大河ドラマ「いだてん」
金栗四三の世界記録更新の秘密
大河ドラマ「いだてん」の初回と第5回において主人公である金栗四三がマラソンの世界記録を更新する場面が描かれていますが、この世界記録更新には疑惑というか、大きな秘密がありました。
大河ドラマに水を差すようですが、この記事では記録更新直後からまことしやかに噂された金栗四三の世界記録更新の謎について紹介し、疑惑を徹底追及、犯人を検挙していきたいと思います。
大河ドラマ初回の世界記録更新の場面には謎が!
はじめに
世界記録更新と金栗四三
金栗四三は日本のマラソンランナーの第一人者として活躍した人物ですが、最初にこの金栗四三が有名になったのは嘉納治五郎が1911年(明治44年)に羽田運動場で開催したオリンピック予選会の時です。
この予選会で金栗四三は当時の世界記録を27分も縮める『2時間32分45秒』を叩き出して、周囲をどころか世界を驚かせることとなりました。
参考:当時のマラソンの距離は25マイル=40.225km
驚異的なタイムを出したことで金栗四三はストックホルム・オリンピックに出場することになり、本番では途中棄権とはなってしまいましたが、生涯マラソンランナーとしての人生を切り開いたのです。
驚異の世界記録の秘密に迫る
距離測定に誤りがあった?犯人は?
金栗四三がオリンピック予選会で更新した世界記録『2時間32分45秒』については、当時の世界記録を大幅に縮めていたため、レース直後から疑惑の目がもたれていました。
大河ドラマいだてんの中でも、嘉納治五郎は「距離か時計のどちらかが間違っているのではないか」と不安になり、女性新聞記者の本庄も「いかにも疑わしいわ。ただでさえ大雨で滑りやすい路面というのに」と話しています。
しかし、この時は大森兵蔵たちが距離計測は間違っていないと断言したため、この疑惑はかき消されてしまいました。
根拠のない発言をした大森兵蔵
大森兵蔵が話したとおり、全てが正しいとされるならば、ここで「金栗四三スゲー!」で終わりなのですが、どうやらこの大森兵蔵の発言が何の根拠もないものです。
確かに大森兵蔵はアメリカで学んだスポーツに精通していて、予選会の開催にあたっては陸上競技の方法についてアドバイスをしていますが、大森兵蔵自身が距離を測ったわけではありません。
というのも、そもそも大森兵蔵は帰国した時点で結核を患っており、25マイル(40.225km)の距離を自分で歩いて測れるわけがありません。
では、一体誰が距離を測っていたのか?
結論を先に言うと実際に距離を測っていたのは「中川臨川(なかがわりんせん)」という人物でした。
は?誰?となってしまいそうな人物ですが、ちゃんと大河ドラマいだてんにも登場してます。
なんてったって『天狗倶楽部』のメンバーなんですから。
コイツが犯人!
距離測定を誤ったワケ
大河ドラマいだてんの初回、『天狗倶楽部』は嘉納治五郎が企画したオリンピック予選会に協力し、羽田運動場の整備を担当しています。
実際の羽田運動場は、のちに天狗倶楽部のリーダーとなる小説家の押川春浪が「公共の運動場を作って一般人にも体育を推奨したい」と、京浜電気鉄道会社の電気課長だった中川臨川に持ち掛け、中川臨川が会社と相談して使っていなかった羽田の土地を提供してもらって羽田運動場を作りました。
その後、嘉納治五郎がオリンピック予選会の場所に羽田運動場を選んで使用されるのですが、開催するにあたっては運動場完成後に結成された『天狗倶楽部』が協力することになりました。
そしてオリンピック予選会のマラソン競技の距離測定については、『天狗倶楽部』のNO2となっていた中沢臨川が担当するのです。
しかし、この中沢臨川は実際のコースを測定せず、陸軍の地図を使って測量したために距離が大幅に短くなってしまったといいます。
これが原因で金栗四三は当時の世界記録を27分も縮めた『2時間32分45秒』を叩き出すことになったのです。
おわりに
その後、2回の世界記録を更新した金栗四三
中川臨川の距離測定ミスは、にわかに信じたくない話ではありますが、この金栗四三が世界記録を出したこのオリンピック予選会では、2位、3位の選手も当時の世界記録を更新していたことから信憑性は高いと思われます。
だいたい、スポーツを愛する団体だったとはいえ、酒を飲んで暴れることも大好きだったパーリーピーポー集団『天狗倶楽部』にそんな大事なことを任せたのが悪かったのではないでしょうか。
もしかしたら、中川臨川は二日酔いで「めんどくせーから適当に距離測るか」って感じでやっちゃったのかも。
なにはともあれ、この中川臨川のおかげで金栗四三のマラソンランナー人生は幕を明け、大河ドラマの主人公にもなってしまうってのは面白い話です。
しかし、ここでちゃんと伝えておきたいのは、金栗四三はその後2回も世界記録を更新しているということ。
金栗四三はストックホルム・オリンピックの2年後の1913年(大正2年)、「第1回日本陸上競技選手権大会」に出場して『2時間31分28秒』の世界記録を出し、さらにその1年後の1914年(大正3年)には「第2回日本陸上競技選手権大会」で『2時間19分30秒』という驚異的な世界最高記録を樹立して2連覇しています。
どうです?ちゃんと走っても速いんですよ。金栗四三は。
ただ、この2つの世界記録も『非公認』っていうオチがありますが・・・・・・。
そしてストックホルム・オリンピックで途中棄権していた金栗四三は、もう一つの驚異的な世界記録『54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3』を叩き出すことになるのです。
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