(松坂桃李)、東龍太郎(松重豊)が困っていたのは、IOC総会で東京招致を決める重要なスピーチをするはずだった北原秀雄がアキレス腱を切っていたことでした。
松葉杖でもスピーチは可能ですが、運動会でケガした男がスポーツの演説をするなんてあまりにも説得力がない。
そこで田畑たちが目をつけたのが、NHK解説委員になっていた平沢和重(星野源)。
この人は東京オリンピック開始を日本で一番願って活動していた嘉納治五郎(役所広司)の最期を看取り、さらに嘉納先生の遺言とも言うべき『動き続けるストップウォッチ』を田畑に直接手渡していた人物。
近すぎてストップウォッチ見えません
しかし、この平沢はこの時期になると外交官を辞めて、NHK解説委員となり『東京オリンピック招致は時機尚早』と田畑たちとは反対の意見を持っていました。
そのため、田畑たちは平沢を直接呼び出して説得を試みたというわけです。
『直接話し合えば分かってもらえる』っていうのは、嘉納治五郎、田畑政治の常套手段ですよね。
いちいち振り返りませんが、これまでも『いだてん』では何度もそんな場面が描かれてきています。
そして田畑が平沢に東京オリンピック招致のスピーチを引き受けるようアピールしたのが、戦後からの自分たちの実績と熱い思いでした。
ここでやっと前回の『終戦』から田畑たちがどうやって日本のスポーツを復興させてきたかが語られます。
田畑たちが過去を振り返る形で始まる戦後ですが、起こった出来事を簡単に説明しているために正直「もったいないなぁ」って印象を受けました。
ザっと語られた戦後の14年間を時系列で並べるとこんな感じ。
昭和20年(1945)9月、田畑はバー『ローズ』で松澤一鶴(皆川猿時)、東龍太郎(松重豊)たちに「東京オリンピックやる!」を宣言。
同11月、会長を東龍太郎にして体協を再建し、戦地から帰って来た田畑のかつての教え子たちを指導員に迎える。
その後、田畑と故郷・浜松出身の古橋廣之進(北島康介)が水泳で世界記録を出すも、日本は敗戦国であるため国際舞台からは除名されていたために認められない。
ここらへんは、せっかく北島康介を出演させてるんだから、もう少し広げても良くないかな?
ま、北島康介に演技は出来るとは思えないので、違う役者で戦後の暗い雰囲気からの脱却の場面が見たかった。
クロールも速いんです
昭和23年(1948)、ロンドンオリンピックが開催されるも日本は参加が認められなかったため、田畑が激怒して『裏オリンピック』を開催。
このオリンピック水泳競技を同日同時刻で行われた『裏オリンピック(日本選手権)』で古橋は世界記録を更新して日本を勇気づける。
ここは田畑政治の『策士』ぶりが発揮された日本のスポーツ史に残る事件だと思うんですが、あまりにもアッサリ片づけられていてもったいない。
これまでの落語パートを縮めていたら、この話だけで面白く1話ぐらいは書けそうな気がしますけど。
クドカンさんの感覚がよくわかんない。
昭和24年(1949)、田畑はGHQのマッカーサーに直談判し、ロサンゼルスで開催された全米水泳選手権に日本選手団を送り込んで古橋が大活躍する。
ここで北島康介が演じている古橋廣之進の「気持ちいいじゃんねー」の発言があり、笑いをさそっていましたが正直サブかったww。
また、あんだけロサンゼルスを楽しんでいた田畑政治が再びロサンゼルスに行くんだから、何かあるだろ?普通。
単純に回想で振り返って片づけるか?
楽しかったあのロス
昭和27年(1952)、ヘルシンキオリンピックでピークを過ぎていた古橋が惨敗するも、大会組織委員長のフレンケルから「オリンピックは金になる」と言われ、田畑は東京招致に向けて本格始動。
その後、田畑は吉田茂首相に直談判するも、全然動いてくれないために自分が政治家になろうと決意し、実家の土地を売ってまで選挙費用を捻出したが演説がオリンピックのことばかりで支持を得られずに落選する。
本来、ヘルシンキオリンピック終了後に田畑は「これでいいのか!」と日本選手不振の責任を追及されています。
そして、この日本水泳界の低迷に危機感を覚えて立ち上がったのが、史実では日本水泳連盟大阪支部長・高石勝男(斎藤工)でした。
改革を訴えた高石と田畑は水連会長の座を巡って対立し、田畑はなんとか勝利したものの、水泳界を混乱させた責任ですぐに辞任となっています。
これまで『いだてん』を見てきた人なら、あの高石が田畑と争っているところ見たかったと思いませんか?
何でこの話をすっ飛ばしているのかは、ホント意味不明ですよ。ここはホントにガッカリしました。
出番を削られました
昭和31年(1956)、メルボルンオリンピックで田畑は秘書に岩田幸彰(松坂桃李)を同行させて東京招致のためのロビー活動を展開。
昭和33年(1958)、田畑は嘉納治五郎が作った神宮競技場を改修して国立競技場を作り、IOC総会でブランテージ会長から東京開催の太鼓判を受ける。
松坂桃李が演じる『岩ちん』こと岩田幸彰との出会いがどんなものだったのか全く触れられることがなく、淡々と進んでいった。
初回からいきなり登場させて、せっかく人気俳優をキャストにしてるんだから、みんな楽しみにしていたと思うのに何で?
今後、また過去を振り返る形で描かれてくるかもしれませんが、もし二人の出会いのシーンがなかったら「岩ちんって一体何者なの?」って感じになっちゃうし、全く感情移入できないよ。
で、何者なの?
昭和34年(1959)、田畑は東龍太郎を家族の反対を押し切って都知事に立候補させる。
ここでの東の子供じみた駄々っ子のような熱意と、田畑の妻・菊枝の心ある説得のシーンはとても良かった。
東の奥さんがキレ気味だったのに対し、逆ギレして「なにぃぃ!」って反論しそうな田畑だけど、深々と頭を下げてたのを見ると、この人も大人になったんだなと思った。
そこまでの人間形成の部分が描かれてないことが残念だけど。
オリンピックがやりたいです!
さて、このような視聴者には腑に落ちない過去を語り、平沢に協力してもらうようにした田畑ですが、「なんで、そこまでオリンピックをやりたいの?」と質問されてしまう。
すると田畑はまたしても過去を振り返る形で、フィリピン遠征の折に現地の人から「人殺し」と罵声を浴びせられて、自分たちは『楽しませなければならない。面白いことをやらなきゃいけない。一番面白いことをな』と思ったと語る。
このフィリピン遠征だけでも1話描けそうな勢いですが、平沢はこの言葉に感動しちゃう。
なぜなら、平沢は嘉納治五郎と会った時に「これから一番面白いことをやるんだ。東京で」という言葉を聞いていたから。
平沢の脳裏によぎった嘉納先生の笑顔。これは泣けた。
このために神様は嘉納先生と平沢を巡り合わせていたのかもしれないと思える素晴らしいシーンだった。
その後、田畑たちの願いを引き受けた平沢は、IOC総会であの伝説のスピーチを行った東京オリンピックが決定。
当初、1時間の持ち時間があったにもかかわらず、平沢は外務省参事官が用意した原稿を書き直して15分のスピーチだったようです。
そういえば、NHK解説委員としての平沢は「15分で話をまとめる」ってことを強調してましたね。
実際のスピーチの話をしていなければ、絶対に分からない伏線だよ。これは。
15分の男
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