大河ドラマ「いだてん」
第32話「独裁者」あらすじネタバレ
ここでは、平成31年~令和元年大河ドラマ「いだてん」第32話「独裁者」のあらすじ・ネタバレについて書いていきます。詳細なネタバレもあるので先の展開を知りたくない方は、【ネタバレ注意】はご遠慮下さい。たまに、私がところどころふざけてセリフや文章を考えて書いているところがありもすが、決して本編の大河ドラマ「いだてん」ではそのようなことはありません。なお、放送後の感想については、別ページで書いていきますのでそちらもよろしくお願いします。
前回 大河ドラマ「いだてん」のあらすじ
大河ドラマ「いだてん」
第32話「独裁者」
NHK公式 あらすじ
銀メダルを獲得し帰国した前畑(上白石萌歌)を待っていたのは東京市長・永田秀次郎(イッセー尾形)らによる落胆の声だった。田畑(阿部サダヲ)は選手をかばって激怒するが、国民の大きすぎる期待に前畑は苦悩する。満州事変を非難する国際世論に反発した日本は国連脱退し孤立を始めるが、治五郎(役所広司)らは粘り強く五輪招致を目指す。熊本の金栗(中村勘九郎)のもとにはマラソンで九州一周を目指すという青年が現れる。
大河ドラマ「いだてん」
第32話「独裁者」
あらすじ【ネタバレ注意】
前畑秀子の苦悩
ロサンゼルスから帰国した日本選手団は日比谷公園で開催された「大市民歓迎会」に招かれた。
すると選手たちがいる控室に東京市長・永井秀次郎が顔を見せる。
そして永井は前畑秀子に言った。
「なぜ、あんたは金メダルを取ってこなかったんだ!たった10分の1秒差で2着とは!」
黙っている前畑秀子に永井はさらに続ける。
「この悔しさを忘れずに4年後頼むよ」
すると、一部始終を見ていた田畑政治が永井にキレた。
「だったらアンタが泳いでみればいい!前畑は苦しんで銀メダルをもぎ取って来たんだ!」
必死に岸清一は政治をなだめていたが、選手たちが悔し涙を流すのを見ている内に岸の中にも怒りが芽生え始める。
「国を背負って戦う者は命懸けだ!ド素人はすっこんでろ!」
そして今度は政治が岸をなだめ、とりあえず部屋から退出させた。
ここで永井は自分の心無い言葉に反省し、前畑秀子に謝罪する。
「すまなかった。だが、全国民が君を応援していた。だから悔しいんだ。」
永井の言葉通り、前畑秀子には全国から次回での雪辱を果たして欲しいという激励の手紙が届いていた。
前畑秀子は手紙を読むたびに苦悩することになる。
練習を4年間続けても、勝てる保証はない。
悩む前畑秀子を決心させたのは、夢の中に現れた亡き両親の言葉だった。
「秀子、いったんやり始めたことは途中でやめたらあかん」
次の日、早朝4時にかかわらず、前畑秀子はプールにいた。
そして前畑秀子は1日20,000mという過酷な練習を始めていった。
暗雲
岸は体協会長として昭和天皇の前でオリンピックのことを説明する機会がもうけられた。
ここで岸は、オリンピック無用論を唱えるドイツのヒトラーが首相となれば、ベルリン・オリンピックは返上となり東京に転がり込んでくるかもしれないと語った。
しかし、岸の思いとは逆に昭和8年(1933年)に首相となったヒトラーはベルリン・オリンピック支持を表明する。
ヒトラーの心変わりは宣伝大臣・ゲッペルスの助言によるものだった。
ヒトラーはオリンピックを利用してドイツを世界の一流国家と認めさせようとしていた。
そしてこの件の他にも、東京オリンピック招致には逆風が吹き始める。
招致を言い出した東京市長・永井が部下の汚職問題で辞職してしまったのだ。
そして国際的には、ジュネーブで開かれた国際連盟総会で満州事変にかんする「リットン報告書」が可決され、日本は国際連盟を脱退する運びとなっていった。
こんな状況の中、東京市庁で「国際オリムピック競技大会東京開催に関する実行委員会」が開かれた。
嘉納治五郎はこの席で、元国際連盟事務次長の杉村陽太郎、元貴族院議員の副島道正、陸上総監督の山本忠興、水泳総監督の田畑政治、永井の後任市長を実行委員にすることを決めた。
田畑政治と酒井菊枝の結婚
政治は上司の緒方竹虎の発案でロサンゼルス・オリンピックの回顧録を書くこととなった。
毎夜残業して執筆する政治のため、速記係の酒井菊枝は連日弁当を手渡してくれる。
お礼のつもりで政治はオリンピックの思い出を語り、酒井菊枝は黙ってそれを聞いていた。
やがて政治は緒方から渡されていたお見合い写真を返すことにした。
写真の中身すら見てもいなかったが、政治には気になる人ができていたのだ。
その後、緒方は何気なく返された写真を開き、政治はそこで初めて女性の顔を見て驚く。
写真には晴れ着姿の酒井菊枝が写っていたのだ。
結局、お見合い相手は酒井菊枝だったことが分かり、二人は結婚することとなる。
結婚式には落語家が呼ばれ、高座に上がったのは孝蔵だった。
この頃の孝蔵はお座敷や結婚式の余興として呼ばれることも多くなり、ラジオ出演も果たしていた。
岸清一の死去
政治が結婚した頃、熊本の池部家には小松勝という青年が四三を訪ねて来ていた。
どうも四三の著書である「ランニング」を読んで感銘を受けたらしい。
九州一周をしているという小松は、四三から激励の言葉をもらおうとしていたが、驚いたことに四三は一緒に走ると言い出す。
しかし、スヤは四三の行動に驚きもせず「着替えは2、3枚?」と言って、夫を送り出すのであった。
東京市長には牛塚虎太郎が就任し、治五郎たち実行委員はウィーンで開かれたIOC総会に出席した。
総会ではIOC委員に新たに杉村陽太郎が選ばれ、日本人IOC委員は嘉納治五郎、岸清一を含めて3人となった。
これでオリンピック開催地の投票時には3票が確実となる。
杉村陽太郎はウィーンから帰国すると、喘息で入院していた岸のお見舞いに訪れた。
そして先にお見舞いに来ていた政治と野口を前に、杉村陽太郎は総会の内容を報告する。
「1940年のオリンピック候補地は、東京とローマ、ヘルシンキに絞られました。アメリカとスウェーデンの委員は東京を支持すると約束し、投票は2年後オスロで行われます。」
報告を聞いて岸は期待感を膨らませていたのだが、まもなく岸は急逝することになってしまう。
そして治五郎は岸の墓前で東京オリンピック実現を誓い、政治も体協理事として協力することを決意した。
また、岸の後任のIOC委員には副島道正が選出された。
逆らわずして勝つ
昭和9年(1934年)、治五郎、杉村、副島らIOC委員はアテネで総会に出席し、帰路にライバル候補地となっているローマを視察した。
ローマは大理石の競技場が完成間近で、IOC総会でもローマ支持の意見が多くあった。
帰国後、実行委員会でもその対応策が急務とされ、委員たちは頭を悩ませる。
そんな中、政治は「もっと簡単に考えよう」と口火を切った。
「ローマには勝てない。じゃあどうする?『逆らわずして勝つ』の嘉納さん。」
すると治五郎は「譲ってもらうってどうかな」と言い出した。
「案外、頼めば譲ってくれるんじゃないか?」
シンプルな治五郎の意見が出たところで、今度は杉村が発言する。
「私、10月から大使としてイタリアに赴任するんですよ。」
副島と牛塚はうまくいかないというような顔をしているが、治五郎と杉村はノリノリだ。
結局、治五郎は日本の魅力を伝える写真付きの資料を作って世界に発信し、イタリアの首相・ムッソリーニには杉村を通じて交渉の場をもうけてもらうこととなった。
その後、政治は日本の魅力発信のための資料作成に取りかかり、写真集「日本」を完成させた。
完成した「日本」を見た治五郎は大いに喜び、ムッソリーニとの交渉成功を期待するが、持病の腰痛が再発してイタリア行きを副島に託すことになってしまった。
次回 大河ドラマ「いだてん」第33話「仁義なき戦い」あらすじ
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