大河ドラマ「いだてん」
第2話あらすじネタバレ
ここでは、平成31年大河ドラマ「いだてん」第2話のあらすじ・ネタバレについて書いていきます。詳細なネタバレもあるので先の展開を知りたくない方は、【ネタバレ注意】はご遠慮下さい。たまに、私がところどころふざけてセリフや文章を考えて書いているところがありもすが、決して本編の大河ドラマ「いだてん」ではそのようなことはありません。なお、放送後の感想については、別ページで書いていきますのでそちらもよろしくお願いします。
前回 大河ドラマ「いだてん」のあらすじ
大河ドラマ「いだてん」
第2話
NHK公式 あらすじ
テレビ寄席で志ん生(ビートたけし)が語るのは、日本初のオリンピック選手、金栗四三(中村勘九郎)の知られざる熊本での少年時代。学校往復12キロを走る「いだてん通学」で虚弱体質を克服した四三。軍人に憧れ海軍兵学校を受けるも不合格に。身体を鍛えても無駄と落ち込む四三だが、幼なじみのスヤ(綾瀬はるか)に励まされ、嘉納治五郎(役所広司)が校長を務める東京高等師範学校への進学を決意する。運命の出会いが近づく。
大河ドラマ「いだてん」
第2話
あらすじ【ネタバレ注意】
金栗四三と嘉納治五郎
嘉納治五郎の尽力によって開催された日本初のオリンピック予選会のマラソンで、優勝した金栗四三は明治24年(1891年)年8月20日、熊本県玉名郡春富村で生まれた。
金栗四三の父・信彦は病弱であったことから代々営んできた酒造業を廃業していたが、妻・シエとの間には多くの子供をもうけた。
そして金栗四三は、信彦が43歳のときに生まれたことから「四三」と名付けられた。
この四三が生まれた年、嘉納治五郎は熊本の第五高等中学校の校長に就任していた。
明治29年(1896年)、金栗家の朝食の席で四三の祖母・スマは「嘉納治五郎の柔道が熊本で見れる」と言った。
父に似て病弱だった四三も嘉納治五郎に抱っこしてもらえば丈夫に育つとスマは言うが、役場に努める長男・実次は丸無視。
ところが、何を思ったか信彦は「自分が四三を熊本に連れて行く」と言い出し、四三は父と2人で第五高等中学校に向かうことになった。
2人が第五高等中学校に着いた時、嘉納治五郎の前には見物人に囲まれていた。
気の弱い信彦は前に出ることさえできず、四三は嘉納治五郎の姿だけは見ただけで帰宅する羽目になった。
帰宅後、スマの問いかけに信彦は「嘉納先生に抱っこしてもらった、もう大丈夫だ!」とウソをつき、家族は笑顔に包まれたが、四三だけは暗い顔をしていた。
春野スヤとの出会いと父の死
明治30年(1897年)、四三は尋常小学校に入学したが、病弱な体質も治らず、性格も父に似て気が小さかった。
そんな四三は、実次の妻・キヨメの出産の際に呼吸を規則的に整える姿を見て、学校までの通学中に様々な呼吸法を試してみた。
その結果、四三は2回吸って、2回吐いてを繰り返すと、山道でも苦しくないことに気づいた。
この呼吸法のおかげで四三は玉名北高等小学校に進学してから、往復3里の道のりをとんでもない速さで通学するようになっていた。
明治38年(1905年)3月、父・信彦が血を吐いたため、四三は医師・春野を呼びに行こうと懸命に走った。
春野のところに着くと、春野はケガをしている四三の足を見て、すぐに娘・スヤに治療を命じ、自分は馬で金栗家に向かった。
ケガの手当てが済んだ四三はすぐに春野を追ったが、そのあとをスヤが追いかけてくる。
夕暮れ時だったため、スヤは四三に提灯を渡したかったのだが、スヤは豪快に転んでケガをしてしまい、四三はスヤをおぶって家路を急ぐこととなってしまった。
その頃、父・信彦は危険な状態に陥っており、うわ言で四三のことを心配していた。
「生きろよ、四三、父ちゃんのぶんまで走れ」
その姿を見て家族は皆が涙し、四三が戻らないうちにが信彦はこの世を去ってしまった。
金栗四三、受験失敗!
この年の4月、父を失ったばかりの四三は玉名中学校に進学した。
四三は下宿生活を始めたが、週に1度は五里の道のりを走って実家に帰ってきていた。
ある日、四三は家族に海軍兵学校を受験したいと相談する。
海軍兵学校であれば授業料は免除され、卒業後は将校になれるため、貧乏な金栗家を助けられる。
父の死後、家長となった実次も、この四三の決意を喜んでくれた。
その後、四三は試験に向けて勉学に励んだが、海軍兵学校に入るためは身体検査に通らないといけない。
このため四三は裸で頭から水をかぶる「冷水浴」を毎朝の習慣として体を鍛えることにした。
そして行われた海軍兵学校の身体検査は、四三の想像を超えるほどの厳しいものだった。
検査の帰り道、四三は歌いながら自転車に乗る春野スヤを見かけた。
「会いたかばってん 会われんたい たった一目でよかばってん あの山一丁越すとしゃが・・・・」
すると、スヤは四三を見つけ自転車を放り出して駆けてきた。
「今度、海軍兵学校を受けるって聞きましたよ」
しかし、四三は検査で落ちたことを告げ、暗い顔をした。
「みんなに合わせる顔のないのです」
するとスヤは言った。
「体が丈夫ならそれでいい。その体をお国のために使うか、自分のために使うか、それは自由でしょ」
慰められた四三は、自転車のスヤの横を並んで走り、スヤから教えてもらった歌を一緒に歌うのであった。
この頃、東京では美濃部田孝蔵(のちの古今亭志ん生)が名人と呼ばれた落語家・橘家円喬の「付き馬」という噺に魅了され、弟子になろうと決意していた。
一方、四三は中学の友・美川秀信から東京高師師範学校を受験すると聞かされていた。
そして、四三は東京高師学校の校長が「嘉納治五郎」であることを知り、衝撃を受けるのであった。
次回 大河ドラマ「いだてん」第3話「冒険世界」あらすじ
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