大河ドラマ「いだてん」
フランシスコ・ラザロ
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で日本初のオリンピック選手としてストックホルム・オリンピックのマラソンに出場する主人公・金栗四三。慣れない異国の地で1人寂しく練習していた金栗四三は、ある外国人ランナーから声を掛けられます。
その外国人ランナーがポルトガル代表の『ラザロ(フランシスコ・ラザロ)』です。
大河ドラマの中で『ラザロ』は金栗四三が履いている「足袋」に興味を示し、言葉は通じないながらも2人は仲良くなっていきました。
しかし、この『ラザロ』はレース前の取材でも「勝つか死ぬかどちらか」と語っていたとおり、マラソン本番で金栗四三とのデッドヒートのあとに命を落としてしまいます。
この記事では、ストックホルム・オリンピックで「消えた日本人・金栗四三」と共に語り継がれた悲劇のランナー『ラザロ』について紹介していきます。
ちなみに、大河ドラマの中で『ラザロ』は金栗四三から足袋をもらっていますが、実際はそのようなことはなかったと思われます。
フランシスコ・ラザロ
ラザロは1891年生まれたポルトガルの長距離選手です。
国内ではマラソンランナーとして有名で、1910年にリスボンマラソンで優勝してから、国内では合計3回の優勝経験がありました。
金栗四三が日本初のオリンピック出場を果たした1912年のストックホルム・オリンピックでは、ラザロもまたポルトガルとして初めてのオリンピックマラソンの代表とし出場することになりました。
オリンピックの開会式では、ポルトガルの旗手をラザロが務めていることからも、当時のラザロに対する国の期待がよく分かります。
ラザロの死去
ストックホルムオリンピックのマラソンは、1912年7月14日に開催され、19ヵ国68人の選手が出場しました。
この日の気温は40度、しかも石畳からの強烈な照り返しで日陰でも32度を計測するという異常な暑さでした。
しかし、ラザロを含め選手の多くが日除けの帽子を被らずに出場します。
このため68選手のうち、約半数の33選手が途中棄権する事態になり、金栗四三のように意識を失って病院に運ばれる者も続出しました。
そしてラザロも30㎞過ぎたあたりの給水所を越え、残り8㎞となったところで倒れ、意識を失ってしまいます。
ラザロは約1時間半後に病院に搬送されて夜通しの治療を受けましたが、体温は42.1度にまで達し、ラザロの意識は戻ることなく翌朝6時に死去してしまいました。
ラザロの死因
当時、ラザロの死因については記録的な暑さが原因の脱水症状だとされていました。
しかし、のちにラザロは日焼け防止のため、マラソン当日にワックスを全身に塗っていたことが分かりました。
このワックスが体の発汗を妨げ、体内の電解質異常を引き起こして熱中症になったのです。
ラザロの死後
ラザロの死はオリンピックに参加していた他の選手たちや、世間の人々に大きな衝撃を与えました。
このため、国際オリンピック委員会(IOC)クーベルタン会長は哀悼の意を表し、オリンピックの終了後にはメインスタジアムで追悼の音楽会が催されました。
この音楽会では23,000人が参列し、集まった14,000クローナはラザロの母国ポルトガルの遺族に贈られました。
その後、マラソンの折り返し地点であったソレントゥナにはラザロの記念碑が建てられ、ポルトガルでの葬儀には数千人の人々が参列しラザロの死を悼みました。
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