大河ドラマ【いだてん】
シマが関東大震災で死ぬの?
大河ドラマ「いだてん」で、金栗四三が勤務する第二高女(通称:竹早)で共に教鞭をとっているシマちゃん先生(杉咲花)。
三島家の女中時代に弥彦や四三の影響を受け、スポーツに目覚めたシマは「女子がスポーツなんて」という偏見を跳ね返し、懸命に女子スポーツの普及のため頑張ってきました。
そんなシマも第21話「櫻の園」では、女子スポーツに理解のある増野(柄本佑)と結婚し、第22話「ヴィーナスの誕生」で長女・りくを産んで幸せな時が訪れています。
しかし、何とこの増野シマはその後に悲しい最期を迎えてしまいそうなのです(確定ではありませんが)。
母親になっても教師も続けていた増野シマは、女学生のためにスポーツに反感を持つ保護者たちと戦っているのですが、彼女を襲うのはそんな女子に対する偏見や差別ではなく、人の力ではどうしようもない自然災害によるもの。
大正12年(1923年)9月1日に発生した「関東大震災」ってやつです。
この日は学校の2学期の始業式。
シマは嘉納治五郎の夢であった神宮競技場が完成間近であったことから、金栗四三と共に競技場を案内してもらう予定になっていました。
しかし、四三はこのことをシマに伝え忘れていたため、シマは娘・りくを家に預けて村田富江(黒島結菜)と浅草オペラを観に行く約束をしてしまいました。
そして待ち合わせ場所である凌雲閣(浅草12階)の最上階で、神宮競技場を眺めながら富江を待っていると・・・。
激しい揺れに襲われ、凌雲閣は倒壊してシマは行方不明になってしまうのです。
その後、四三や富江、増野が懸命に捜すものの見つからないシマの姿。
死んでいるのか、生きているけど行方不明なのか、分からないまま物語は進んでいきますが、金栗四三編の最終話ともいうべき第24回では、おそらく亡くなったのであろう場面が描かれてしまいます。
この時、四三は被災者の受け入れ場所となった神宮競技場で「復興運動会」なるものを計画し、スポーツによる復興を目指していました。
ケガ人も多い中での開催には批判的な意見もありましたが、シマの夫・増野は「復興運動会」が大々的に宣伝されれば行方不明になった人たちが顔を出すかもしれないと言い、運動会の開催が決定。
そして始まった「復興運動会」では、大森安仁子や三島弥彦、可児徳など懐かしい面々が集まりますが、やはり肝心のシマの姿はありませんでした。
そんな中で現れたのが、シマがその才能に惚れ込み、何度も何度も手紙を送って陸上競技に誘っていた岡山の人見絹枝(菅原小春)。
まるで、シマが引き合わせたかのような四三と人見絹枝の運命の再会です。
人見絹枝はシマの女子スポーツへの熱い思いがつづられた手紙を四三に渡し、女子リレーのアンカーとして出場。
そして富江とデッドヒートを繰り広げた末、同時にゴールして拍手喝采が巻き起こりました。
するとその瞬間、増野は盛り上がる観客席の中にシマの姿を見るのです。
しかし、シマは笑顔を浮かべ、その姿は一瞬で消えてしまいました。
シマは自分が教えた村田富江が、自分が見出した人見絹枝が、そして自分を支えてくれた金栗四三が、震災の悲しみの中で懸命に走る姿に満足していたのではないでしょうか。
「いだてん」のあらすじは、最終回までまで分かっていませんが、このシマの姿の描き方はきっとそういうことなのでしょう。
残酷で、本当に悲しい結末だとは思いますが、きっとシマのような人は関東大震災時はたくさんいたはず。
戦乱の時代じゃなくても、歴史は幸せなものばかりではないと考えさせられる見事な脚本だと思います。
本当に悲しいけどね。
ちなみに、杉咲花ファンの人には実は朗報があります。
それは、シマが残した一人娘の「りく」ちゃんのこと。
どうやら、「りく」と「シマ」は瓜二つらしく、のちに四三が見間違えるという場面があるようです。
間違いなく、キャストは杉咲花でしょうね(笑)。
【いだてん】あらすじ
【いだてん】人物・キャスト
史実として浅草十二階の折れた上半分にあの時(関東震災)いた人で、生存者は1人だけ(何と居た!)ですからね。その他の人は皆、亡くなった訳ですので。
コメントありがとうございます!たしか、生き残った人って看板か何かに引っかかっていたんでしたっけ?怖かっただろうな~。