大河ドラマ「いだてん」
第33話「仁義なき戦い」あらすじネタバレ
ここでは、平成31年~令和元年大河ドラマ「いだてん」第33話「仁義なき戦い」のあらすじ・ネタバレについて書いていきます。詳細なネタバレもあるので先の展開を知りたくない方は、【ネタバレ注意】はご遠慮下さい。たまに、私がところどころふざけてセリフや文章を考えて書いているところがありもすが、決して本編の大河ドラマ「いだてん」ではそのようなことはありません。なお、放送後の感想については、別ページで書いていきますのでそちらもよろしくお願いします。
前回 大河ドラマ「いだてん」のあらすじ
大河ドラマ「いだてん」
第33話「仁義なき戦い」
NHK公式 あらすじ
1940年のオリンピック招致をめぐり互いに激しく争う東京とローマ。治五郎(役所広司)は田畑(阿部サダヲ)らをイタリアの独裁者ムッソリーニとの直談判に派遣するが、ムッソリーニとの会見直前、IOC委員・副島道正(塚本晋也)が急病で倒れてしまう。招致の命運がかかったIOCオスロ総会は、他国の政府首脳に働きかけようとした日本の動きをめぐって大紛糾。絶対絶命の状況下で、治五郎は逆転の秘策を思いつく。
大河ドラマ「いだてん」
第33話「仁義なき戦い」
あらすじ【ネタバレ注意】
副島道正が昏倒
嘉納治五郎が腰痛で病院に運び込まれたため、イタリア行きは副島道正に託された。
イタリア大使の杉村陽太郎はムッソリーニとの会談の算段をつけ、田畑政治は写真集『日本』をムッソリーニに贈呈する役目を任されることとなった。
昭和10年(1935年)1月、副島道正と田畑政治はローマで杉村陽太郎と合流。
ムッソリーニに気難しい男で「陽気な独裁者」と呼ばれているらしい。
「4年ぐらい待ってくれる可能性はあるよね。」
副島道正は明らかに緊張してた。
その後、3人は揃って首相官邸を訪れた。
しかし、ムッソリーニの姿が見えた途端、副島道正が倒れてしまう。
副島道正はそのまま病院送りとなり、政治も付き添うこととなった。
首相官邸に残った杉村陽太郎は事情を説明したが、ムッソリーニは激怒して席を立ってしまうのであった。
ムッソリーニ
日本で入院中の治五郎は、イタリアの状況を知ると、自分がいくしかないと言い出した。
しかし、担当医の東龍太郎からは止められてしまう。
副島は2週間後になんとか回復し、30分の外出許可の間に杉村と政治を連れてムッソリーニと会談することした。
杉村はムッソリーニに対し、東京オリンピック招致の意義を力説。
副島もアジア初のオリンピックが決まるまでは祖国の地を踏まない覚悟であると伝えた。
すると、ムッソリーニは1940年のオリンピックは東京に譲ると答える。
病に倒れても会いに来た副島の熱意に感動したからだった。
この報せは日本に届き、日本中は大騒ぎとなる。
新聞には「第十二回大会、イタリア首相の譲歩」の見出しが載り、治五郎はオスロでの投票の勝利を確信した。
そして治五郎は言った。
「そろそろヤツを東京へ呼び戻すときかもしれんぞ・・・・『いだてん』だよ!」
その頃、四三は小松勝と一緒に熊本の山道を走っていた。
すると「カフェ・ニューミカワ」という店を見つける。
中に入ってみると、店主は東京高等師範学校で一緒だった美川秀信だった。
美川は関東大震災後、日本全国を渡り歩いてここにたどり着いたという。
四三は弟子の小松を紹介すると、美川が尋ねた。
「夢は何かね?」
すると小松は恥ずかしそうに答えた。
「オリンピックです。日本人がまだマラソンで獲得してないメダルを東京オリムピックで取りたいと思ってます。」
偉大なるサムライ嘉納治五郎
2月、1940年のオリンピック開催地を決めるIOC総会がオスロで開かれた。
副島が完治しなかったため、杉村が代わりにスピーチを読み上げることになった。
会場にはイタリア代表のボナコッサ伯爵もいる。
総会が始まるとIOC会長のラトゥールが候補地はローマ、東京、ヘルシンキであると述べた。
辞退したはずのローマがあることに杉村は驚きを隠せない。
委員を前にしたスピーチでも、杉村はムッソリーニ首相から日本に辞退の申し入れがあったことを語る。
しかし、ボナコッサはイタリアでは政府といえどもスポーツに干渉は出来ないのだと主張してきた。
ボナコッサはオリンピックのために私財を投じる「イタリアの嘉納治五郎」のような男だった。
投票は3日後と決まり、焦った杉村は旧知のロドロ公使に協力を依頼し、再度ムッソリーニに辞退を懇願する。
これを受け、ムッソリーニはボナコッサ宛てに東京への投票を命じる手紙を書いた。
そして杉村とロドロはその手紙をボナコッサに見せて辞退するよう迫った。
さすがにボナコッサも逆らうことはできず、杉村に決選投票ではイタリアのIOC委員3票を東京に入れることを約束する。
これで東京オリンピック開催が決まると杉村が安心した。
しかし、ここで思いがけない横やりが入る。
ラトゥール会長がこれを止めたのだ。
「政治的圧迫で議決が左右されるのは認めるわけにはいかない。投票は翌年まで延期する。」
杉村は必死で反論するが、ラトゥールは全く話を聞かない。
「なぜ嘉納治五郎が来なかった。彼が来ればこんなことにはならなかった。」
治五郎を信じていたラトゥールの言葉に、それ以上、杉村は反論することができなかった。
総会後、杉村は政治に語った。
「日本への一票は嘉納治五郎への一票なんだ。誰もが言う『ムッシュ・カノウは偉大なサムライ』だと。俺は嘉納治五郎にはなれない。」
治五郎と比べ、自分の人望の無さに落ち込む杉村に、政治が声をかける。
「なれないし。ならんでいいでしょ。」
立ち去る政治の後ろ姿に、杉村はボソっと呟いた。
「お前はなるよ。」
それぞれの再出発
帰国した政治、副島、杉村は東京市庁で牛塚虎太郎、山本忠興と共に今後の対応策を話し合った。
治五郎にラトゥールに謝罪に行ってもらうしかないという意見が出たところで、松葉杖の治五郎が現れる。
「東京に呼んではどうだろう?謝りついでに東京を見てもらっては。もちろん盛大な接待つきでね。」
そして治五郎はすでにラトゥールに手紙を出していることを告げた。
秋になってラトゥールは日本行きを決定し、ローマは正式に辞退を表明した。
政治はバー「ローズ」で河野一郎と会うと、河野に言われた。
「ヒトラーがラトゥールに圧力をかけ、東京を支持して日本に恩を売ったんじゃねぇか?」
政治はすぐさま反論する。
「オリンピックは単なる運動会だよ。いつからそんな国の威信をかけるようになったんだか。」
すると、ママのマリーが口を挟んできた。
「田畑さんがたくさんメダル持ってきたからでしょ。あれで日本人もやれる。オリンピックもできるって思っちゃったのよ。」
池部家では四三が治五郎から上京を促す手紙を受け取っていた。
「池部家の旦那さん」として働く自分に違和感を覚えていた四三は、手紙を見て書置きを残して家出を決行する。
また、孝蔵の方は暮らしが以前に比べて良くなっており、貧乏長屋を抜け出して引っ越しすることになっていた。
そして雪の日、孝蔵とおりんは引っ越しの荷物を運び出す。
昭和11年(1936年)2月26日のことだった。
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