大河ドラマいだてん
~東京オリムピック噺~
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で登場する松尾スズキが演じる『橘家円喬(たちばなやえんきょう)』。
『橘家円喬』は美濃部孝蔵(のちの古今亭志ん生)の落語家への道を開き、最初の師匠として問題行動ばかり起こす弟子の孝蔵を温かく見守っていました。
やがて『橘家円喬』は亡くなってしまいますが、これを機に孝蔵はそれまでの行動を改め、落語家として成長していくことになります。
この記事では、古今亭志ん生が師匠と呼んだ伝説の名人『橘家円喬』について簡単に紹介していきます。
橘家円喬
1865年に生まれた橘家円喬は、近所に親戚の4代目・橘家円太郎が住んでいたため、幼いころから寄席の楽屋に出入りしていました。
7歳で三遊亭円朝門下に入門すると「三遊亭朝太」を名乗り、13歳の時には二つ目昇進して2代目「三遊亭円好」に改名しましたが、周囲の評判が悪く廃業。
1882年には東京を離れ、転職しようと京都を目指しましたが、途中で橘家橘之助の一座に出会い、3年間上方で修行することになります。
やがて、東京に戻ると改めて4代目「橘家円喬」を襲名し真打に昇進しました。
橘家円喬は、滑稽噺、長編人情噺、三題噺など何でもこなし、話術の巧さは師匠の三遊亭円朝を凌いだと言われているほどでした。
ある夏の暑い日、団扇や扇子で暑さをしのぐ客が多くいた寄席の中で、真冬の噺「鰍沢」をすると客の団扇や扇子がピタリと止めるなど、橘家円喬の話芸は極致に達していたといいます。
このため、橘家円喬は30代にして『円朝』襲名まで噂されていました。
しかし、橘家円喬は気に入らない者には、わざとその前の高座で噺をガッツリやって困らせたり、4代目・橘家円蔵が高座に上がっている時には、楽屋で「あれは噺じゃない。おしゃべりだな」と聞こえるように悪口を言うなどして、仲間内からは嫌われていました。
このため襲名の話は立ち消えてしまいますが、それでも橘家円喬は芸に対しては真剣に取り組みました。
また、自分の出番を忘れるほど若手を指導をしたり、大坂から出てきたばかりで馴染みのいない落語家のため、毎晩、橘家円喬は自分の出番が終わると大坂の落語家を紹介する口上を言をうなど人情深い一面も持っていました。
そんな橘家円喬は肺病のため、1912年に46歳の若さで死去。
「伝説の名人」として今もなお語り継がれる存在となっています。
【いだてん】あらすじ
【いだてん】人物・キャスト