大河ドラマ「いだてん」
小松勝の生涯
大河ドラマ「いだてん」が終盤に入り、重要な登場機会がを増えてきた小松勝(仲野太賀)。
最近、初回からずっと謎だった五りん(神木隆之助)の父親であることが判明したことで注目が集まっていますが、この小松勝について個人年表を作ってみたら、色々と意外なことが判明したので今回発表したいと思います。
ちなみに、小松勝はオリジナルキャラクターであるので実際に存在した人物ではありませんのでご注意を。
大河ドラマ「いだてん」ではあっという間に時間が過ぎ去っているので、小松勝が登場してからどのぐらいの期間何をしていたのかよく分からなくなっています。
なので、まずは小松勝の登場した第32回から年表にしたものをご覧ください。
小松勝の生涯年表
昭和8年(1933)
昭和10年(1935)
小松勝が金栗四三とともに「
昭和11年(1936)2月
小松勝が金栗四三の家出に付き合わされる。同じ頃、二・
昭和11年(1936)
小松勝が金栗四三と上京し、
昭和13年(1938)
東京オリンピック返上が決定。
昭和14年(1939)
第二次世界大戦が勃発し、小松勝が増野りくと結婚。
昭和15年(1940)秋
小松勝とりくの子「金治」が誕生。
昭和16年(1941)
太平洋戦争が勃発。
昭和18年(1943)10月
学徒出陣により小松勝が出征。
昭和20年(1945)春
小松勝は満州で古今亭志ん生と出会う。
昭和20年(1945)8月
終戦。ソビエト侵攻により小松勝が戦死。
見えた小松勝の意外な事実
長すぎる小松勝の学生時代
この小松勝は第38話で描かれたとおり、昭和18年(1943)10月に『学徒出陣』により出征しています。
つまり小松勝はこの時点で学生さんなんですよね。
はじめて登場した第32話が昭和8年(1933)なので、10年間も小松勝は学生なんですw。
九州一周を志して金栗四三のところを訪れた時を14~15歳だとしても、出征時には24、25歳。
この時代の学校がどんなシステムなのかよく分かりませんが、いつまで学生やってんだよって話です(笑)。
マラソンしすぎで落第しまくってた?学費はどうしてたんだよ?と疑問に思ってしまいます。
意外に長いリクとの交際期間
小松勝と増野りくが出会ったのは第35回の昭和11年(1936)のこと。
嘉納治五郎の求めに応じて上京する金栗四三についていったことで運命の出会いが訪れました。
この年の8月にベルリンオリンピックのマラソンがあり、小松勝はリクと一緒にラジオ実況を聞いていますので、もしかすると6月~7月ぐらいには出会っていたのかも。
出会ったばかりの二人は、このオリンピックの実況から何だかイイ雰囲気になっており、それをスヤさんに見抜かれていました。
その後、東京オリンピック返上や第二次世界大戦などがあって、オリンピック出場の夢が絶たれた小松勝はリクと結婚。
テレビを見ていると「おいおい、出会ったばかりで結婚かよ?」と思ってしまいがちですが、二人の結婚は昭和14年(1939)のことです。
ハリマヤの主人、黒坂辛作は二人がイイ感じになってることに気づいておらず、リクの父親も激怒していますが、実際には3年間ぐらい二人は相思相愛だったってこと。
二人は誰にも気づかれないよう(スヤさんと四三には気づかれていますが)に二人は想いを募らせていた。もしくは付き合っていた。
だから、二人の結婚は突然のものではなく、意外と長い期間を経てはぐくまれた愛の結果なんですよね。
秘密にしてたからから、逆に燃え上がっていたのかも(笑)。
まとめ
以上のことより、小松勝は増野りくと出会ってから3年間の交際期間(付き合っていたかどうかは分からない)を経て、学生結婚。
翌年には学生でありながら子供(金治)を作り、約3年後に学生のまま戦争に向かうという、永遠の学生さんです(笑)。
学費や子供の世話はどうしていたんでしょうか?
妻のリクをハリマヤで働かせて収入を得ていたんでしょうか?
黒坂辛作、金栗四三、増野さんから援助してもらっていたんでしょうか?
おそらくマラソンバカの弟子ですから、小松勝はオリンピック出場がなくなっても働かずに走ってますよね。きっと。
小松勝はとんでもないヒモ野郎なのかもしれない。
だから、増野さんが激怒していたのかな(笑)
そういえば師匠である金栗四三も、実家や池部家から金を送ってもらってマラソンバカをしていたヒモ野郎でしたね。
結局、弟子も弟子なら師匠も師匠。やはりオリンピックに出るぐらいの選手になるには、他を差し置いて練習に打ち込めるほどの金が必要なのかも・・・。
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