大河ドラマ「いだてん」
実感放送
大河ドラマ「いだてん」のロサンゼルス・オリンピックでは、トータス松本が演じるアナウンサー・河西三省らが現地の情報を日本に届けるため「実感放送」というものを行います。
この記事では、実況を封じられた河西三省らアナウンサーがロサンゼルス・オリンピックの興奮を伝えるために編み出した革命的な放送方法「実感放送」について簡単に紹介していきます。
実感放送とは
1932年(昭和7年)のロサンゼルス・オリンピックで日本で初めて本格的にオリンピックの競技模様が放送されたラジオ放送。
「ラジオで実況すると入場券の売れ行きが落ちる」との理由により、アメリカ側から実況不可能を言い渡されたため、現地のアナウンサー・河西三省らが疑似的に実況した。
実感放送の方法
①アナウンサーが競技を観戦し、会場の雰囲気や選手の表情、試合経過から結果までを詳細にメモする。
②試合終了と同時に、アナウンサーと出場選手は車で放送局に移動(ロサンゼルス・オリンピックでは車で15分の場所に放送局があった。)
③放送局でアナウンサーが実況風に競技内容を伝え、その後選手たちのインタビューを行う。
④アメリカの発信局から日本の受信局へは声を運び、東京放送局から全国へラジオ放送。
実感放送の評判
実況は不可としたものの、アメリカは日本のために毎日1時間、スタジオを用意してくれました。
このため、河西三省らは結果報告を行うニュース形式ではなく、「実感放送」という方法にチャレンジしたのです。
結果、世界の中で母国語による当日ラジオを聴くことができたのは日本だけとなり、日本人はこの実感放送で新聞や雑誌にはない「同時性(実際には15分以上遅れているが)」を感じて、現地の臨場感を味わうことができました。
実感放送の逸話
100m走決勝
「暁の超特急」と呼ばれスタートダッシュに評判のある吉岡隆徳選手が前半にリードするも、後半に追い抜かれて6位となりました。
この時、実感放送を担当した松内則三アナウンサーは、メモを片手にスタートダッシュを決めた吉岡選手の前半を強調してアナウンスし、約10秒のレースが1分以上の時間に引き延ばされてしましました。
三段跳び
金メダルを取った南部忠平選手は実感放送の際にスタジオに呼ばれてコメントを求められましたが、はじめての海外からの放送だったために「感無量で話せません。皆さんに聞こえているか分からないので、いずれ帰ってから」とアッサリした返答で終わってしまいました。
その他
放送中、アメリカと日本を結ぶ無線の感度が悪いときには雑音が入ることがありました。ラジオを聴いていた人はこれを「太平洋の波」と勘違いしていたといいます。
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