大河ドラマ【いだてん】
~東京オリムピック噺~
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で登場する平泉成が演じる『大隈重信』。
この『大隈重信』は、前年の大河ドラマ「西郷どん」で西郷隆盛らと共に留守政府の一員として描かれていましたので、2年連続での登場となります。
しかし、今回の「いだてん」の舞台は明治末期。
この頃になると日本の近代化は一気に進み、前年のサムライたちによる血生臭い戦の雰囲気はまるでありませんし、『大隈重信』にもサムライの面影もなく、もはやただのおじいちゃんw。
おそらくほとんど『大隈重信』の登場シーンはないかとは思いますが、この記事では連続登場記念で『大隈重信』の生涯について超簡単に紹介していきます。
大隈重信
大隈重信は天保9年(1838)に佐賀藩士の大隈信保の長男として生まれ、幼い頃から英語をはじめとする様々な学問を学んでいました。
成長した大隈重信は幕末に尊王派として活動しますが、藩から謹慎処分を言い渡され、何の活躍もないまま明治維新を迎えてしまいます。
明治新政府樹立後、キリスト教徒を弾圧する事件が起こると、大隈重信は事件に怒ったイギリス公使・パークスとの交渉相手に抜擢されます。
ここで大隈重信はパークスを完全に黙らせることに成功し、評価を高めて政府の中心へと一気に食い込んでいきました。
政府から重用され始めた大隈重信は日本の近代化のために尽力し、大蔵卿に就任。
しかし、伊藤博文らの薩長勢と対立すると、大隈重信は明治14年(1881)に辞表を提出させられました。
「西郷どん」での大隈重信
下野した大隈重信は政党を結成する傍ら、東京専門学校(現早稲田大学)を開設し教育にも力を入れていきます。
その後、大隈重信は外務大臣として政府に戻りますが、テロリストの襲撃で右脚を切断する重傷を負って辞職。
それでも再び政府に返り咲いた大隈重信は、明治31年(1898)に薩長藩閥以外から初めての内閣総理大臣となりました。
明治40年(1907)、政界を引退した大隈重信は早稲田大学総長への就任。
アメリカの大リーグ選抜チームと早稲田大学野球部の試合の際には、大隈重信が日本で初めて始球式を行いました。
この時、大隈重信の投球は大暴投でしたが、気を使った早稲田大学の1番打者がわざと空振りをしたため、その後の始球式では打者は空振りをすることが慣例となっていきました。
当時、早稲田大学には野球好きが集まっており、早稲田出身の押川春浪はスポーツ社交団体「天狗倶楽部」を結成して野球を楽しんでいました。
その後、大隈重信は政界に再復帰して内閣を組織しますが、次第に国民の支持を失って総辞職し、大正11年(1922)に胆石症で死去しました。享年85。
もっと大隈重信を↓
もっと天狗倶楽部を↓
【いだてん】あらすじ
【いだてん】人物・キャスト
【いだてん】関連記事