大河ドラマいだてん
~東京オリムピック噺~
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で主人公・金栗四三は東京高等師範学校に入学しますが、そこで登場するのが永山絢斗(ながやまけんと)が演じる『野口源三郎』という男。
『野口源三郎』は金栗四三の1年後輩なので二人は入学後1年が経過してから出会うことになりますが、金栗四三はこの『野口源三郎』と一緒にマラソン予選会に参加してオリンピックへの道が開かれていきました。
その後、『野口源三郎』は金栗四三と共にアメリカ横断駅伝など箱根駅伝などを企画するなど、決して目立った活躍をしないものの、金栗四三の後輩として協力を惜しまず、日本の体育教育に大きな功績を残していきます。
この記事では金栗四三の良き後輩で、変なクセをもっていた『野口源三郎』について簡単に紹介していきます。
ハラペコ野口源三郎
野口源三郎は、明治21年(1888年)に埼玉県榛沢郡横瀬村で丸橋栄三郎の長男として生まれました。
しかし、間もなく母親を亡くして親戚の野口家へ養子に出され、三男として扱われました。
野口源三郎は埼玉師範学校を卒業してから小学校の教師になっていましたが、校長に勧められて教師育成学校の最高峰・東京高等師範学校へと進学。
東京高等師範学校で1年先輩の金栗四三と出会ってマラソンを始めますが、野口源三郎は走っているとなぜか空腹になってしまい、レースをすっぽかして飲み食いするクセがありました。
明治44年(1911年)、ストックホルム・オリンピックに向けたマラソンの予選会では、東京高等師範学校から野口源三郎、金栗四三、橋本三郎が出場します。
そして、ここでも野口源三郎はレース中に腹を空かせ、駄菓子屋でパンを盗み食いしようとして怒られ、結果は4位。
この時の野口源三郎の行動をやがて親類も知るところとなり、野口源三郎はマラソンを禁止をされてしまいました。
その後、野口源三郎は金栗四三に影響され、自らもオリンピック出場を目指すために本格的に陸上競技を開始します。
卒業後は長野県の松本中学の教師となって体育の指導を行っていた野口源三郎ですが、マーフェーの著書「陸上競技の練習法」と出会うと十種競技に挑戦。
すると、競技中に腹が減るというクセにも悩まされなくなった野口源三郎は、長身を活かして棒高跳びで日本記録を樹立し、第3回極東選手権大会の十種競技でも優勝する好成績を残しました。
オリンピックとその後の野口源三郎
大正7年(1918年)、嘉納治五郎に呼ばれて東京高等師範学校で働きながら陸上を続けていた野口元源郎は、、大正9年(1920年)のアントワープ・オリンピックで十種競技代表に選ばれ、選手団の主将を務めます。
結果は14人中、12位でしたが、世界のレベルを知る大きな経験をすることができました。
さらに、野口源三郎はオリンピック終了後にそのままスウェーデンなどを視察して帰国。
帰国後は体育の指導方法を研究して、日本の体育教育の基礎を築いていきました。
その後、野口源三郎は「大日本体育協会」の主事に就任し、全国の中学校を廻って陸上や体育の普及、若手選手の育成に奔走。
数多くの選手を育てた野口源三郎は、大正13年(1924年)のパリ・オリンピックでは監督を務める大役も果たしました。
帰国後、東京高等師範学校の教授となって体育教師の育成にもあたった野口源三郎は、学校体育や陸上競技の発展に大きな功績を残し、数々の学校で要職を歴任して昭和42年(1967年)に死去。享年80。
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