大河ドラマ【いだてん】
~東京オリムピック噺~
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公・金栗四三が通う東京高等師範学校で「徒歩部」の部長として登場するのが古舘寛治が演じる『可児徳(かにいさお)』。
古舘寛治は2年前の大河ドラマ「おんな城主直虎」でも人のいいオジサン(井伊直政の義理の父)を演じていたことが記憶に新しいですが、今回の「いだてん」でもそのイイ人っぷりは健在のようで、『可児徳』は破天荒な嘉納治五郎の言動にヒヤヒヤしながらも真面目に仕えていく役柄です。
嘉納治五郎が「日本スポーツの父」として活躍していったのも、そんな真面目な『可児徳』の存在があったから。
この記事では、なかなか報われなかった男『可児徳(かにいさお)』の生涯について簡単に紹介していきます。
パッとしない可児徳
可児徳は明治7年(1874年)に元苗木藩士で農家となっていた可児吉右衛門の次男として岐阜県に生まれました。
小学校卒業後、可児徳は体操練習所で普通体操と兵式体操の免許を得ると、群馬県、沖縄県などに教員として赴任。
東京高等師範学校に体操専修科ができると、可児徳は招かれて助教授となりました。
やがて可児徳は日本の体育の発展にはドイツの体育を研究する必要があると考え、昼間は学生たちに教えながらも、夜は外国語学校へ通ってドイツ語を学びました。
そんな中、明治35年(1902年)に留学していた川瀬元九郎が帰国すると、日本にスウェーデン体操が持ち込まれて普及していきます。
これに対抗するように坪井玄道はヨーロッパのスポーツを紹介し、日本の体育界は混乱していきました。
この状況に文部省は調査委員会を設置して調査委員を任命。
可児徳も調査員に選ばれましたが、混乱を終息させることができませんでした。
このため、文部省は海外の体育研究のため、永井道明を海外留学に派遣。
永井道明の帰国後、再び調査委員会を設置しますが、可児徳が調査員に選ばれることはありませんでした。
しかも、東京高等師範学校では永井道明が先に教授に就任し、可児徳の上司となってしまいます。
それでも可児徳は永井道明と日本初のオリンピック参加を目指す嘉納治五郎に協力し、「大日本体育協会」を発足して金栗四三らのオリンピック参加のために尽力しました。
ライバル・永井道明
可児徳 VS 永井道明
やがてスウェーデン体操を推進する永井道明は、大正2年(1913年)に日本初の「学校体操教授要目」を制定。
日本の学校体育の授業内容は、スウェーデン体操が中心となりました。
そんな中にあっても可児徳は留学を夢見てドイツ語を学び、ついに留学のチャンスを得ますが、すでに第1次世界大戦が勃発しており、留学先はドイツではなくアメリカになってしまいました。
可児徳が帰国したとき、日本ではスポーツへの注目が集まり始めていました。
このため、アメリカでスポーツを学んた可児徳は教授に昇進しますが、永井道明の「学校体操教授要目」のために可児徳のスポーツ教育は生かすことができません。
このため、スポーツ派の可児徳、嘉納治五郎らは、スウェーデン体操派の永井道明を東京高等師範学校から排除。
大正15年(1926年)に「学校体操教授要目」に改正を加え、スウェーデン体操を排除してスポーツを採用していきました。
その後、可児徳は体育界の要職を務める一方、自身が創設した国華高等女学校で女子体育の普及に力を注ぎ、昭和41年(1966年)に死去しました。享年93。
出典:http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/
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