大河ドラマ「いだてん」
第17話「いつも2人で」あらすじネタバレ
ここでは、平成31年大河ドラマ「いだてん」第17話「いつも2人で」のあらすじ・ネタバレについて書いていきます。詳細なネタバレもあるので先の展開を知りたくない方は、【ネタバレ注意】はご遠慮下さい。たまに、私がところどころふざけてセリフや文章を考えて書いているところがありもすが、決して本編の大河ドラマ「いだてん」ではそのようなことはありません。なお、放送後の感想については、別ページで書いていきますのでそちらもよろしくお願いします。
前回 大河ドラマ「いだてん」のあらすじ
大河ドラマ「いだてん」
第17話「いつも2人で」
NHK公式 あらすじ
戦争でベルリンオリンピックの開催中止が決定し、四三(中村勘九郎)は激しく落ち込む。熊本からやって来た妻・スヤ(綾瀬はるか)が四三の無念を受け止める。夫婦として共に痛みを分かち合い、スヤの愛を力に四三は再び走りだす。四三の再起に刺激を受けた治五郎(役所広司)は明治神宮にスタジアムを作る目標を立てる。四三と治五郎は東海道五十三次を全国の健脚たちと走るレースを思いつく。これが「駅伝」誕生の瞬間だった。
大河ドラマ「いだてん」
第17話「いつも2人で」
あらすじ【ネタバレ注意】
失意の金栗四三
東京高等師範学校の校長室で金栗四三は嘉納治五郎から衝撃的な事実を聞かされた。
欧州戦争の長期化により、ベルリン・オリンピックが中止になったのだ。
四三は絶句し、それ後は下宿部屋に閉じこもって出てこなくなってしまった。
野口、橋本がやって来て声をかけても返事もせず、播磨屋の店内で黒坂辛作、清さん、シマが心配していると徳三宝もやってきた。
そして徳三宝が襖に体当たりし、すかさず清さんが部屋に乗り込んだ。
すると四三はボケーと上を見つめていた。
「元気出せよ!いだてん!気晴らしに走ろうぜ」
清さんが声をかけると、四三は答えた。
「オリンピックも無くなったのに、なんで俺が走るのですか」
嫌がる四三を清さんが引っ張り出そうと揉めていると、四三は突然、水をぶっかけられた。
「この人は、水をぶっかけると大人しくなります」
水をかけたのは新聞でオリンピックの中止を知り上京してきたスヤだった。
すると四三はスヤに愚痴を漏らし始める。
「きつい練習をした夜はスヤさんの夢を見ました。起きては走り、寝て走ってクタクタで。それでもあと1年の辛抱と・・・」
しかし、それでも四三は熊本に帰る気にもなれず苦しんでいた。
そこでスヤは黒坂辛作に自転車を借り、四三を外に連れ出した。
息を弾ませて走る四三の横をスヤが自転車で伴走し、2人はひたすら走り続けた。
この日、スヤは四三の部屋に泊まった。
「この前は、追い返してすまんかったね。これからは会いに来ていいから。いや、来てくれ。もう、帰れとは言わないから」
四三の言葉にスヤは安堵していると、四三はこう続けた。
「先のことも考えないといけないなぁ~」
スヤは夫婦の将来のことかと思ったが、四三が心配していたのは『日本マラソン界の未来』だった。
「自分が走れなくなったら、誰が引き継ぐのか?全国にいる『いだてん』の卵を見つけるのは難しい」
熱弁してくる四三に、スヤは言う。
「金栗四三が50人おったらよかったのにね」
金栗四三の新しい夢
翌日、金栗四三は嘉納治五郎のもとへ行き、自分は指導者になるために教職に就くことを伝えた。
そして四三はスヤの言葉から思いついた考えを述べた。
「もし、俺が50人いたら50倍の距離を走れます。1人10㎞走れば、500㎞です。それはもはや東京から大阪ですよ!1人じゃ無理でも50人いたら走れるんです」
四三はマラソンは1人で走って孤独だが、団体競技として共に助け合い、励まし合える仲間がいればマラソン以上の長距離が走ることができると考えていた。
「なるほど!喜びも50人分だ!」
これを聞いて治五郎も興奮している。
「いつか、東京から大阪まで走破するため、50人を育てるため、俺は教員になります!」
四三は新しい目標を見つけたのだった。
翌大正5年(1916年)、金栗四三は神奈川師範の地理の教員となり、練習法や足袋の改良に励む、新しい日々がスタートした。
そして東京女子高等師範学校に入学したシマに、四三と嘉納治五郎は「女子体育の振興は国を挙げて取り組むべき課題だ」と励ました。
ある日、四三と治五郎が『東京~大阪間レース』の話をしていると、「京都じゃダメですか?」と声をかけてくる男がいた。
男は大村と読売新聞の記者で、同じく記者の土岐善麿と2人で、四三たしの話に聞き耳を立てていたらしい。
ちょうどこのとき読売新聞は、京都→東京への遷都50周年記念行事として運動会を行おうとしていて、記者たちはこのあと浅草で運動部の御意見番と会うのだとという。
すると治五郎は「一緒に行く」と言い出し、待ち合わせ場所の凌雲閣の展望台に向かった。
どうやら、ご意見番とは吉岡のことらしい。
そして土岐が東海道五十三次を辿るレースを提案すると、吉岡も四三も壮大なアイデアに興奮する。
もちろん嘉納治五郎も賛同し、頼もしく育っている若者たちを相手に眼下に広がる広大な土地を指さして言った。
「私はあそこにいつかスタジアムを作る!いつか東京でオリンピックを開くために!」
しかし、土岐はその土地にはもうすぐ明治天皇を祀る明治神宮が建設されると説明した。
「えぇぇぇぇ!?」
カッコつけていた治五郎は驚きを隠せなかったが、それでも競技場の建設は諦めないという決意は揺るがなかった。
駅伝の誕生!
やがて体協の会合に吉岡、土岐、大村が招いて、金栗四三が東海道五十三次レースの説明をした。
「23区間に分け、関東、関西、中部の23人のランナーで516㎞を走り継ぐレースです」
読売新聞の主催ならばということで話はまとまり、一同はこのレースにふさわしい名前をつけようということになった。
「駅伝はどうだろう?」
武田は東海道の53の宿場、つまり『駅』を『伝』って走るからと説明する。
この案に全員が賛成。
現在でも盛んに行われる「駅伝」が産声をあげた瞬間だった。
その後、シマは「東海道五十三次駅伝競走」の開催を知らせる新聞記事を読んで、女子も参加できないだろうかと考えた。
そして四三の勧めでトクヨに相談してみたところ、シマは叱責されてしまう。
「マラソンなど野蛮!残酷!不要!」
これを伝え聞いた四三は、マラソンの魅力がまだまだ世間に伝わっていないことを痛感した。
すると、ここで吉岡が四三にマラソン本の執筆を勧める。
治五郎も賛同し、四三はこの年に『ランニング』という本を出版することになった。
大正6年(1917年)4月27日の午後2時、東海道五十三次駅伝は開幕した。
関西軍は残念ながら選手が集まらなかったため直前にキャンセルとなったが、関東軍、中部軍は京都三条大橋をスタートし、タスキをつないでいった。
バトンの代わりにタスキを使うというアイデアは、四三が思いついたもので、スヤが掃除をするところからヒントを得ていた。
そして関東軍の最終走者は、四三本人だった。
レース開始から約44時間後、四三は川崎を出発しゴールの日本橋に着くころには市電の線路を塞ぐほどの大観衆が集まっていた。
多くの人々が四三と共に走り「駅伝!」の掛け声が飛ぶ。
スヤも観客の中から「かなくりーっ!」と叫んでいる。
日本初の駅伝は大成功で幕を閉じた。
その後、熊本に戻ったスヤに妊娠が発覚した。
池部幾江は大喜びで金栗家へ報告に行った。
「子供を授かったら、さすがにあのマラソン馬鹿も帰ってくる!これで池部家は安泰じゃ!」
次回 大河ドラマ「いだてん」第18話「愛の夢」あらすじ
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