大河ドラマ「いだてん」
ヒトラー
大河ドラマ「いだてん」では、白黒の本人映像で紹介されているドイツのヒトラー。
嘉納治五郎、田畑政治が東京オリンピック開催を勝ち取ったIOC総会のあと、ベルリンでは1936年オリンピックが開催されました。
ヒトラーは当初はオリンピックをバカにしていましたが、側近ゲッペルスの意見でその態度を急変させ、総力を挙げてオリンピックをナチスの宣伝広告に利用します。
さらにヒトラーは当時、ユダヤ人迫害も行っていたにも関わらず、大会期間中だけは差別を緩和して国際社会に良い印象を与えようとしていました。
この記事では、田畑政治も激オコした差別主義者、第二次世界大戦の最大の悪役・ヒトラーの生涯について超簡単に紹介していきます。
アドルフ・ヒトラー
ヒトラーは1889年にオーストリアに住むドイツ人の家庭に生まれた。
若くして両親を亡くしたヒトラーは画家を目指していたものの、美術学校に落第して挫折を味わい、以後は公営施設で絵を描いて売ったり、両親の遺産に頼るなどして生活していた。
やがてヒトラーはオーストリアで兵役につくことを嫌い、1913年にドイツに逃れてドイツ軍の志願兵として入隊。
第一次世界大戦では伝令兵として活躍し、一級鉄十字章を受賞した。
戦後、ヒトラーは成り行きからドイツ労働者党の集会に参加するようになった。
すると演説の才能から頭角を現していき、やがて党の指導者にまで上り詰める。
ヒトラーの演説は敗戦による不景気の要因であるヴェルサイユ条約の破棄を訴えるもので、敗戦の原因としてユダヤ人を悪に仕立て上げていくものだった。
この演説はドイツ国民の心を掴み、ヒトラー率いる小さな地方政党はやがて1200人の巨大政党・NSDAP(ナチス)にまで成長していく。
そして1933年の選挙によって、ついにヒトラーは首相に選ばれることとなった。
首相となったヒトラーは一切の政党を禁止し、国際連盟を脱退すると国防軍を掌握。
ヴェルサイユ条約を破棄し、軍備再編とドイツ領土の回復を掲げ、国内には福祉や公共事業を推進しつつユダヤ人敵視政策を進めていった。
やがてヒトラーは大統領と首相を兼任した国家元首(フューラー)となって独裁体制を確立。
神聖ローマ帝国、ドイツ帝国についで「ドイツ第三帝国」とまで呼ばれるようになっていった。
1936年、ベルリン・オリンピックが開催されると、ヒトラーはオリンピックを政治利用して国内外にその姿ををアピール。
この大会では近代オリンピック初の聖火リレーが導入され、ドイツは大会1位33個の金メダルを獲得する大成功を収めた。
当初、英仏はヒトラーの強硬な外交姿勢に対し、融和的な態度を取っていた。
しかし、ドイツがソ連と秘密協定を結んでポーランドを分割すると、英仏は態度を一変させ第二次世界大戦が起こる。
開戦直後、ヒトラー率いるドイツ軍は速やかにオランダ、ベルギーを通ってフランスを下したものの、イギリスの派遣軍殲滅には失敗し、ドーバー海峡の確保もできなかった。
そしてイギリス本土への上陸作戦を断念したヒトラーは、その後独ソ不可侵条約を破って対ソ戦に突入する。
ソ連との戦いは当初ドイツが優位に立っていたが、南でアフリカから英米軍が同盟国イタリアの本土に上陸すると、1943年9月にイタリアが無条件降伏。
1944年6月には膠着状態だったヨーロッパ西方から連合軍が上陸し、ドイツは危機的状況に追い込まれていった。
この頃になると、ヒトラーは現場を無視した命令を出し、軍を何度も危機にさらしていた。
連合軍に奪われないよう、パリやベルリンなどの施設を爆破する計画なども立てたが反対されて断念。
そして、ヒトラーはソ連軍が迫る中で1945年4月30日に自殺した。
埋葬場所はネオナチの聖地になる懸念があり、遺体は完全焼却された上でエルベ川に散骨された。
【いだてん】あらすじ
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