大河ドラマ「いだてん」
二・二六事件
大河ドラマ「いだてん」の第34話、東京オリンピック誘致に向けて嘉納治五郎たちが奔走する中で起こるのが、「昭和維新・尊王斬奸」をスローガンに掲げた陸軍青年将校たちによるクーデター「二・二六事件」。
この二・二六事件によって、田畑政治が色々世話になっていた高橋是清ら政府要人が殺害され、東京が大混乱となってしまいます。
この記事では、田畑政治や嘉納治五郎たちスポーツに関係する人たちだけでなく、日本国中に暗い影を落とした大事件「二・二六事件」について簡単に紹介していきます。
二・二六事件
再び暴走する青年将校
五・一五事件により殺害された犬養毅のあと、軍隊出身の元海軍大臣・斉藤実、海軍出身の岡田啓介などが首相に就任したが、軍隊内の強硬派の議会に対する不安は収まることがなかった。
「昭和維新、尊皇斬奸」を掲げる陸軍内の派閥の一つ「皇道派」の青年将校らは、武力をもって元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現して政治腐敗や農村の貧困問題が解決すると考えていた。
このため青年将校らは1936年(昭和11年)2月26日未明に決起し、首相官邸や警視庁などを襲撃。
首相の岡田啓介はかろうじて一命をとりとめたものの、前首相の斎藤実や大蔵大臣の高橋是清らが殺害された。
その後、青年将校らは陸軍首脳部を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えるも、天皇はこれを拒否。
戒厳令が公布され、天皇の意を受けて陸軍と政府は青年将校たちを「叛乱軍」と位置付けて武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。
叛乱軍の兵士の多くは初年兵で「上官の命令」により動員されていたため、叛乱将校たちは彼らを原隊に復帰させ、大半の将校は投降して法廷闘争を図ることとなった。
事件の影響
事件から4日間で叛乱は鎮圧されたが、陸軍首脳は一時的に叛乱軍に同調したことを闇に葬る必要があった。
このため投降した叛乱将校たちの処分が急がれ、事件の首謀者達は銃殺刑に処された。
しかし、国民や新聞などは不況や満州での反日暴動を解決できない政党への不満から青年将校を賞賛していた。
また、一部の政治家は軍部の支持を政争に利用したたため、次第に議会での軍部の発言力が強まっていった。
これに伴い国際協調路線の政治家の発言力は弱まり、軍部内でも対外政策に強硬的な方針が取られ、日本の国際孤立が深まっていく。
そして、軍部に反する言論は取り締まりを受けることとなり、大正の自由主義的な風潮から一転して、昭和初期の日本では軍部の支配する国のようになっていった。
【いだてん】あらすじ
【いだてん】人物・キャスト