大河ドラマ【いだてん】
~東京オリムピック噺~
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公・金栗四三(かなくりしそう)の足元を支えていくのがピエール瀧が演じる播磨屋の『黒坂辛作(くろさかしんさく)』。
皆さんご存知のとおり、ある事件を契機に黒坂辛作は三宅弘城が演じることになりましたね。
普通ならば『黒坂辛作』の存在自体を以後の物語に登場させないという措置も考えられますが、NHKは『黒坂辛作』を抹消することはできませんでした。
それは金栗四三が「マラソンランナー」として活躍していく傍らに、常にこの『黒坂辛作』の播磨屋があったから。
世界と戦おうとする金栗四三と同じように、『黒坂辛作』にも長時間のマラソンに耐えうる足袋の開発という戦いがあり、やがて「金栗足袋」、「カナグリ・シューズ」で世界を驚かせていくからです。
この記事では播磨屋と『黒坂辛作』と「金栗足袋」、「カナグリ・シューズ」について簡単に紹介していきます。
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マラソン黎明期を支えた播磨屋の足袋
黒坂辛作は明治14年(1881年)に兵庫県姫路市で生まれ、21歳の時に上京して明治36年(1903年)に足袋店「播磨屋」を創業しました。
もともと黒坂辛作は普通の足袋職人で「播磨屋」自体も普通の足袋を売っていましたが、店の裏には金栗四三らが通った東京高等師範学校がありました。
東京高等師範学校の校長・嘉納治五郎は学業にスポーツを取り入れるなどの教育を行っていて、定期的にマラソン大会も開催していました。
この頃、日本にはランニングシューズなどは無かったため、東京高等師範学校の生徒は「軽い方が有利」という理由で「播磨屋」で足袋を履いてマラソンを走っていました。
やがて嘉納治五郎はストックホルム・オリンピック予選会を開催し、東京高等師範学校の金栗四三をマラソン代表に選びます。
金栗四三は予選会のときに「播磨屋」の足袋を使用していましたが、途中でボロボロになって最後は裸足でゴールしていました。
このため、金栗四三はオリンピックに向けて「播磨屋」の店主・黒坂辛作に足袋の改良を依頼し、底を3重にした足袋でオリンピックに臨みます。
しかし、オリンピック本番では舗装された道路で金栗四三は膝を痛め、脱水症状も起こして途中棄権となってしまいました。
カナグリ・シューズの勝利と播磨屋のその後
帰国した金栗四三は、4年後のベルリンオリンピックに向けて黒坂辛作にさらに足袋の改良を依頼します。
こうして、黒坂辛作は金栗四三と共に「マラソン足袋」の開発を進めていきました。
やがて黒坂辛作は大正8年(1919年)に足袋の裏にゴムを採用した「マラソン足袋」を完成させ、「金栗足袋」として売り出して大ヒットを飛ばします。
金栗四三はオリンピックで勝つことはありませんでしたが、昭和11年(1936年)のベルリン・オリンピックでは朝鮮出身・孫基禎が「金栗足袋」で走り、日本マラソン界初の金メダルを獲得しました。
その後、黒坂辛作はさらに「金栗足袋」に改良を加え、「カナグリシューズ」を開発。
すると金栗四三の門下生・山田敬蔵が、昭和28年(1953年)のボストン・マラソンで「カナグリ・シューズ」を履いて世界新記録で優勝し世界を驚かせました。
戦後、オニツカタイガー(アシックス)が「スーパーマラップ」、さらに改良を加えた「マジックランナー」を発売すると、ハリマヤ(播磨屋)はシェアを奪われ、「マラソン足袋」を履く者はいなくなっていきました。
そしてハリマヤ(播磨屋)はバブル期に多角的事業に乗り出して失敗し、倒産となってしまいました。
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/
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