大河ドラマ「いだてん」
杉村陽太郎
大河ドラマ「いだてん」で加藤雅也が演じるのが杉村陽太郎。
杉村陽太郎は東京帝国大学出身の超エリート外交官であり、柔道6段の腕前で嘉納治五郎の愛弟子でもあった人物です。
この記事では、嘉納治五郎と共に1940年東京オリンピック招致に尽力した文武両道のエリート・杉村陽太郎について簡単に紹介していきます。
杉村陽太郎
杉村陽太郎は1884年(明治17年)に旧盛岡藩士・外交官の杉村濬(すぎむらふかし)の長男として東京で生まれた。
弟には東京文理科大学学長を務めた杉村欣次郎がいる。
杉村陽太郎は成績優秀だったことに加え、身長185㎝、体重100㎏の巨漢でスポーツ万能だったため、学生時代から超有名人だった。
高等師範学校附属中学校時代には学校行事の遠泳で経験していたこともあり、東京帝国大学では16kmの遠泳で優勝して賞金を得たこともある。
また、講道館にも通って柔道六段を取得するなど、嘉納治五郎の愛弟子でもあった。
帝国大学卒業後、杉村陽太郎は外務省に入ってフランスのリヨン大学において日本人として3人目の博士号を取得。
1923年(大正12年)には駐フランス大使館一等書記官として勤務した。
このパリ駐在中、杉村陽太郎は英仏海峡を泳いで横断する計画を企てたが、周りの者から制止されて断念したという。
1927年(昭和2年)に国際連盟事務局次長に就任し、1933年の日本の国際連盟脱退まで事務局長兼政治部長も務めた。
また、この間に東京帝国大学法学博士にもなっている。
1933年(昭和8年)、IOC委員に選ばれた杉村陽太郎は、恩師・嘉納治五郎らと共に1940年の東京オリンピックの誘致に尽力した。
大河ドラマ「いだてん」でも、1935年(昭和10年)に駐イタリア大使となった杉村陽太郎がムッソリーニと会談し、ローマのオリンピック誘致を取り下げさせる場面が描かれている。
その後、杉村陽太郎は1936年(昭和11年)にIOC委員を辞任し、1937年(昭和12年)に駐フランス大使を拝命。
フランス大使時代にはフランスでの柔道普及に協力したという。
しかし、1938年(昭和13年)に胃癌となり、帰国した杉村陽太郎は翌年に現職のまま死去した。享年54。
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