大河ドラマ「いだてん」
満州事変
大河ドラマ「いだてん」の第28話、田畑政治率いる日本水泳陣がアメリカを叩き潰し、国民のスポーツへの関心は大きく高まっていきました。
これを期に嘉納治五郎たちは東京オリンピック誘致に向けて行動を開始しようとしますが、その出鼻をくじくかのように「満州事変」が起き、国際情勢はみるみる内に悪化していきます。
この記事では、平和の祭典・オリンピック誘致への期待が膨らむ中に起こった日本軍の侵略戦争への動き「満州事変」について簡単に紹介していきます。
出典:https://www.gettyimages.co.jp/
満州事変
日露戦争後、日本は中国東北部の南満州鉄道とその利権を獲得し、満州は日本経済にとって欠かせない地域となっていました。
そして満州に置かれた日本の陸軍部隊・関東軍は、中国革命にも干渉する帝国主義軍隊として独立し、第一次世界大戦後に中国の占領を画策するようになりました。
当初、関東軍は国民政府と対立する軍閥・張作霖を援助しつつ、中国内地への侵略を図っていましたが、利用価値が無くなったと分かると張作霖を爆殺。
この張作霖爆殺事件によって息子の張学良は国民政府に合流し、満州では反日運動が巻き起こっていきました。
また、国民政府は南満州鉄道に代わる鉄道(満鉄包囲線)建設を計画し、関東軍を追い詰めようとしました。
この状況の打開するため、関東軍参謀・板垣征四郎、石原莞爾らは1931年9月18日に柳条湖近くの南満州鉄道の線路を爆破。
この柳条湖事件を中国側のしわざだと断定して「自衛」の名のもとに軍事行動を開始し、年内にはほぼ満州全域を支配下に置いていきました。
当初、関東軍は満州の直接支配を計画していましたが、途中で計画を変更して日本の操り国家「満州国」の建国を画策します。
そして、亡命中だった清朝最後の皇帝・溥儀を迎えて「満州国」の元首にする準備を進めていきました。
1932年1月、抗日運動が激化する上海で日本海軍と中国軍が激突すると、この隙を狙って日本軍はついに「満州国」建国を宣言。
表向きは独立国としながら、政治は日本人が行って実質「満州国」を日本の領土のように扱いました。
「満州国」建国は、はじめ関東軍の独断で推進したものでしたが、これは政府や軍中央部の許容範囲内だったといいます。
また、三井・三菱両財閥が「満州国」建国直後に満州中央銀行設立のために各1,000万円の融資を行ったように独占資本の要求でもありました。
これに対し、中国は国民党と共産党が内戦中であり、協力して日本に立ち向かうことができませんでした。
また、満州と隣り合わせのソ連もこの時期は国内建設を優先しており、イギリスやアメリカも大恐慌の影響から手が回らず、日本の侵略を見て見ぬフリでした。
その後、満州での日本の軍事行動は中国によって国際連盟に提訴され、やがてリットン調査団が派遣されることになりますが、日本は「満州国」を承認する日満議定書を調印して調査団、国際連盟に対抗していきます。
国際連盟はリットン調査団の報告書を採択して日本軍撤退を勧告しましたが、1933年2月に熱河省を占領した日本は翌月には国際連盟を脱退。
1933年5月末の塘沽停戦協定によって、日本の満州植民地支配を中国に認めさせました。
しかし、日本軍の侵略はこれだけにとどまらず、中国の華北五省を支配下に置くため行動を起こし、やがて日本と中国は全面戦争へと突入していきます。
この満州事変ののち、国際的孤立を深めた日本はさらに戦端を拡大して太平洋戦争へ突入していったのです。
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