大河ドラマ【いだてん】
~東京オリムピック噺~
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で登場する松重豊が演じる『東龍太郎(あずまりゅうたろう)』。
『東龍太郎』は東京都知事でありながら、国際オリンピック委員会(IOC)委員としても活躍し、田畑政治らと共に東京にオリンピックを呼ぶことに成功します。
大河ドラマ「いだてん」では初回(第1話)以降、後半(7月頃?)までしばらく登場はないと思われますが、この記事では「オリンピック知事」とまで呼ばれた『東龍太郎』について予習がてら簡単に紹介していきます。
東龍太郎(あずまりゅうたろう)
東龍太郎は大阪府出身で、東京帝国大学医学部卒業後にロンドン大学に留学し、物理化学・生理学を学んで東京帝大助教授となりました。
戦時中は、海軍司政長官・南西方面海軍民政府衛生局長・結核予防会理事を歴任し、戦後の1959年に東京都知事に当選。
東龍太郎は大学在学中に励んだボート競技の選手として活躍していたことから、スポーツ振興に力を注ぎ、都知事就任前から日本体育協会会長・日本オリンピック委員会(JOC)委員長、国際オリンピック委員会(IOC)を務めていました。
このため、大河ドラマ「いだてん」では田畑政治の熱意に押し切られて東京都知事に立候補することになっています。
東京都知事となった東龍太郎は田畑政治らと1964年の東京オリンピック誘致に成功し、開催に向けては『東京大改造』として首都高速道路などのインフラ整備を進め、『オリンピック知事』とまで呼ばれますが、実際は副知事の鈴木俊一がプロジェクトを軌道に乗せたと言われています。
東龍太郎は東京が水不足となった際、質問に対して「雨が降らないから」と答えて批判を浴びたり、都心部の歴史のある町名を一斉に変更して文化人や落語家等からも批判を浴びることもありました。
しかし、東龍太郎自身の人柄はよく、やさしく几帳面で、誰に対しても分け隔てなく愛想よく振舞い、周囲の信頼も厚かったといいます。
東京オリンピックを成功させた東龍太郎は、1966年の国際オリンピック委員会(IOC)総会において1972年開催の札幌オリンピック誘致にも協力。
1967年に東京都知事退任したあと、1983年に肺炎のために亡くなりました。享年90。
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